支えあいは端に追いやられていった。
昭和の時代以前は特に、支えあいというのが自然発生していたように思います。
地域や社会等、様々な単位で自然発生しているこの現象または行為は、人格形成に大きな影響を与えたのではないかと思います。
ところが平成~令和となってから、この支えあいが希薄になってきました。
地域交流にも似たことがありますが、「他人とのコミュニケーション」を避ける傾向が増えてきました。理由は様々と伝えられてますが、人付き合いが面倒だというのが大方の意見のようです。そうなりますと、「支える」そして「支えあう」とはどういうことかということになります。そうして忘れられていき、廃れていくことになります。
代わりに台頭したのが、「支え」を利用した利己主義と考えています。
現代は徹底的な利益追求型になっています。まさしく、結果がすべてのような世界です。以前は、そんな世の中ではなかったと思います。どうしてそうなったのでしょうか。これだという原因は掴めませんが、時代の流れなのだと思います。
「支えあい」は、果たして必要なものか?
答えはわかりません。必要と思う人、不要と思う人、どちらの立場の人もいらっしゃいます。
ぼく個人の考えでいえば「必要」です。理由は、この支えあいの中で育った(育てられた)人だからです。
時折メディアを通してみる「支えあい」を見ると、頑張って欲しいなと感じます。
反面、そのような支えあいに反感を抱く人も少なからずいらっしゃいます。
支えあいが叩かれる理由はわかりません。ニュースという断片でしか見ていないからです。その支えあいの本質を見てはじめて、支えあいに問題があるのか、反感する人に問題があるのかがはじめて確認できます。
現代は、支えないのみならず、支えあいの背景までが知られていく時代です。
そう考えると、やりにくいと感じるのかもしれません。
ひとつの便利はひとつの不便を生みます。
そういう世の中でも、ぼく自身は支えることを忘れないようにしたいと思います。