つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「自分は運がいい」。

「運がいい」

 

と思うことは、誰にでもあることかと思います。

 

その運がどのようにもたらされるのかはわかりませんが、すとんと自分の中に落ちる出来事がありました。

 

 

 

そのきっかけはドラマで、「ソロ活女子のススメ シーズン3」にある話となります。

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

第2話で主人公の早乙女恵(江口のりこ)が埼玉県の秩父に旅行に行きます。

そこの宿で出会った主人が元相撲取り(宇梶剛士)ということで、化粧まわし等、相撲にまつわるものが展示されていました。そこで店主の説明を受けながら余暇を過ごしていたのですが、その中で主人から語られた言葉がありました。

 

「自分は運がいい」

 

セリフそのままではありませんが、言い換えれば「自分は恵まれている」ということになるでしょうか。その話が印象的でした。

 

発言の背景にあったのは相撲取り時代で、いろんな人に支えてもらったからこそ、前頭(設定)まで行くことが出来た。これは一人の力では到底無理で、応援してくださった、支えてくださった方たちがいたからそこまでのぼることができた。その後引退してしまったが、この宿を継ぐことになって不安があったが、ここでもたくさんの人たちに支えられて今日がある。自分は本当に運がいいです。という内容でした。

 

この流れを視聴していて不思議とすとん、と腑に落ちました。

 

というのも

・運は周りから与えられるもの

としているからです。

 

決して

・何かしらのまじないを以て身につける

ものではないと考えているからです。

 

今も昔もですが、運をつけるための方法を本にしたものが書店に並んでいます。

運も様々ですね。金運、仕事運、健康運等々、きりがないといえばないです。

いまでは完全にスピリチュアルの世界です。

 

決定的に違うのは、宿の店主が言っている運は、周りから少しずついただいたものとしていることに対し、昔から流行っている運は「自分が幸せになるため」に、非現実的な行為で得ようとするものとなっています。後者はその確実性曖昧で、個人差があるという説明等で責任を逃れている印象を持ちます。これは昨今の信仰によくあることで、ここで効果を実感できなければ「信心が足りない」と説教され、宗教行為(いつしか)にのめり込む入り口になる危険性があります。これは宗教だけに限りませんが、効果を実感することが出来ないことを口実に、更なる搾取を目論む存在現れるというループに引き込まれることを言います。これに気づかない人は、意外と多いようです。

 

宿の店主の場合は、確かに経営をという考えがあったと思いますが、決定的に違うのは「他人」の存在が大きいと捉えているからです。まさしく支えあいですが、それを「運」と言ったところに不思議と納得感がありました。まさしく渾身のひとことだったと思います。

 

運はどのようにやってくるのか。

とてもいい学びを得ることが出来た時間だと思いました。