はい。改めて書きます。
今回は「思い出の品」です。
このカテゴリに含まれるのはほんとうにいろいろあると思いますが、私の場合は・・・
・大学時代にやりとりした手紙
・小中高大学の各文集
・写真
・教育実習関連の書類など
・大学のレポート
・旅の品物
・サイン入りの物
などです。
衣類ももちろん、上記に該当するものがありましたが、それは「衣類」という枠の中で整理済みのため今回は触れず。
こういった思い出の品を整理するというのは何となく「タブー感」が漂います。
使わないけど、あまり手に取ることはないけど、いざ整理!となるとトーンが落ちます。
整理に「消極的」になってしまうことが多いです。
「どうしてなんだろう?」と問いかけても、明確な答えは返ってこないことが多く、単純に会話の歯切れが悪くなる、という流れになります。
では「思い出の品」は無条件で保管しておいてもいいのでしょうか?
ひとことで言えば「それは無理」。保管するにしても「限界」があるからです。
自宅では保管しきれなくて実家に思い出の品を置いてあるという方、いらっしゃると思います。
かくてわたしも小学校~保育園時代のものは実家の押し入れに収納していました。
この時点でどうでしょう。実家に帰るというのは年に何回あるでしょうか。
また、帰った時にその「思い出の品」を手に取ってみるというのは果たして何回、あるでしょうか。
そう考えると「思い出の品」を保管しておくということは結構効率が他と比べると・・・ということになります。
「他の物と一緒にするな!!!」という意見もあるやもしれません。
それも「ごもっとも」です。
思い出というだけあり、それは「過去」のものです。それはもうそこで「時間」が止まっています。
反対にわたしたちは「未来」に進んでいます。「時間」は常に動いています。
そうなると、既に時間が止まっているものに対する反応も、いつしか変わっていきます。
思い出として存在しているものと、さほど思い出じゃなくなっているものとが存在している。
どうでしょうか。
そんなものが入った思い出の箱を目にして、みなさんはどう感じるでしょうか。
これを見極めていくことも、グラウンディングのひとつだと思っています。
そんなこんなで葛藤を持ち、うんうん唸り悩みを繰り返した結果、わたしが整理したのは
・写真
・手紙
・レポート
・旅の品物
でした。
もちろん、すべてのモノをひと通り手に取って見極めていきましたので、精神的なタフさが必要な整理になったことは言うまでもありません。
写真と手紙は結構整理しました。手紙の文面は読まれたくないのですべてシュレッダーにかけて処分しました。
むろん、手放したモノの物量は両に抱えるほどの袋いっぱいになりました。
視点が変わる。
そうすると、視ようとしている焦点も変わっていきます。
この整理をしたときも本当に疲れました。力が抜ける、寝込む。何もやる気がしない。
じゃあやらなけりゃいいじゃん?あんた馬鹿じゃね?
と人は言うかもしれません。
でも、どこかのタイミングで「向き合う」必要が出てきます。
意識して「目を背ける」ものではいけないと思っています。
思い出は美化しても徐々に「風化」していきます。
すべてがそうなってしまわないように、気を付けたいところです。