予期せぬ別れと後悔。
この時期になるといわゆる「喪中はがき」が届きます。
これまでは自分に近しい人が亡くなるというのはそうなかったのですが、さすがにこの年齢(40代)になりますと、予期せぬ報せのほうが多くなりました。
生い立ちを少し話すことになるのですが、小学校に入った時点で父親が糖尿病にかかり、厳しい生活を送っていました。当時は糖尿病という呼び名はなく、ぜいたく病といわれていたそうです。外食や炭酸飲料をかなり摂っていたようで、今でいうバランスのよい食事はしていなかったそうです。
母親は父親の透析などに同行せねばならず、自然と子供の世話は遠ざかってしまいます。そんな中でもぼくは友達とその家族に恵まれていました。ご飯もごちそうになったし、お泊りもさせてもらいました。また、小学校卒業時には卒業旅行として、夕張市にあったマウントレースイに連れて行ってもらい、スキー堪能させてもらいました。今更ではありますが、ぼくはいろんな人たちに養われ、育てられたのだと気づかされています。
よく「出世払い」ということを、友人の親御さんは言われていました。
それがずっと心に残っており、どうにかして少しでも恩返しをしようと思っていましたが、友人にも家庭ができ、昔ほどのやりとりがなくなってしまったことで、友人の親御さんとのパイプもなくなってしまいました。そして今回の報せです。その瞬間、身体が硬直し、何も考えられなくなりました。放心、という状態です。そのまんまの心境です。そして「申し訳ない」という気持ちになりました。感謝も何も伝えていなかった、というのが、個人の感覚です。自分勝手ではありますけれども。
現在はまだ新型コロナウイルスが潜んでいる世の中です。
最近のニュースでは、新たな変異株があらわれたとか。
コロナはいる、いない論争(論争になっているかどうかは不明)もありますが、それ以前にこの時期はインフルエンザ注意報が出る時期でもあります。個人としては、許されたタイミングで、線香をあげ、感謝を伝えることのみだなと考えています。
いまこの世にいる人でも、そうでなくなった人でも、「離れて」しまえば、感謝であろうとも、憎まれ口や忌み嫌うことばであっても、何も言えなくなります。
まだ、「何かを言える状態」がはるかにマシだった。
その状態は、お互いが生きている「いま」しかないことを、もっとよく知るべきなのだなと感じていました。