つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

整理棚からひとつかみ。 インスト・サントラ編 その3

1月4日まで不在のため、以下の記事を掲載します。

 

 

 

 

Stand By Me Original Motion Picture Soundtrack

 

 

 

 

WPCR-75272

 

1.Everyday
2.Let The Good Times Roll
3.Come Go With Me
4.Whispering Bells
5.Get A Job
6.Lollipop
7.Yakety Yak
8.Great Balls Of Fire
9.MR.Lee
10.Stand By Me


誰もが知っている(と思う)名作中の名作。
サントラではありますが、オールディーズミュージックの佳作とも言えます。
収録曲すべてが歌となっており、インストは一切入っていません。
そのため口笛を吹きながら、鼻歌を歌いながらついつい聴いてしまう、昼下がりにはもってこいのストレスフルな音楽になっています。
いつ聴いても、いつまで聴いても飽きない。

現代にはない味が、この時代にはあったと思います。

整理棚からひとつかみ。 クラシック編 その3

1月4日まで不在のため、以下の記事を掲載します。

 

 

 

 

 

大地の叫び / 平原誠之

 

 

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DMS-0001

 

1.阪神・淡路大震災記念曲「いのちの輝き」
2.たなばたさま
3.旅立ちの日に
4.宗教詩「神界」より第1番「我は神と共に」ホ長調
5.バラード第7番「大地の叫び」嬰ハ長調
6.滝廉太郎の遺作「憾(うらみ)」ニ短調

 

 

札幌・中島公園にある「キタラ」で平原さんのピアノを聴いたことがあります。
当時から彼のピアノに対する評価は高く、彼の演奏会は毎回大好評を得ているとのこと。
CDを聴いていてもそうですが、いわゆる普通のクラシックとは何か違う印象を覚えます。
それは彼の情熱あるいは「想い」というものが伝わりやすく、かつ届きやすいということの表れなのかもしれません。

今年も平原さんは札幌で演奏会を催すようです。
もうしばらく彼の生の音を聴いていませんが、今はどんな音色を奏でるのだろうと思うと、ワクワクしてきます。

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その38

1月4日まで不在のため、以下の記事を掲載します。

 

 

 

夢で逢いましょう / 村上ゆき

 

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PSCR-6174

 

1.テネシー・ワルツ
2.ゆらりろの唄
3.上を向いて歩こう
4.港が見える丘
5.ポカンポカン-春夏編
6.悲しくてやりきれない
7.花咲く旅路
8.夢で逢いましょう
9.自転車でおいで
10.ポカンポカン-秋冬編
11.うさぎしるべ
12.花紀行
13.そして僕は途方に暮れる

 

 

personel

村上ゆき(vo,p)
鬼怒無月(g,ukulele) on5,9
佐藤芳明(accorgion) on1,13
瀬木貴将(zampona) on4,11

 

 

カバーアルバム。
誰もが知っている曲から、ちょっとお茶目な曲が収録されています。
全体的にゆったりと流れる曲調でありながら、情緒溢れる唄を投げかける。
唄って伝えるということの素晴らしさを感じた作品でもあります。

平成29年がはじまりました。こころに決めて動くために表明した誓いのこと。

 

みなさま。あけましておめでとうございます。

 

平成29年になりました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

当ブログも2年目に入りました。

初心に戻り、この1年も毎日更新する気持ちで臨みます。

今年1年も、どうぞお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

昨日は夕方に実家へ帰り、きょう戻りました。

実家のほうは雪が気持ち少ないと感じたものの、やはり例年から比べると多いようで、かなり前ですが同じ時期に降ったドカ雪のことで話が盛り上がりました。

 

ご飯をいただき、紅白を見て、年越しそばもいただいて就寝。

食べている量は多いものの、日常を過ごせるのはとてもいいことだなと感じました。

 

 

 

朝、意外に早く目が覚めてしまったのでテレビを見ていたのですが、そのチャンネルでは富士山からのご来光の様子と、弾丸企画でケツァール(野生)を見に行くというものがありまして、とても貴重な映像を見ることができました。元旦から縁起がいいなと感じたので、今年はよい年になるのでは・・・と思います(笑)

 

 

 

 

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画面のおみくじはスロットになっていました。

 

 

 

「一年の計は元旦にあり」ということばがあります。

1年のこの日に目標などを定めて歩んでいきましょうといったことばになると思います。

 

 

新しい年を迎えるにあたって、ぼくは今年、「現実的な目標」を定め、着実にギアをあげるべく、行動または展開を起こしていこうと考えました。個人事業主2年目でもあるため、平行線ではダメなのです。前年よりも前へ。前年よりも上へ。何かを上回るというか、ステージを上へ、ギアを1段高く、という気持ちを貫くために、ここで表明したいと思います。

 

 

  1. 年間で本を120冊読了する。読んだ本はブログに掲載し、カウントする。
  2. ガラクタ整理を基本から見直し、実践して、新たな「安定」を見出す。
  3. リーディングの練度を高め、表現力を豊かにする。良し悪しではない、かといってぼやけることのない文章で伝え、届ける。
  4. 木育や野外活動を含めた現場を増やす。木に限らず、木の周りの環境も知っていく。
  5. いま自分ができることの幾つかについて、その技術を向上させる(家事・プライベート・仕事において)
  6. 責任をしっかりと考え、発言や行動をする。
  7. 覚悟を決め、発言や行動をする。
  8. じぶんの本気をじぶんで知り、じぶんの本気を知ってもらう。本気を感じてもらう。
  9. 60分バージョンの合掌行を再度行う。
  10. ヴィパッサナー瞑想を1日で最大4時間行う。

 

鼻息が荒くなるほどの気合の入れようですが(汗)ひょっとしたらこれでも足りないかなと思うくらい。それはやはり、「枠」を外したいという一念に尽きます。思い込みが知らずに定着し、停滞することだってあり得るわけです。それはたぶん、他人から教えられたとしても、中々それを受け容れることは難しいことです。だからといって真っ向から拒否するのではなく、それをきっかけのひとつとして、じぶんの手で枠を外すという大仕事を成し遂げたいと考えています。その先に何があるかはわかりませんが、仮に枠を外すのがぼくの仕事なら、それを辞めずに取り組んできたいと強く想っています。

 

 

ほかにも、実現不可能と思われる目標があります。

それは現実的に考えても、不可能と言われます。

でも、それは「いま」はだと、思っています。

 

いまその目標は無理だけど、先のことはわからない。

いまは無理な目標をそばに置きながら自暴自棄になるよりも、手放すくらい遠くに置き、そこに向かって何をすべきかを考え、現実的に歩んでいくことはできるはず。

それでも目標は叶わないかもしれませんが、そのようなものの考え方をしていくことも、とても大事だと思います。

 

 

 

現実的ということばの意味も考えないといけません。

しかし、理想について真剣に考える必要もあります。

夢と現実の距離感や、それぞれが持つ相乗効果などをしっかりと紐解きながら、ぼくが出来ることで展開を起こしていきたいと感じました。

 

 

 

 

 

 

きょうからまた、新たなスタートです。

 

改めて、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを考えながら、昨日は実家で紅白歌合戦を観ていました。

観ながら感じたことは、歌に力はあるんだなということ。

聴きたくないという時期もありますが、その時期を抜けたなら、歌というのはいい友人になり得るということ。

 

懐かしい歌にも耳を澄ませながら、じぶんのこの気持ちを歌にのせるならと考えていました。

 

 

そうしましたら、紅白の演奏曲でかかった「この曲」が、気持ちを代弁してくれているかのように(勝手ですが 汗)感じました。

 

 

 

 ザ「パワーソング」。

 

 

 

ちなみに、今年のひとつのテーマとしてかける言葉があるなら、と気持ちを込めて引いたカードが

 

 

 

No.47「直観」でした。

 

 

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キーワードは「洞察」「第六感」「天与の超能力」「内なる叡智」

 

直観ということばがあるのに、キーワードに「洞察」といった、正反対のようなことばがあるのはどうしてだろう、と思うことがあります。

 

ぼくが考える理由としては、発動した「直観」のままでは、「不純物」も混ざった状態なのではないか、ということです。それを「洞察」という行為によって「濾し」、より純粋なものにしていきます。それには「てまひま」がかかることもあるでしょうし、洞察という行為よりは「超感覚」といったセンスでそれが出来てしまうかもしれません。

 

不純物には、いろんなものが含まれています。その中に自分が求めているものがあるのだと知らずに手にしてしまうこともあると思います。それが正しいとも。でもそこに多少なりとも「疑問」を持つことができるようになりたいのです。結果中身は変わらなくても、感覚だけで判断するのではなく、たとえ瞬時てもいいから、その感覚を吟味する時間を持つことが出来るなら、たとえ得た直観も、120%活きてくるように感じるのです。

 

 

 

直観に逃げてはならない。しかしながら、直感を大切にしていく。

とても難しいことですが、じぶんを信じて、前に進みます。

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

ジョン・コルトレーン インタヴューズ クリス・デヴィ―ト編 小川公貴・金成有希 共訳 藤岡靖洋 日本語版監修 シンコーミュージック(1)

永遠とワンフレーズ 佐藤弘 イースト・プレス(2) 

 

 

 

 

-お知らせ-

 

1月2・3・4日は不在のため「整理棚からひとつかみ」を掲載します。

年輪のひとつになる。~1年間ありがとうございました~

2016年も、暮れようとしています。

 

 

 

この時期は1年の振り返りが自動的に行われますが、なんといっても大きかったのが、個人事業主としてスタートをしたということにつきます。

 

それに付随するかたちでこのブログをはじめ、無事2016年の1年間、毎日ブログを更新することができました。

 

 

 

いざブログを書いてみると、指が動かない(書けない)ことも多く、当初は苦労しましたが、これも反復練習なのでしょうか、現在では「若干」(笑)、タイプの進みも良くなっています。加えて表現力や文章力等も学ぶことが出来ているので、少しながらでも変化を見せることができたような感じがします。

 

こうなってしまうともう自画自賛(笑)でしかないのですが、決めて動いたからこそ、覚悟して動いたからこその恩恵・恩寵・はてまた天の采配だと思ってます。

 

 

 

上記のようなことばを用いたということは、すべてが順風満帆、まさしくリア充かと思いきや、打ちのめされたこともありましたし、生きることを放棄したい気持ちになったこともありました。そのような出来事は、ひとからしてみれば「マイナス」の出来事でしかないですし、他人には見せたくない部類のもののはず。かといって、こういった場所で「よいことばかり」起きているというのをアピールしているのもなんだか不自然に感じて仕方ありません。1年を通してみれば、山あり谷ありだと思います。その山の部分だけを見て、谷の部分は見て見ぬふりというのは出来ないな・・・と、ここ最近改めて感じています。

 

 

 

 

今年から新しく始めたことばかりでしたので、まさしく濃密な1年でした。中には忘れてしまっていることもあると思いますが、中には昨日のことのように鮮明に覚えていることもあります。そこからしっかりと学び取っていき、次のために記憶のスペースを空けていきたいと思います。

 

 

 

 

振り返りの意味を込めて、今年を振り返ってみると

 

 

1月

個人事業主として正式のスタート(実際は昨年秋ごろから始動)。

はてなブログで「とみーのグラウンディング日記」開始(当ブログ)。

 

2月

ガラクタ整理師である竹内清文さんのワークショップを札幌で開催することを告知。

チラシを作成し、札幌市内全区に置いてもらうべく営業を開始する。

モノ&メンタル スペースクリアラー養成講座を受講する(東京で隔週毎)。

 

3月

ボランティア等でお世話になっていた「NPO法人ねおす」が解散。

2月から受講している講座を引き続き受講。

 

4月

竹内清文さん来札。ワークショップを3つ開催する。

モノ&メンタル スペースクリアラーに認定される(講座の修了)が、さまざまなことがきっかけでその日以降「堕ちる」。

 

5月

すべてにおいてのやる気が起きず、ブログは「整理棚からひとつかみ」を当面更新する。

下旬から、通常の記事を書き始める。

 

6月

4月の出来事を振り返る「あの日のこと。」を掲載開始。

道東方面に旅行。数日間滞在する。訪れた町は「標茶町中標津町斜里町羅臼町別海町標津町清里町

 

7月

若造の頃からお世話になっていた方が亡くなる。この出来事に際し「あなたへの想い」を掲載。

フォトセッションを依頼し、撮影。

40歳になったため、特定健診を受診。

 

8月

肩書を「M’s Clearer」とし、各種セッションを公開。

洞爺湖町佐々木ファームで行われた「大地とあそぼう。」に参加。

有珠山登山。その後室蘭市で打ちのめされ、自暴自棄に憑依される。

台風が北海道へ上陸。激甚災害となる。

 

9月

知り合いのお店のガラクタ整理を手伝うことになったことから、処分品をオークションで売却することになる。当初は商品の数の多さにお腹いっぱいになり、数日手をつけることが出来なかった。

北海道日本ハムファイターズパ・リーグ優勝を決める。

 

10月

多読を開始。

オークションでの売却継続。

札幌で初雪を観測。

北海道日本ハムファイターズ日本シリーズ制覇。

 

11月

多読を継続。

オークションでの売却継続。

10月で閉店したお店の店主を労う会を主催する。

 

12月

多読を継続。

オークションでの売却を継続(年内にすべて売れず)。

札幌サドベリースクールのクリスマス会に誘っていただく。

ゴルゴ松本「命の授業」を聴講。

 

 

 

と、なりました。

 

 

木育を含めたボランティア・または経済活動は不定期ながらもいろんな現場に顔を出すことが出来たと思います。そしていくつか登山もこなしました。現場ではそれぞれ感じること、そして学ぶことが違うので、毎回いい勉強をさせてもらっています。今後もこの活動を続けていきたいと思います。

 

ガラクタ整理は講座受講から定期的に行っており、講座受講後も続けています。終わりが見えないことにたいしては嫌な感じはまったくせず、「ああ、こんなところもあんなところも」という感じで、新鮮な刺激を受けています。

 

オラクルカードはそのリーディング内容についてはっきりとした意思表示をする必要があると感じました。どこにでもあるような「占い」ではなく、「利益」のみを知るためだけのツールにするのではなく、その人にとって必要なメッセージを伝えることが出来る土台作りをする必要を感じています。

 

 

 

 

個人事業主としてお1年目は、そう大して利益を得ることは正直できませんでした。が、まったく無収入だったという訳でもなく、希望も残し、課題も残りました。それは段階的にギアを上げていく必要があるということを、暗に教えてくれているようにも感じています。来年はもう1段、2段とギアを上げていき、活動の効率を上げていく必要を感じました。その中で生きてくるのが表現力であり、佇まいや振る舞いなどだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年も、残すところ数時間となりました。

今年は個人事業主として動き始めたこともあり、ほんとうに多くの方と出逢いましたし、それに比例してたくさんのことを学ばせていただきました。

反面、後悔や反省点も残しています。来年はその点から少しでも「満足」や「充実」などに転換できるよう、ひとりの人間として、個人事業主として活動していきます。

 

1年間、このブログを読んでくださったみなさま。

そして、ぼくと関わっていただいたみなさまに、心より御礼申し上げます。

 

どうか良い年越し、そして新年をお迎えください。

 

 

 

 

 

1年間、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、今日引いたカードは初めてのカードでした。

 

 

No.35「新しい人間関係」

 

 

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キーワードは「結びつき」「つながり」「友情または愛のはじまり」

 

 

 

 

 

ひとは占いを求めるとき、新しい出逢いが訪れることを期待します。

でも、新しい出逢いというものは、勝手に向こうから「やってくる」ものなのでしょうか。

 

 

仮にそうだとしても、そのことに気がつかない自分であれば、占いなども無意味なものになってしまいます。

 

占いで建設的な答えを求めるひとの多くは、何だか自分自身はそのままの位置でいて、向こうからこちらにやってくるという構図を期待しているように見えて仕方ないのですが、ほんとうに求めているものであれば、その位置から少しでも動く必要があるのではと思いますし、変化することを厭わないという気持ちでいなければならないと思います。

 

 

 

新しい出逢いを感じるとき。

それはひとえに「変化」の賜物だと感じています。

明日から2017年ですが、どのような出逢いが待っているかは、わかりません。

そのすべてが必要なものであり、運命であるように、ぼく自身が常に進み、変化や展開をもたらしていこうと改めて感じました。

宅配便(宅急便)問題に関するいち考察~佐川急便報道から考えたこと~

 

先日、1本の動画が話題となり、たちまち大きなニュースになりました。

 

 

 

それは大手宅配会社「佐川急便」の社員が荷物の配達中に起こした「行動」。

荷物=商品であるにも関わらず、その荷物をぞんざいに扱う姿が撮影されていました。

 

その後会社は事実関係を認め、謝罪。

特定された社員も事実を認め、現在は配達業務から離れているようです。

会社は今後モラルの徹底を行うとコメントしていました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

それを機に、宅配業界の「現状」を知らせる記事が次々と出てきました。

ぼくが目にした記事の中身は「取扱い荷物の増加」「宅配完了率の低下」など、総じていい話ではなく、結構な綱渡りをしているということが垣間見えてきます。

 

昨日、この問題をワイドショーで取り扱っていて、専門家(専門に研究しているかた)もコメントを寄せていましたが、いろいろと思うところ、そして考えるところがありましたので、あくまで「ひとつの考え」として書いていこうと思います。

 

 

 

見聞きした報道の背景を見ていくと「配達に訪問しても不在で、荷物を持ち帰る率が高い」ことと「配達しなければならない荷物の量がハンパなく多い」という状況が見えてきます。その状況に拍車をかけるように「人員が少ない」「宅配ボックスなどの活用に限界がある」という現状も見えてきました。

 

 

 

 

この佐川急便のドライバーが起こした騒動のあとに、ヤマト運輸側の見解として、通販商品をはじめとした荷物の配送個数がぐんと多くなり、朝から晩まで働き詰めという記事が出ていました。そう考えると、今回は佐川急便のドライバーが起こしてしまいましたが、これは特定の会社に限らず、どの会社の、どのドライバーにも起こり得る、まさしく一触即発に近い状況だというのがここで初めて見えてきました。

 

 

 

これらの記事を読んでぼく自身が感じたことは、物流の分野における変化に気づいていたようで、実は気づいていなかったのではないだろうか?ということが見えてきます。

 

 

 

これは札幌限定の話しで、かつぼく個人が感じた印象の話しになってしまうのですが、宅配で利用する業者は「日本郵便(郵便局)」「ヤマト運輸(クロネコヤマト)」そして「佐川急便」の3社に絞られてくると思います。

 

 

この3社に範囲を絞って考えていくのですが、まずこんな問題を感じました。

 

 

それは「配送拠点」の問題です。

 

 

 

まず日本郵便ですが、荷物を配達するための拠点は各区に最低1か所あると考えられます(札幌市は10区なので、最低でも10か所)。その場所はゆうゆう窓口と言って夜でも窓口が開いている郵便局になり、24時間体制で郵便業務を行っている重要な場所になっています(貯金や保険業務は除く)。

 

過去年賀郵便のアルバイトをした経験があります(厚別郵便局)が、配達の際にはその場所を配達拠点として業務を行っていました。

 

郵便局は普通郵便のほかゆうパックといった小包も配送してきたので、相応の経験を積んできています。もちろん繁忙期に関しては臨時で人員を増やし対応していますが、時折配達量の多さに嫌気が指してしまったというケースが報道されていました。

 

 

 

続いてヤマト運輸です。ヤマト運輸も各区に営業所がありますが、拠点の設置は郵便局以上にあると思います。その理由としては、その営業所を基点に配達をしているかどうかで、郵便局については簡易郵便局など、業務内容が制限されている場所もあります。配達拠点にはならずとも、その他の業務を行っているところが多いという印象もありましたので、配達拠点数についてはヤマト運輸が多いとの認識になります。不在票を見てみると、受け取りの荷物を管理する営業所が最寄りの営業所であることも魅力です。

 

 

 

最後に佐川急便です。佐川急便はこれまで結構な度合いで批判を受けてきています。その最大の理由は配送の際の荷物の取り扱いにあります。どうしてそう思うのだろうか?と考えたときに見えてくるのは、宅配最大手のヤマト運輸の存在があり、そこと比較していくと多くの人が見劣りしていると感じてしまうところにあるのだと思います。

 

これはぼく個人が経験した話ですが、知人がなまものを贈って下さったのですが、配送業者が佐川急便でした。荷物がなまものであるため配送に関してはそつなくこなすだろうという憶測を持っていたのですが、そこで思いもよらぬことが起きました。

 

なんと、配達日は在宅していたにも関わらず、その日は配達なし。

おかしいなと思って郵便ポストも見てみたのですが、不在票も入っていませんでした。

 

結果配送は遅れてしまい、なまものは食べることが出来ない状態に。

これに対してクレームを入れ、代替品を佐川負担で送ってもらったという経緯がありました。

 

ここまで判明するのに、実はまる1日の時間を要しました。

フタを開けてみると伝票に書いてある住所が「あいまい」であったために、違う場所に配達。その場所が不在であったため、不在票を入れて持ち帰ったとのことでした。

間違いは誰にでもあるとは思うのですが、あいまいで判断がつかない場合であれば電話で確認もできるのにな・・・と、その時は思いましたし、伝票に電話番号を記入する意味がありませんよね。そういった意味でも、情報判断する材料を有効に活用していないなと感じました。

 

そして、こちらの不満を募らせたのが「連絡先等」でした。

不在票等が手元にないので自前で調べてみたところ、佐川の配送拠点は札幌市に2か所あることがわかりました。営業所等の確認は行いませんでしたが、電話をしてもつながらなかったため、FAXでクレームの連絡を通知。翌朝一番に営業所の担当からお詫びの連絡をもらったのですが、ただお詫びするだけで解決が見えてはきませんでした。

 

そこでもうひとつ驚いたことがあり、その時には既に厚別区から中央区へ引越をしていたのですが、荷物の保管等を行う担当の営業所がなんと「白石区」。

佐川急便の拠点は西側(小樽方面)にもう1か所あり、そこからの配送になるかと思いきや、遠い場所からの配送となることに驚きを禁じ得ませんでした。加えて、早急に配送する必要があるにも関わらず、その優先順位が「至急扱い」にならなかったこと。最後まで温度差を感じる対応となってしまいました。

 

 

 

結局不満話になってしまいましたが、以上のことから見ていくと、佐川急便の配送拠点は極端に少ないのでは?と感じてしまいます。そこから考えると、荷物を積んで配達に出るのはいいですが、遠いところまで配達しなくてはならなくなります。そしてそれが不在ばかりで、持ち出した荷物の大半を持ち帰ることが続いたとしたら、空虚感を感じてしまうのも無理はないのかもしれないと感じました。

 

 

 

 

3社を比較してみると佐川急便の旗色が悪い印象を持ちがちですが、ヤマトであれ郵便局であれ、同様の問題を抱えていますし、荷物廃棄などの事件を同様に起こしてしまっていたりもします。その頻度に違いがあるのはやはり社風というか、会社の営業方針であったり、従業員の使い方に違いがあるのではないかと感じています。

 

パフォーマンスの維持や向上、そしてモラル等の確立はもちろん必要ですが、とても大きな問題としてあるのは「たくさんの荷物を如何に配達完了にするか」です。ここを効率よく解決していかない限りは、ずっと同じことで悩み続けることになります。

 

しかし現状は、この荷物を配達完了にするためにかける労力がどんどん増えていっているそうで、そこには取扱いの荷物の量も大きく関係しています。ということは、取り扱う荷物の量が急激に増えたにも関わらず、インフラが充分に対応しきれていないままになっている、ということが言えます。インフラの整備も、単純に人を増やせばいい、拠点を新しく作ればいいという訳では、もはやなくなってきています。

 

 

 

ここで、いま宅配業界で抱えている問題を整理してみると

・取扱いの荷物の数がかなり(爆発的に)増えた

・配達を行う人員が少なくなってきている(または日常的に少ない)

・配達の効率が悪い(なかなか配達完了にならない)

 

 

これに、ワイドショーで言っていた問題を追加してみると

・温暖化の問題

・インセンティブの問題

 

 

が出てきます。

 

 

 

もともと、出てきた問題は「ひとつ」であったように思いますが、それが「まだ大丈夫」と言っているうちに、許容量を超えてしまったと見るべきではないかと感じます。

 

そしてこれはもう、いち会社の問題ではなく、業界全体の問題になっており、これを放置してしまっては様々な分野においても多大な悪影響を与えてしまうことになりかねません。

 

 

こういった問題に対してはよく「企業努力」ということばを投げかける方がいますが、もちろんそれも必要です。しかし、それだけでは到底解決出来ないとしたら、他にどんなことばをかけてあげるのでしょうか?それでも「企業努力」しか言うことが出来ないならば、それは「企業努力」と「根性」を混同してしまっているのかもしれません。

 

 

 

これ、もう立派な「社会問題」であり、または「環境問題」でもあると思います。

この状況が悪化していくと、他の分野においてもその影響が及んでいくと考えるのが自然です。

 

 

では、どのような問題が起きてくるでしょうか。

 

 

仮として、問題の発端を「取扱い荷物の爆発的な増加」としますと、そこに色んな問題が付随してきて、雪だるま式に問題が膨れ上がります。

 

 

荷物量が増える

+日時指定の配達品が増える

+不在となり、営業所に持ち帰る荷物が増える

=次第に時間に縛られた配達となっていき、ひとりでの配達は困難になっていく

 

 

上記の展開を放置すると

 

配送のための人員が足りなくなる

+配達員の拘束時間が増加し、ときには休日も減る可能性が出てくる

+遅配が生じる可能性が出てくる

=配達事故(総じて)が発生する可能性が上がる

 

 

そしてこの状況が、意外なところへの影響を及ぼします。

それが排気ガス」。

 

ワイドショーで話していたことなのですが、排気ガスの割合を分析した際、およそ4分の1が宅配を行う際に発生するものだという話が出てきました。この表現は正確ではないかもしれませんが、宅配業者の車から出る排気ガスが温暖化を促進しているという衝撃的な展開です。ここからの影響を考えていくと

 

 

排気ガスが増え、温暖化が進む

+環境悪化(大気の汚れが顕著になる)

+路線によっては配達時車線をひとつ塞ぐことが多くなるため、円滑な交通に鈍りが生じる

+日常的に道路が混みあう

=日常生活や余暇行動に影響が出る(観光地、または観光都市では訪れる人数の増減が顕著になるかも)

 

 

 

となる可能性が生じます。

ひとつの問題がその他の問題を「引き寄せ」、どんどん大事になっていき、それを放置し続けるとなかなか手が付けられない状況になっていくのは、想像に難くないと思います。

 

 

 

賃金やインセンティブ等の問題もありますが、これはまず会社側が積極的な方策をとっていく必要があると思います。その行動を起こしてダメだった場合は、業界全体で考えていくべきだと個人的は思います。

 

 

 

 

このように、ひとつの事件から様々な問題が見えてくることになりました。今回の件に限らず、他の業界でもこのような「ギリギリ」のことはあると思います。しかし考えて欲しいのは、その状況がいつまでも続くという保証はどこにもないし、いつまでも続けられるとは限りません。これは片方(特に下請けや納品業者)だけが我慢すればいいという話ではないですし、先の見えない話です。だって、その業者がダメになったら、結局は他の似たような業者を探してくるのですから。どうやら商売をする人は、他人に「我慢」をとことんさせたいようです。その先に大きな恩恵が待っているわけでもなく、真綿で首をしめるかのような仕打ちをしていると知らずに。

 

 

 

 

 

これを解決する策は、あるのでしょうか?

現在は荷物をコンビニで受け取ることができるようになったり(その他提携店や営業所でも受け取り可能に)、宅配ボックスを駅などに設置するようになりました。

宅配ボックスは好評のようですが、数に限りがあるためいつも争奪戦になるそうで、劇的な打開策には至っていないようです。

 

このような動きがあるのは、やはり再配達の件数を減らしたいということが明確です。そのために色々と動き出しているわけなのですが、ぼくが考えたのはこのようなことでした。あくまで素人的な考えなので、その点はご了承ください。

 

 

その解決策とは

 

「空き店舗などを利用した、荷物預かり所の設置」

 

です。

 

 

この発想を思いついたのは、東京の友人宅にお邪魔した際のことがきっかけでして、そこはいわゆるマンモス団地のようなところで、宅配の車は専用の駐車帯に車を停め、そこを拠点として多方面に配達に向かいます。

もちろん、不在であれば車、そして営業所へ持ち帰り、再配達の時を待つわけですが、そのマンモス団地は建物の1階部分に店舗が入っており、小さな商店街になっていました。そしてそこには当然、空き店舗がありました。

 

こういうところを使えないかと素朴に感じたのです。そこを拠点にして受け取りをすることが出来れば、ドライバーの負担も減るし、受け取る側も比較的近所で済む。持ち歩きの時間も最大限短縮できます。

 

 

ただ、この預かり所は「運営」になるので

・宅配会社の共同出資による運営

・新たに雇用を生むこと

 

が条件になってきます。

 

扱う荷物には制限がかかりますし、法的にどうなるかも調べてはいないので、これが現実的に実現可能かどうかはまったくわかりません。が、再配達に係る労力を分散・軽減させることが急務なのは変わりませんし、そこだけを目標としても無理があります。この問題を解決するために新たな経済的行動を展開していくこと等を含めて考えていく方が自然ではないかと思うのです。仮にこのような場所が出来れば、その場所に付随して新たな施設を造る動きも出てくるかもしれません。それはやがて環境問題にも一石を投じ、ゆるやかながらも改善のための実績を積み上げることにもつながっていくのではないかと感じています。それは新たな「生活デザイン」になるのではないかと考えていますし、場所によっては観光も絡んできますので、「観光デザイン」として考えていくこともできると思います。

 

 

以上、長々と書いてしまいましたが、このサービスを利用する側も気配り、配慮がもっと必要になってきます。その相互作用がなければ、改善の足取りは重くなります。

環境を見渡してみると、規模に関わらずいろんな問題が目についたりします。その解決を他人任せにしていては、いつまでもその問題は解決しないと考えていいでしょう。かといって個人単位で取り組むにも無理があります。地域の問題は地域に住むひとたちで解決し、改善していくのがほんとうは望ましいです。さらに望むべくは、その地域に深く関わる企業にも参加してもらい、よりよい「くらし」を目指すための努力をともに傾けていってほしいのです。そうすることで、「管理」の意識が共有化されますし、「維持」の意識も高まります。それは結果「安全・安心」な環境につながっていくのではないかと考えています。

 

 

 

 

 

ぼくもオークションやネットショッピング、旅先からの配送などで宅配を利用します。

だからこそではありませんが、荷物は出来るだけ最初の配達で受け取りたいですし、受け取ることができるように工夫をしています。荷物が事前に届くことが分かるサービスをヤマト運輸は提供していますが、それを使いこなせていない限りは、どこかで再配達は出てくるでしょう。再配達をゼロにすることは無理でも、ゼロに近づけていくことは可能です。それは業者、そして受取人双方の工夫が必要です。その工夫が思わぬところに良い影響を及ぼすと信じていきたいです。

 

 

 

内容はショッキングなニュースでしたが、この時期に読んでいた本などから考えが膨らんでしまいましたので、長くなってしまいましたが「じぶんの考え」を書いてみました。

 

明日はいよいよ、2016年最後の1日になります。

明日は今年1年のガラクタ整理について振り返り、新年を迎えたいと思います。

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

大覚寺大沢池景観修復プロジェクト 古代と現代をむすぶ文化遺産 真板昭夫・河原司 編 世界思想社

草魚(ソウギョ)バスターズ もじゃもじゃ先生、京都大覚寺大沢池を再生する 真板昭夫 飛鳥新社

 

 

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先延ばしを止めることは、恩恵を受けることにつながるということをどこかで、自分自身の力(いのち)でわかって欲しいです。

2016年も残り数日。

 

 

 

大掃除(家の掃除)も無事に終わり、年末年始の買い物も行い、年末特番を順調に消化していっています。

 

そんな中、先日終了したオークションの発送準備を行ったのですが、その一連の流れが今年のこころの動きのビフォーアフターを象徴している出来事だと、振り返ってみて感じました。

 

 

 

 

どういうことかと言いますと、オークションをやっていると、梱包に思いのほか時間を取られることがあります。それは商品の性質にもあるのですが、どのように保護し、箱詰めするかというのをある程度考えながら進めていく必要があるからで、場合によっては新たに資材を調達してくる必要があったりもします。

 

 

 

今年最後になった発送のための準備は、梱包にひと工夫を施さなければならないものばかりだったため、少々面倒に感じていたのです(汗)

 

 

 

 

 

理由はかんたん。面倒だし、時間がかかるかもしれないから。

 

 

 

 

とはいえ、荷物は梱包を施し、発送しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局は梱包を行うことになったのですが、問題は「いつ」やるか。

 

 

実はこれまでは「まとまった時間が出来たらやる(または時間を創る)」という考えでいました。要するに、万全の態勢で臨みたかったということです。

 

 

 

では実際のところどうだったのかと言いますと、

 

 

 

ほんの20~30分ですべての梱包(1次)が終わってしまいました(笑)

 

箱詰めする際に商品を保護するための梱包を施すのですが、箱詰めよりもこちらに時間がかかるため、イメージで「まとまった時間が必要」と考えていたのですが、実際のところはそれを大幅に下回る数十分間で終わってしまいました。

 

 

 

 

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 1次梱包が終わった直後。ほんの20-30分で梱包。

 

 

朝の数十分間というのも、実は出かける予定があったため、それまでの間に出来るところまでやっておこうと思い行動したのですが、まさか全部包んでしまったことに驚き。その光景を確認するとともに、ガラクタ整理などを通して培ってきたことが確実に活きているということを実感しました。その後の時間の使い方にも余裕が出来たのは、もはや言うまでもありません。先延ばしをやめることは、予定をも建設的に書き換えていきます。

 

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これで梱包完了です。

 

 

 

もうちょっと詳細を語りますと、

 

 

 

まとまった時間を創ってからやろう、というのは、ぼくのなかでは代表的な先延ばしの常套句、だったのです。

 

なぜこれが先延ばしになるのか?

 

 

まとまった時間を創る必要が本当にあるの?ということなのです。

言い換えれば、ちょっとでも時間があるならば、その時間をやるべきことに費やせば、後から用意しようと考えていた「まとまった時間」を設ける必要はなくなるのではないか?ということなのです。

 

今できることを、今やらない。

後々やればいいから~と先延ばしをして、実際後から痛い目に遭ったことは、多くの人が経験済みかと思います。

 

 

 

 

 

 

そんなことを経験しても、また同じようなことをやってしまう。

 

どうしてでしょうか?

 

以前痛い目に遭ったはずなのに。

 

 

 

 

不思議ですよね。

 

 

 

 

 

結局、ものごとの「中身」で優先順位を決めてしまっているということになるのではないでしょうか?

 

確かに日常を過ごしていくと、あれもこれもと手を付けていかなくてはならないことはあります。緊急度だったり、重要なものであったりと、基準は様々です。

 

 

 

しかし、そんな基準はあったとしても、それらはすべて「やらなければならないこと」に変わりはありません。

 

それを「いずれ」という魔法を使うことによって、自分で自分の成長や進化を「停滞」させてしまっていることでしかないことに、気がつかないのは本当に不思議です。

 

 

 

 

そうはいっても、ぼくもすべての事に対して先延ばしをやめることが出来たわけではありません。ただ、その割合が大きく減りましたし、減っていったことで時間の使い方が大きく変わった実感があります。それは結局、自分を変えていくことに直結します。

 

そんな身近なところに目を向けず、アサッテの方向を向いてものごとを解決しようとしているひとは、実際にいます。そんな人ほど、他人の意見には耳を傾けず、自身の感覚にのみ信頼を委ねがちです。反省もしているようで、していないでしょう。その人がどのような人生を送っていくかは、まさしくその人自身の問題であり、それこそ責任問題です。ハイヤーセルフだったり、サムシンググレートだったり、大いなる存在は、そうかんたんに自ら手を出すことはしないと思います。ただ気長に「気づく」のを待っているだけではないだろうかと思うほどです。

 

 

捉え方は人それぞれだと思いますが、自分の利益「だけ」にフォーカスを当てた解釈では、本当の理解にはつながらないと、冷え込んだ年の瀬にふと感じました。

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

本田宗一郎 「逆境」を生き抜く力 梶原一明 KKロングセラーズ

 

 

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旅の終わりが、少しだけ見えてきた日。~ダンマの思い出⑨~

瞑想合宿も、佳境に入りました。

 

 

 

ヴィパッサナーの日を迎えてからは、瞑想をする際の意識の向け方が細かくなりました。

 

からだを動かすことを極力控え、瞑想という行為に大幅な時間を割り充ててきていますが、不思議と体力の低下と空腹感が強くなります。

 

 

 

ただ座っているだけ。

しかし、集中という行為を続けている。

 

 

 

そのようなことが体力を過分に消費し、食欲を引き寄せるなんてことは、まったく想像しいていませんでした。

 

よく考えてみれば「ああそうだよな」となるのですが、「体力が減る」「お腹が減る」メカニズムというか、仕組みというのがシンプルに感じ、わかってきた時期でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

瞑想合宿の後半は、その密度が一気に濃くなりました。

密度が一気に濃くなったことで、いい影響が生まれました。

それは前半に比べ「瞑想のことを考える」時間が増えたこと。

前半はそこそこ余裕があったので、弱音を吐いたりしていましたが、後半になってからはそんな余裕もすべて瞑想について考えることに充てていました。これって不思議ですね(笑)

 

瞑想合宿の後半こそ、純粋に瞑想をすることが出来る環境を得ることが出来たような気がしてなりません。無心になるくらい、不安や心配を排除というか、気に留める余裕すらない、またはそれすら気に掛けることはなくなるくらい、合宿を満喫(笑)することができるようになったと思います。

 

 

 

 

 

 

そんな濃密な時間を、わずか数日でしかなかったのですが、過ごしていきました。

 

瞑想合宿を始めた頃は終わりを迎えるまでの日数を数えていましたが(汗)、後半になるとそのような癖(または往生際が悪い?とも言う)は霧のように晴れていきました。さすがに最後の最後では残りの回数を数えてしまいましたが、最初の心境とは180度異なるものでした。

 

 

 

 

しかし、最後までわからなかったのが夜に行われる「講話(法話)」。

 

この話の時間が意外にも長く、瞑想よりも集中力を欠いてしまいます(汗)

 

もちろん、1日1話としても10のお話があるため、その全てを覚えておくのはかなり困難ですし、その内容なども理解していかなくてはならないため、1度の話しではそうそう落とし込むことはできません。アシスタント指導者も「何度も聴いていくことが大事」とお話をしていらっしゃいました。瞑想も継続することが必要ですし、必要なお話は繰り返し聴いていくことが必要。つまりは「継続は力」ということになるでしょうか。その時は今後続けていくことなど考える余裕すらありませんでしたが、いま瞑想だけでも継続していて思うことは、あの時よりも何かわかることがあるかもしれないという、漠然とした自信があります。瞑想を続けてきたというのがその根拠になるのですが、その一言で表現できる何かが、そこにあるような気がします。表現するのは難しいことですが。

 

 

 

 

ここまで書いていくと、1日を通してずっと「頭を使う」作業をしていたことがわかりました。瞑想に限らず、講話(法話)でも理解するために頭を働かせてきた。その甲斐あってと思うべきなのでしょう、消灯時間は21時30分頃(遅くても22時)だったと思うのですが、思いのほか寝つきは早かったように感じました。もう、バタンキューです、文字通り(笑)

 

 

 

 

 

そうしていくうちに、合宿終了目前のところまで無事にやってきました。

ここまで来ると、感慨もひとしおです。

数少ない瞑想の時間を、もっと大切にしていこうと思うくらいです。

 

 

 

 

 

 

そして、ひとつのアナウンスがされます。

 

それは、合宿中の戒め(ルール)を事前にひとつ解除するというもの。

 

 

 

その戒めとは「コミュニケーション」でした。

 

 

 

合宿瞑想を終了する前に、事前にコミュニケーション(主に会話)を解禁して、日常行動に少しずつ慣れてもらうというのが狙いのものでした(コミュニケーションは同性間のみだったはず)。

 

その他の戒めは終了まで有効となるのですが、1日の中で声を出すことがほとんどなかった(または一言も発しない日もあった)ため、第一声を発するときはちょっと緊張しましたし、話をしてもいいよと言われたのに「声を出してもいいんだよね?」「話をしてもいいんだよね?」と、声に出して確認するという展開に(笑)

 

その雰囲気に慣れたあとは、一気に瞑想中のあれこれをみんなでわいわい話すようになりました。もちろん瞑想中は会話禁止ですが、それ以外の時間会話はOKで、解散となるまでの短い時間でしたが、とても新鮮で、とても清々しい気持ちになることができました。

 

 

 

 

 

 

このような「制限」は日常生活にも当てはめることができます。

 

小さい頃だと「ゲームは1日2時間まで」とか(笑)

大人になると「お酒はビール1本」とか(汗)

何かと条件、または制限を設定していると思います。

 

ここしばらくの間参加していませんが、座禅断食を行っている間は食事は抜きます。水かお茶(ノンカフェイン)、または塩を少量口にするだけといった生活を行います。その後制限を段階的に解除していくのですが、とてもありがたみがわかります。これと同様に瞑想合宿中の戒めの解禁も、とても嬉しく感じることでした。

 

 

 

それは「我慢」ではなく「辛抱」だったかもしれません。

命の授業を行っているゴルゴ松本さんも仰っていましたが、我慢よりも辛抱がいいとお話されていました。字面もそうなんですが、漢字に込められている意味に大きな違いがあるとのことなんです。

 

 

かんたんにいうと、「我慢」はネガティブ。「辛抱」はポジティブなんです。

 

 

普段何気なく使用している言葉ですが、似た意味として使ってしまっていることばにも、ほんとうの想いや意味、祈りのようなものは込められているんだということを教えてもらいました。そのためでしょうか、自分が伝えていくことばも、より多くの人に伝わることば、届くことばを紡いでいこうと考えるようになり、実践を続けています。これはもう終わりのない行為なのですが、いまは回りくどい表現でしか伝えることが出来ない内容でも、どんどんシンプルになっていって、より伝わりやすくなる、より届きやすくなるようになっていけば御の字だと感じています。そこを目指すためにはもちろん、大いなる土台が必要です。天性の才能でもない、大いなる存在からの大いなる恵みでもない。圧倒的な自分自身の努力が必要だと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戒めのひとつが、解禁となりました。

戒めが解かれるということは、この合宿も終わりがすぐそこまで来ているということ。

 

その実感もないまま、最終日を迎えることになりました。

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

エコツーリズムを学ぶ人のために 真板昭夫 石森秀三 海津ゆりえ編 世界思想社

 

 

 

 

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