ぼくが「Jazz(ジャズ)」を聴くようになってからおよそ20年。
そもそものきっかけは、テレビのCMで流れていたバラード調の曲でした。
その曲をしっかりと聴いてみたいな・・・・と思い、レンタル店に通ったのが懐かしい想い出です。
その後知り合いを介してCDショップの店長さん(ジャズ好きでコーナーを設けているほど)の勧めの通りにCDを購入し、聴き込んできました。そのショップは苫小牧市にあったのですが、随分前に閉店してしまいました。ただその品揃えはマニアックそのもので、メジャーなものはもちろんあったのですが、かゆいところに手が届く、いいところを押さえているといったラインナップでした。
それを足掛かりとして、自分自身で裾野を広げていきます。
そして出逢ったのが「ジョン・コルトレーン」でした。
公式サイト(英語)
John Coltrane - The Official Site
彼のCDはショップにもレンタルでも多くの作品が並んでいますし、代表曲と言われるものも数多く持っています。リーダーとして活動していた期間はさほど長くはなかったものの、リーダーとして名を馳せる前から評判は上々であり、注目のプレイヤーであったようです。
YouTubeから彼の代表曲を紹介してみますと
1965年、ベルギーにて
同曲:スタジオ録音
名作として名高い「至上の愛」
甘いナンバー。
名門「Blue Note」レーベルからリリースされたアルバム。
といった曲が挙げられます。(これはほんのごく一部)
そして、珍しい現象とでも言えばいいのでしょうか。実は彼の場合、曲を吹き込む際、演奏中に失敗して止まってしまったテイクなどがそのまま音源として残っている場合が非常に多くあります。それはどのアーティストでもあるわけではなく、所謂「超」がつくほどの実力者に与えられた特権の如く、本人の意思とは関係なく、制作サイドでそのような「補完」の作業が行われてきました。彼のほかに有名なのが「マイルス・デイヴィス」。彼はコルトレーン以上に作品を発表し、また、公式ではない音源(ブートレグと呼ばれる)も数多く存在しています。こういったことはごく僅かなアーティストにしかなく、年月が経つほどに「新事実」が明らかになったりします。
そういった魅力もあり、ぼくはおよそ20年かけて「コルトレーンのジャズ」を聴いてきました。彼のジャズに対する意見や見識は様々あるのでここでは敢えて触れませんが、ぼく個人の感想としては「彼からジャズを教えてもらった」というのが率直な思いです。
コルトレーンのプレイスタイルは、かなり変遷しています。それは属していたバンドの音楽に影響されたり、デューク・エリントンなどの御大とプレイする機会を得たりなどして変わっていったことが挙げられますが、後年は「スピリチュアル=宗教」の影響を強く受けていた、もしくは、宗教的な、またはスピリチュアルなメッセージを「音」で表現しようと「挑戦」していたようにも見えます。
彼の代名詞に「シーツ・オブ・サウンド」があり、そして「フリー・ジャズ」があります。
前者と後者ではその性質はまったく異なり、その変化に周りがついていけなくなるほど。彼の「変貌」ぶりに耐え切れず、長年組んできたバンドメンバーが去るほどの影響を与えました。
ぼくにとってコルトレーンの作品は「聖域」のようなものであり、または「経典」のような存在でもありました。これまでのガラクタ整理でも決して手放すことはせず、無条件で「殿堂」に入れていたほどでした。
「殿堂」の一部。この倍はありましたが既に売却済み。
それが、昨年のガラクタ整理で、少しずつこの「聖域」に手をつけはじめました。
これまでは勝手に「手をつけるべきではない」と思い込んでいたのです。まさしく、見て見ぬふりをしていたといっても過言ではありませんでした。昨年ある時期に「安定」を感じた際、自分を動かすギアが1段階上がったような感覚を覚えました。そこからの行動のひとつとして、僕が長年聴いていた「ジョン・コルトレーン」のCDという聖域の「ガラクタ整理」を行うことにしたのです。これは決して強引にではなく、とても自然な流れで手が伸びました。棚からモノを出し、眺め、手に取って振り分けていく。これまで頑なにしてこなかったことが、いまあっさりと、簡単にやってのけているのです。その時の心境は、手を動かしつつも心の中、頭の中では「うわ~、とうとう手を出しちゃったよ」「聖域は聖域ではなかった。勝手に決めつけていた」「いざやってみると何の感情も起こらない。いつも通りのガラクタ整理だ。ということは、手に取って正解だったということだ」など、ほんとうにいろんなことを考えていたのでした。
コルトレーン関連の書籍。
彼の作品を手放すというのは、昨年の秋ごろから始まっており、既に一部はオークションで売却済みです。そして第2弾を行うにあたり、ストック記事である「整理棚からひとつかみ」も、ジョン・コルトレーンがバンドに加わった作品やリーダーとなっている作品を中心に掲載することになります。こちらの記事は不定期連載で、しかも作品数はそこそこあるので、年内にすべて掲載できるというお約束はできません。ジャズというジャンルに関してはそのようなことから同じアーティストの作品を継続して掲載していくことになりますので、ご了承いただければと思います。
彼のジャズから、ことばにはできませんが本当に多くのことを学び、そして教えてもらったという実感があります。それがからだの中にいきているからこそ、手放す準備が出来つつあるのだと感じています。これはCDだけに限らず、本や服、その他のものについても同様です。そこを「見て見ぬふりをする」のではなく、客観的に見て判断していくことが、何より重要です。
多少手放してしまったものの、売却予定の「ジョン・コルトレーン」の作品がまだこんなにあります。この後もう少しの準備を経て、彼らを手放します。