つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「いますぐ」の変化を求める癖に気づく。

本日、居住地である北海道八雲町の町長並びに町議会議員選挙が告示されましたが、町長・町議会議員いずれも定数を超える候補者が名乗り出なかったため、本日17時を以って出馬申し込みを締め切り、無投票で終結となりました。

 

町議会議員選挙は定数が減りましたが、新人1名のみが出馬を表明し、定数きっかりになっております。

 

北海道新聞でも町長選に触れておりましたが、現職である町長の対抗馬は出る様子もなく、早い段階から無投票の見通しが立っていました。

 

 

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八雲町HPより

 

 

選挙は無投票に終わりましたが、残念ながら町民の全員が現在の町政に満足・賛成しているとは言えないようです。直接ではありませんが、やはりどこかしかでお役所を毛嫌い、信用していないという人はいらっしゃいます。その声が大きくなれば人員交代となるのでしょうが、そういった声は声だけで終わってしまっているようです。その構図を観ていると、小さな町の舵取りであっても、先頭に立とうとする姿勢は誰にでもできるものではないですし、批判を受けながらも手腕を振るい、「町にとって」一定の結果を遺していくことは簡単ではありません。むしろ難しいと思います。よくも悪くも、力のある人、原動力のある人が先頭に立ちがちであります。そのような人をとやかく言う資格はないものと個人的には感じていますが、どうしても自分のところに恩恵が来ないと、あいつは〇〇だとぼやいてしまうのも仕方のないことだと思います。それが積もりに積もるのであれば、やはり自分が前に出ることを考えたほうがいいのでしょう。町民の代表として町議会議員がおり、町長がおります(という認識です)。それは決して「人任せ」ではありませんが、仮にそのように見えるのであれば、そのマンネリを打破することも時には必要だと思います。

 

 

 

 

前後してになりますが、録画した本日分の朝ドラを観ました。

 

天気予報の仕事を地域に持っていくと、難問ばかりです。

漁業に対しての提案では「悪い予報ばかり言われても困る」

農家さんからの相談に対しては「結局、今後また雨は降るようになるんですか」

テレビ画面を通して伝えていた天気予報とは、大きく違ったものを感じました。

天気のことだとわかっていても、そこに「仕事」や「収入」が大きく関係してきますと、悪い要素に対しては「なんとかならないのか」と改善を求めがちです。

雨はいつかあがる、風はいつか止むとはわかっていても、いますぐにそうなってほしいと人は思ってしまうようです。

 

これは主人公の天気の予測の伝え方の良し悪しに関係してくるのだと思いますが、なかなか良いと思われる情報を伝えることが出来ていないように思います。だから人は訝しみ、疑惑の目で見てしまうのではないかと思うのです。

 

 

 

これって、国政や地方行政にも言えることなのではないか、と思ってしまいました。

地方行政について、今後この町はこうなりますといった予測を立てて町民にも知らせてくれることがあるのですが、あまり明るい話題ばかりとはもはやいきません。また町が景気づくような展開を、どこかしらで望んでいる本音があります。そことかけ離れてしまっているからこそ、お役所を嫌う人が出てきているのではないでしょうか。

 

ぼくの場合ですが、1年という短期間、非常に狭い範囲ですが、町の行政の一端を担当させていただいたこともあり、町行政を決して知らないわけではありません。移住先だということもあり、町のあれこれを知っていこうと日々アンテナを張っています。だから、役場で働いていらっしゃる人を嫌いになったり憎んだりすることは出来ません。よほどのことがない限り、これが覆ることはないでしょう。

 

 

 

どのような仕事(職業)でも、相手の求めることを考えると、かなりシビアになってきます。時代が進めば進むほどのような気がします。その中でも、どうにかして貢献しようと頑張る人たちがいます。八雲町長・八雲町議会は新たな任期に入りますが、どのようなはたらきをしていくのか、期待しつつ見届けたいと思いました。