つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

あの日のこと。 ~夜は必ず明けることを絶望は教えてくれた~

その日の朝は快晴でした。

 

 

 

 

 

 

 

爽やかな朝でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その朝日を感じて目を覚まし、その場に起き上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きたことに対して残念な気持ちがまず最初に浮かびました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを瞬時に打ち消すかのように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体中に漲る、いままで感じたことのない力を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはほんの少しの時間。

 

 

何回か呼吸したのちに、すうっと消えていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの時間、その感覚に驚いていました。

 

 

 

 

だって、本気で「自分の寿命はもういらない」と考えていた人間から、溢れるほどの力(の、ようなもの)が感じられていたのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

期待していたこととはまったく真逆のことが起きたので、困惑していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、体を動かしました。

 

 

深く息を吸い、そして長めに吐きました。

 

 

 

それを何度か繰り返しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうすることで、やっと「理解」というか「納得」というか。

 

改めて「覚悟」することが出来ました。

 

 

 

 

 

 

でも、これまでとは違い、ちょっと熱量を抑える。

 

 

いわば「軽やかな覚悟」といったものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方から、言葉を発します。

 

日中は何度か瞑想をした後に、瞑想や最低限の生活行動以外のことで動き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時の行動は「あれをやろう、これをやろう」という考えのもと、というよりは、無意識に取っていたと言ったほうが表現が近く、ごく自然に活動を始めました。

 

 

 

相変わらず気持ちをどう表現していくかといったことにはスイッチが入らないままであったため、結果として竹内さんからのメールについても返信できず放置していましたね。

 

 

 

瞑想だけの生活に一区切りをつけましたが、実際のところまだ何も解決していません。

1日のなかで瞑想に充てる時間は少なくなりましたが、瞑想を行いつつ、日常生活も送るようにしていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

特に何かを考えることはしませんでした。

考えずに、無意識に行動していました。

 

 

それは、瞑想の延長だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、家人とあれこれ話をしていると、家人からこんな指摘が飛んできました。

 

 

 

 

 

 

「ガラクタ整理、やってるじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え!?」

 

 

 

 

 

 

と最初は思いました。

 

 

 

 

 

 

 

でも、家人に話した内容を思い返すと

 

 

・紙ごみをまとめる

・掃除をする

・洗濯物をたたんで収納する

・レシートを帳簿につけて処理する

・小道具類の整理

・除雪道具の整理

 

など

 

 

 

実はこれはごく一部で、ノートに「先延ばしリスト」を作成してひとつずつそのタスクを消していくということをやっていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

動き始めたときのタスクの数はおよそ40項目。

 

 

 

 

 

 

 

それを一度に、という訳にはいきませんが、着実に処理している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは知らず知らず、この数か月間必死にやってきたことが体に染みついていたことを知りました。

 

 

これが、わたしが「生きている」「活かされている」ことを実感した瞬間でした。

 

 

わたしが命をかけ、必死になって東京へ通って学んだ「ガラクタ整理」と「先延ばしの克服」は、

 

消えずに残っていました。

 

壊れずに残っていました。

 

沈まずに残っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは「からっぽ」にはなっていなかった。

 

それは「生き延びろ」という別の「ゆずれない願い」が、わたしの中に溢れている生命力を垣間見せてくれることを通して、もうひとりのわたしが伝えたかったことなのかもしれません。