つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

未来はわからない。

朝7時30分ごろでしたが、草地の日陰になっているところに霜が降りていました。

 

 

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朝はかなり冷え込んだようです。

その後秋晴れとなり、昨日に続きカメムシさんが大量にいらっしゃいました(涙)

 

 

 

朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」は、今週放送分が最終となります。

朝の放送と昼の放送をなんとか見ることが出来る環境なので、繰り返し見るようにしています。

 

今日の放送は幾つものキーワードがありましたが、その中でも「俺たちの菅波」こと菅波先生が言った「未来に対して僕らは無力です」というセリフが、強い余韻として残っています。

 

 

 

元々未来はわからないもの

 

現代は「予報」という技術が発達していますが、それ以前は右往左往させられる環境だったのだと思います。星空や雲の流れをみて天候の変化を感じ取る知恵のようなものはあったと思いますが、わかっていてやってくる変化と、わからない状態で起きてしまう変化とでは印象が違います。この先どうなるかわからない先のことについて、確かに人類は無力でありました。そしてそれは今でも変わらないと思います。

 

 

ほんとうに未来のことをわかっているの?

 

今も昔もですが、未来に起きることを「わかっている」と主張する人たちは一定数存在します。何の未来なのかにもよりますが、わたしたちは「ほんとうに見えないこと」に対する未来を知りたがる傾向にあります。だから占いに走り、宗教に走り、スピリチュアルに走ります。それは未来に起きることが怖くて、逃避しているようにも見えます。人それぞれ理由はあるのだと思いますが、現実的な裏付けがされていないものごとに対し、未来についての安心感を委ねることは危ういと思っています。

 

 

 

未来をどうにかする、は、アリか?

 

現在、選挙の真っ最中です。どの候補も、自分に未来を託してほしいと訴えています。

恐らく、このままでは未来の日本はこうなる、と、先の展開をわかっている口ぶりで聴衆に語り掛けていると思います。

 

未来をどうにかする、は、ほんとうにできるのでしょうか?

それは「できる」場合もあるでしょうし、「できない」場合もあると思います。

つまりはおいそれと「できる」と公言してはいけないということになります。

今の人は、実はコレが出来ていない。

出来なかった場合でも、自分の非を認めない。そして周りがそれを擁護する。

それではダメですよね。

 

 

明日のことでわかっていることもあれば、わかっていないこともあります。

不確定要素もある中でしっかりと生きていくこと。今はそれが大事です。

無力だということをわかることも大切です。自分に力があると思うことも結構なのですが、時にそれは過信になります。それくらい、無力は謙虚を呼びます。

 

これまでにたくさんの無力を感じてきました。

でも、無力感に取り込まれないように。

明日も元気に過ごしていきましょう。