つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

ふとしたこと。

朝、外に出ると鳥たちの啼き声が聴こえてきた

その声に耳を澄ませていると 普段は聴くことのない鳥の声だった

しばらくその声に耳を傾けながら歩いていたとき

外の世界の変化に 眼を向ける余裕がなかったことを自覚した


道路の雪は徐々に融け

アスファルトや氷の路面が顔を見せる


しかしそこに厳しい寒さはなく

寧ろもう少し頑張ればという 希望が見えているかのような足取りが増えていた



通勤時の人の流れや

下校中の小学生

工事の風景や 彩を取り戻そうとしている看板






世界は春を待っているとともに
春を呼び込む努力を行っていることを知った

先々の用心をする。

きょう、アサイチで車に取り付けてきました。

 

それは、ドライブレコーダー

 

昨年から何かと取り上げられている、あおり運転(でしたっけ 汗)による事故の影響から脚光を浴びることとなったカーアイテムのひとつです。

 

 

 

 

 

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昨年の事故報道の後は、お店からほぼ在庫がなくなったそうです。

 

年明けに在庫も安定するとのことでしたが、人気の機種は入荷待ち状態が続いているとのこと。国内外のメーカーがいろんな機能を携えて商品をアピールしていました。

 

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実は函館を知らなかったことに気づく。

例年にはない、あたり一面真っ白な世界を体験しています函館。

 

毎週月曜から金曜までの滞在ですが、面白い体験をさせてもらっています。

 

 

 

何が面白いかといいますと、「食」が面白いのです。

 

函館に連続して滞在してわかってきたことは、特徴的なお店が多いということ。

札幌に住んでいてはまったく気が付かなかったことが出てきたのです。

そのため、今週の出張は外食が大半を占めました(笑)

 

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外食ではありませんが(汗、おなじみやきとり弁当(実際はミニ)。

 

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都合。

昨夜から函館は寒さが緩んできました。

きょうの午後には雨が降るほどの暖かい時間もあり、雪が水に変わっていきました。

そのいっぽうで路面はオフロード並の悪路と化しました。右に左に、前に後ろにからだが揺らされました。


お昼休憩のときですが、車中からこんな光景を発見しました。



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実はここに、何台もの車が並んでおり、そのうえに雪が積もった結果、すっぽりと包まれてしまいました。それほど今シーズンの函館は雪が降ったことを物語るシーンに感じました。


来週の予報では、傘マーク(雨予報)がついている日が1日ありました。気温も大分高くなるようです。そこでふと考え付いたことは、「都合」というものでした。

仕事やプライベートでは都合をつけてもらったり、逆に都合をつけたりしています。とにかくいろいろとしたやりくりがこの流れの中では起きています。


都合については二通りのタイプがあって、ひとつは自分で都合をつけていく人と、もうひとつは相手の都合に合わせるという人がいます。どちらが良くてどちらが悪いというのは、特にないと思います。まぁ、どっちもどっちですね。

ぼくがこれまで経験した中での話でいいますと、大事な用件に関しては、自分が都合をつけるのではなく、相手の都合に合わせるというケースがほとんどでした。


このことについて、帰りの車中でふと素朴な疑問が浮かびました。なぜ都合を「つけてもらう」のだろうか、と。
大事なことであるはずならば、優先的に自分の予定を埋めていくべきはずなのに、相手の出方を待つのはどうしてなのだろうか。
その背景には、たとえ大事なことであっても、対象となる人や案件、そして優先順位が大きくかかわるのだろうと考えています。
そう。たとえとても大事な事項があり、優先しなければならないことがあっても、相手の都合に合わせることなく自然消滅してもいいと考え、実際に行動するケースがある。

都合とは、あくまで自分本位の優先順位を指す。
詰まるところ、自分にプラスになることに対してしか積極的に動くことはない。ネガティブなことについては、しぶしぶかもしくはフェードアウトを計算する。
人間は、いろいろ考えているんだなぁと感じてしまいました(ぼくも一応人間なんですが 汗)。

きょうの函館の天気を見て、人間の都合などお構いなしの様相がありました。
天候は、人間の準備などを「待ってはくれない」のです。
天候と言わず、自然そのものが相手の都合に合わせてくれる訳ではないのです。

そのように考えていきますと、「自分のことを考えて○○してくれるだろう」というのは、少々驕りが入っているのかもしれないな・・・と感じました。



出張から戻りまして、疲労から帰りはタクシーを利用しました。
ここから春に向けて、いろんな都合が動き出します。
限られた時間の中でどのようにして大事なことをひとつひとつ片づけていくか。

そこに成長のカギがあるように思えてなりません。

文字を「打つ」のはムズカシイ。

ブログは現在、自宅で書き貯めていた記事を予約投稿して反映させる形式をとったりしていますが、今週に関してはこつこつとスマホで記事を書き、アップしています。

記事のアップは大体オリンピック番組に後となっていて、本人は若干焦りを感じながらの投稿になっています。笑


きょうの函館は暖かさを感じました。現場の駐車場にある氷が融けるほどの暖かさです。車内にいますと、その日差しで充分に暖かさを感じれる強さがありました。



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今朝の函館駅



ブログを続けていきますと、当たり前のように思考がストップしてしまいます。予め頭のなかでぼんやりと書く内容を考えていても、その内容がすっとんだりしています。どうやらぼくは頭のなかで思考を置いておくことが苦手なようです。

その影響は、書くことにあるかもしれません。
若い頃から、書くことぱかりをしてきました。大学のレポートや友人等への手紙など、メールがあっても敢えて手紙という形式にこだわっていました。いまでこそ筆は遠くなってしまいましたが、何かを進める際は頭のなかで整理するのではなく、いちど書き出してから整理することがあるほどです。

また独特の感覚として、自分が得た感触をどう表現したらいいのかが迷うのです。そのヒョウゲンデ合っているのか、充分に説明できているのかなど、いろいろ考えてしまいます。そのまま考え続けていきますと、ついには忘れてしまいます(笑)。ほんとはこれではいけないんですが。

飛び飛びながらも、函館に滞在している期間が長くなっています。今夜は寒さも厳しくなかったので、JR駅にあるお土産やさんで地ビールを購入。ほかにはコンビニ限定の高級品缶コーヒーを買いました。お値段300円(税別)



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函館での出張を楽しみながらも、どこかで新たな感触を得ようと画策しています。短期間の滞在しかしてこなかった函館ですが、今回の滞在ではいい発見が出来ています。この感触と感覚を他の土地でも広げていき、伝えること、伝わること、そして届けることの追究をしていきたいと思います。

本音と建前=意義と意味。

先週は道北の留萌市

今週は、再び函館市に出張しています。



函館は、雪です。

大雪です。



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この写真はきょう午後の函館と隣の北斗市のあいだくらいの場所。七重浜がすぐ近くにあるため、潮風が強く吹く場所です。

積雪も札幌以上にあり、勢力が強くなっていると感じました。函館ですらも、春の訪れは遅れるかもしれません。

例年であれば雪などほとんどない土地ですが、ホームセンターでは除雪用具がバンバン売れるほどの変わりよう。今年の冬は、厳しいものになりそうです。


連日、仕事が終わってホテルに戻りますと、五輪の番組にチャンネルを合わせています。週末から嬉しい報せが続々と入ってきています。



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嬉しい報せの陰では、惜しくも入賞ができなかったという事実もあります。まさしく天国と地獄ですが、そこで僕なりに感じるものがありました。

これまでの五輪のイメージは、期待ばかりが高まる傾向にありました。そのため、メダルを期待されていた選手が結果を残せないと、批判の応酬を受けてしまう流れがあったように思います。これは自国開催のときなどにも当てはまりますが、背景としては「結果主義」にあるのではと考えています。

そうでなければ、競技の際に禁止されている行為をしてしまう理由が見つかりません。国の面子も確実にあります。そう見ていくと、平和とスポーツの祭典ですらも、大きな争いの場となってしまっているのかなと考えていました。

4年にいちどではありますが、意義と意味について考えます。同時に、それは本音と建前とにつながっていきます。これは何も特別なものではなく、個人の日常にも当てはまります。そうやって生きているのが、事実だと思います。

政治的にも利用されてしまっている現状を見て、何だか悲しくなりました。何のための祭典なのかがわからなくなってしまうからです。個人も国家も、己だけのための行動をとっていては、その後ろにはわだかまりが必ず生まれます。それをだれのせいにするのか?わたしたちの今後が試されていることを知っていかなくてはならないと思います。

難しいけど、ぼくは建前を使いたくない。
これまでたくさん傷ついた者の意見です。

外の世界には、拡がる何かが必ず存在しています。


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先週は、留萌市に滞在していました。

さすが、雪の多い地域です。
海も近いためか、寒さが凍みました。

月曜から金曜までのあいだで、雪がやんで晴れ間が見えたのはたった1日。それ以外はとにかくしんしんと雪が降り積もっていました。


留萌は20代の頃、道路の区画線工事で滞在していました。それ以来の滞在になります。
今回は雪の降りも強かったため、仕事の帰りにスーパーに寄って買い物を済ませることが多く、夜の街を見学しに行くことはありませんでした。今回の宿は留萌駅から徒歩圏内にあるホテルでしたが、興味深いパンフレットが置かれてありましたので、別の機会に紹介したいと思います。

いまのところ、仕事で赴く場所はどこも降雪量が多いです。ここまできますと、自分は雪男なんじゃないかと思ってしまうほど(笑)吹雪にも度々遭いますから、余計なのです。

反面、雪ならではの美しさも感じます。
自然は人間同様、同じ状態というのはありません。変化があるということを理解することで、広がるものがあると確信しています。


出張で地方に行きますと、現地のものを購入してしまいたくなるのが性というもの。今回は留萌の小麦「ルルロッソ」を使用した醸造酒を購入して帰ってきました。

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食に関するものでも、それ以外のものからでも、何かをきっかけにしてつながっていくというのはよくあることだと思います。

仕事をしに来ているため、現場とホテルの往復が基本路線にどうしてもなってしまいます。買い物もコンビニで済ませてしまえば、他にどこへいく必要もなくなります。が、それでは寂しいだろうと思ってしまうのです。どこに行っても同じものを見て買うよりは、いつもと違うものを少しでも見ていったほうが、出張で疲れていたとしてもささやかな刺激になると思います。流石に毎日は難しいですが(オリンピックもあるので)、可能な限り自分の足でその街を知っていきたいと思います。


留萌は自然体験をすることができる箇所がいくつかあることを知りました。何もないと思っていても、その場所にいけば、何があるのかを知ることができます。いまの時代、やりとりは遠く離れた場所からかんたんにできるようになってしまいましたが、時には足を運ぶことも大事です。どうでもいいからと、電話やメール、メッセージなどでかんたんに済ませてはダメです。結果として、その人の人格が疑われてしまいます。自分はそれでよくとも、相手はそうは思わないでしょう。それが連鎖をおこし、自分に還ってきたときのことを思わなくてはなりません。

物事には、発端が必ずあります。
その発端に対してしっかりと向き合うこと、そしてやるべきことを果たすことは、いつの時代も変わらず、大切なことに違いないと思います。

そのように仮定すれば、人生は自分が起こした発端が拡げた波紋に対する責任をとっていくことの連続なのではないかと考えてしまいました。だからこそ棚上げにしてはならないですし、逃げてもダメなのです。先伸ばしにしていても、どこかのタイミングで再び目の前に現れるのは必至なのです。その仕組みを感じることが大切です。

今週は留萌から別な場所に移動して仕事をしています。

雪が見せてくれる景色をしっかりと見つめながら、変わりゆく季節と過ぎてゆく時間を味わっていきたいと思います。

いまいる場所をどれほど知っているか。

さっぽろ雪まつりが2月12日で無事終了しました。

 

 

期間中は気温がプラスに転じて雪像が崩れてしまうなどのアクシデントもありましたが、期間の延長と会場の延伸でパワーアップ。来場者数はこれから発表になると思いますが、今回もたくさんのかたが来られたと思います。

 

 

 

家人の友人夫婦がこの連休期間に札幌を訪れており、会食をしてきました。

雪まつりにはついていきませんでした(笑)が、少しの時間でも市内を案内することができていい経験をすることができたと感じました。

 

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