さて、昨日の日記続きです。
先日のお休みに寿都郡(すっつぐん)の黒松内町(くろまつないちょう)というところに足を運びました。
ここには「黒松内ぶなの森自然学校」という場所が日本海寄りのところにあります。
ここの代表をされている方にご挨拶するため、車を走らせました。
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ぼくが移住してきた町、北海道八雲町。
どの地域にもある「お祭り」ですが、ここ八雲町では5月から順次町内各地でお祭りが行われます。
最悪のコンディション(メンタルね)のなか、許可をもらって見学してきたお祭りがありました。
八雲町熊石(くまいし)で行われた「あわびの里フェスティバル」。
八雲町で最も有名なお祭りなのだそうです。
お昼休憩の画。
続きを読む浮かんでは沈む。
その繰り返しだと言ってもいい。
人生を表現することばのひとつとして、こんなことばがあります。
北海道八雲町に移住してから、順風満帆だとはお世辞にも言えないです。
移住当初からいろんなアドバイスをいただくのですが、それが焦りにつながったりするなどしたため、及第点だとは言えないと認識しています。
自分の心が平穏ではないと、必ずと言っていいほど何かを引き起こします。
その引き起こした物事の大きさによって、いろんなところがケガをします。
時間が経過するにつれ、やがて人は日常の生活に慣れていくのですが、そこまでの道のりが果てしないもののように感じながら過ごしていくのです。
ケガしたところが徐々に治り、普段の生活に戻っていくのは「普通」のこと。
大事なのは「どうしてケガしたのか」ということと、「どうすればケガしないのか」ということ。
そのほかにも、大事なことは散りばめられているように思う。
今回のケガは、悲壮感が呼んだケガでした。
焦りが呼び寄せたケガでした。
ネガティブがネガティブを呼んだ、「なんなの、マジで。」という結果のケガでした。
こんなケガをしても、やがては治るし、忘れていく。
それではきっと、ダメなんだと思う。
そのケガをどのようにして受け止めていかなくてはならないのか。
そこから自分は「どうしたい」のかを、しっかりと考えないと、また同じケガをする。
それだけは、さすがにイヤです。
だから、もっと。
いまの状態から、もっと。
いろんな言い方があるけれど、強くならないといけないし、落ち着かないとならない。きれいにもならないとって考えることもあるだろうし、勉強しなくちゃと考えることだってある。お金もそう。筋力もそう。何かしらの力である場合や、こころや考え方のエッセンスだけの場合もある。
いずれにしろ、「そこ」の増量なのだ。
もっと、なのだ。
この意欲がなくなれば、自分は死ぬだけ。
意欲がなくなれば、抜け殻も同じ。
そんなふうにはなりたくない。
もう、あの苦しみだけは、選びたくない。
いまいる状況も「自分で選んだ」けど、堕ち込んんで沈んでいく、それだけのための選択などもうこりごり。
だから、もっとなのです。
これからの自分の姿を相手が見ることがあってもなくても。
この「もっと」がある限り
ぼくはまだ、自分の物語を進めることができる。
だからどんなにケガしても、苦しいと思っても。
そこからもっと。
そこからもっともっと。
自分の頭のなかにはこれでもかというくらい「ことば」が浮かんでこない日々が続いていたにも関わらず、きょうは短時間ながらもコミュニケーションのオンパレード。
苦手な分野に接客とレジ操作があるのですが、その両方を担当して一気に疲れました。
これが身にならなければ意味がないです。そのために今、疲れているような気がします。
昨日は「やっと」ということばを使いました。
なんとなくですが、きょうは「きっと」ということばで文章を書いてみたいと思いました。
きっと。
そこには、願いが込められているように思います。
その考えはポジティブなのかもしれません。
だって、ネガティブなことにもこのことばは使えますからね。
その「きっと」をどちらにするかは、やはり自分自身次第なんだろうと思います。
揺れれば揺れるほど、ネガティブな法ほうに引き寄せられる感覚を憶えます。
どんなに楽観的であったとしても、次第にそれは自分を苦しめてしまうでしょう。
きょうは仕事先の「ら・ふも」で「パン&スイーツ」の商品を集めて販売するというイベントを行いました。近くに商工会の建物があるのですが、冬が訪れるまでの月2回、そこで産直市場が開かれるのです。そのタイミングに合わせてこちらにもお客さんを呼び込む試みが行われました。
このイベントを行う寸前までは、けっこうネガティブなことを考えていたように思います。
例えば、「きっと」そんなにお客さんは来ないだろう、とか。
「きっと」たくさん売れ残ってしまうよな、とか。
フタを開ける前から、敗色濃厚な不安さを抱えていました。
それがいざ始まってみますと、そんなクソみたいなこと(笑)すら考える余裕がありませんでした。
人の波が押し寄せてきたのです。
札幌の店舗に比べれば大したことないのかもしれませんが、普段見ない光景に驚き、一気に緊張感が高まりました。
そこから過ごした時間は、とても濃密なものでした。
最初は堅かった接客やレジ操作も、短時間でスムーズになった実感がありました。
心に余裕が出来た頃にはお客さんと会話し(ちょっと調子に乗ってしまいましたが)、商品のアピールも行い、お蔭様で完売になった商品もでました。
ネガティブだと思っていたものが、実はポジティブだった。
きっと、悲観しすぎだったのでしょうね。
イベント終了後にもお客さんが来てくださいまして、商品購入して行かれました。
このような光景を中心にあたる位置で経験することはなかなかないので、とても醍醐味のある時間を過ごすことが出来ました。ただ、その後一気に疲れがきましたが。
「きっと」。
相手がどう思っているか、どう考えているかはほぼわかりませんが、わたしたちはそこに「希望」を載せるべきなんだと思います。その思惑が外れて悲しむこともなくはないですが、最初から沈んだ表情を抱えるよりも、その希望を胸に快活に過ごすほうがましです。沈むという経験は必要だと思いますが、無理に抱える必要はないと考えています。無理にマイナスを背負う必要はないのです。
「きっと」。
いいこともそうでないことも、その先にいきてくる。
生きていくことで起こることは、大抵が必要なことだとされています。
どんなに届けても。どんなに伝わらなくても。
きっと、その経験が、プラスになる。マイナスには、ならない。
そのように信じて、明日も頑張ります。
きっと、
きっと。