つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

過去の経験から思い出した共通点~残念なひとは認めない~

きょうの札幌、午後から雨が降るとの予報(雨雪まじり)だったのですが、実際は・・・・・・

 

 

 

現在、曇り空と共に風が吹き、そして本格的に雪が降り始めています。

 

昨日でしたか、ワイドショーで報じられていた成田空港は一面まっしろでした。ひょっとしたら、その雲がこちらまで上がってきたのかもしれません。雪解けが着実に進んでいるだけに、ちょっと残念。しかし日中に気温が下がることはなくなってきたので、仮に積もってもすぐに消えてなくなってしまうと思います。細かいところの除雪作業は一時中断となってしまいますが、これもしかたのないことだと観念します。

 

 

 

 

 

何年か毎に、3月または4月に大雪が降ることがあります。3月は既に1度降りましたが、まだまだ雪の季節は過ぎ去らないようです。関東では桜の開花宣言も出たのに。早く雪が融けないかなぁと気持ちが逸ります。

 

 

 

 

 

連日このブログでも書いている「てるみくらぶ」。

他にもいろんなソースで、ツアーに申し込んだ方や実際に勤めていた方、同じ業界の方など、一気に情報が表面化しています。ぼくのブログですら通常ではないほどのアクセス数を叩き出しているのですから、もっと見られているブログについてはその数の桁そのものが違うんだろうなと感じています。

 

 

これまでの情報の推移を見てみると

・内定者およそ50人の内定取り消し

・ツアー参加者が現地にて追加請求を受ける

・系列会社(自由自在)も事業停止(弁済額は7.000万との報道あり)

 

と、明るい話ではないものばかり。

 

ネットでも多数の書き込みがありますが、まさしく「人生や予定を大きく狂わされた」という表現がぴったりになってしまいました。もはや後の祭りですが、このような状況を想定だけではなく、現実的に考えることは出来なかったのだろうかと思うばかりです。

 

 

 

 

 

 

破産と聞いて、ふと過去のことを思い出しました。

 

 

かなり昔の話ですが、アルバイトで勤めていた会社が似たような状況に陥ったことを思い出しました。きょうは少しながらでも、その話を綴ろうと思います。

 

 

 

大学生時代、ぼくは大学の通信教育部に在籍していました。勉強の大半は自分が居住する地域で行うのですが、法定で定められた時間数、スクーリングというのに参加しなければなりません。スクーリングは所謂学校に行っての授業を受けることで、本学での授業や地方で行われるスクーリングに参加し、単位を取得していました。

 

大学に在籍していた際にアルバイトとして働いていたのが、有限会社であったとある会社。

どんな会社だったのかというと、いわゆる「便利屋」。

イベントの手伝いをしたり、ポスティングや市場調査を行ったりと、多種多様な業務を行っていました。現在ではそれらをひっくるめて「マーケティング」と言いうことができるかもしれません。ただ当時はパソコンも定着していない時期であったため、頭で考えて動くのが主流でした。

 

 

 

当時のぼくはとりあえず働ければいい、という感じでこの会社で長く勤めたわけですが、ここの社長の性格が、今思うと笑ってしまうというか、よくそんなんで仕事ができるなと思うくらいの残念な人だったのです。

 

 

 

結論から言いますと、ぼくがこの会社を辞めた後、そんなに時間が経過しないうちに社長は「夜逃げ」をし(当人は否定すると思いますが)、会社は消滅しています。

 

当時憶えているのは、会社の郵便受けには溢れるほどの郵便物。

そして、その部屋を借りていたオーナーが手書きで貼りつけた「もうここには誰もいません」という文字。

客観的に見ても、普通の状態ではないということがわかります。

 

 

 

会社を辞めた後、複数の知り合いからその後の状況を聴いていたのでその末路は容易に想像できたのですが、話を聴くのと実際にその光景を目の当たりにするのとでは、受ける印象はかなり違っていました。そしてかつて会社があった部屋は現在とてもよい入居者が表れ、健全な運営をされていらっしゃいます。

 

 

 

ではなぜ、そこの社長「S」は、経営が立ち行かなくなったのか?

 

実際に働いていた側から、当時の状況を振り返りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくや同僚は結果この会社が潰れる前に辞めているのですが、辞めることを決定づける幾つかの出来事がありました。

 

決定打が「給与の遅配」です。

結果、3か月ほどの遅配になりました。

これほどの遅配は、もはや「痛い」どころではありませんでした。

 

 

なぜ給与の遅配が出たか。

 

その理由のひとつを社長「S」はこう言いました。

 

 

 

 

「金庫破り」が入った(具体的には金庫が盗まれたとの話)

 

 

 

 

 

と。

 

いや、もう笑うしかないのです(汗)

 

更に続けて言えば、うちの会社だけではなく、周りのオフィスにも同様の被害が出ているという話。何を思ったのか「通報はしない」という説明。もっともらしく説明する姿を見て、失望感や呆れ感というのを通り越しました。

 

 

 

要するに、素直に認めたくはないのです。

「ごめん、支払えるお金がない」と。

 

 

 

この社長「S」の性格はかなり個性的で、自分の過ちに対しては決して謝ることをしない人でした。結局はなんだかんだ言っては言い訳し、度が過ぎると自分の主張が正しいとまで言ってくるのです。そしてむかつくのは「どう思うかは自由だけど、ぼくはこう思うな」と上から目線

 

ああ、性格がひん曲がると、こんな大人になるのね。

その典型的な例を見たような気分です。

 

 

そして、そもそもどうしてお金がない(なくなった)のか。

 

それは単純に「経営管理が出来ていない」の一言に尽きます。

その上、お金を使います。

決して見せはしませんでしたが、自転車操業をやっていただろうと推測できるほどです(いや、絶対どこからか借金をしているはず)。

 

 

 

 

かつて働いていた会社や雇ってくれた社長をボロクソにディスるのも不謹慎ですが、働いていた側として「こんな状況(仕事の少なさ)でこの会社はやっていけるのか」と何度も思ったことがあります。アルバイトなので意見をしたりという権限もなく、ただ従うばかりだったので何も言うことはありませんでした。不安ばかりが募り、何か仕事を生み出そうと同僚と懸命に考えたこともありますが、社長「S」はまったく興味なし。「うん。いんじゃないの」というセリフだけ。これで大学の経済学部を出たと自慢するのですから、何も言えません。

 

 

 

当時の業務の主流はチラシ配り。今でいうところのポスティングでした。

その他の業務の頻度は、年に数回がいいところにまでなってしまいました。

みなさんの元にもこのポスティング募集の広告が入ると思いますが、1枚あたりの単価はすごく低いです。もう「たくさん配ってナンボ」の世界です。配布対象としては一軒家からアパート・マンション、そしてオフィスまでといろんな設定がありますが、ひとり1日3.000枚配ったとしてもさほど大きな利益にはなりません。ましてや従業員の数も少なく、社長自身も配らなければならないほどの数量のチラシを毎月引き受けていました。その後委託などを行っていましたが、元々の引き受け単価が低い以上、会社の利益を大きく伸ばすところまではいかなかったのです。

 

この危機的状況は、従業員よりも社長自身がいちばんよくわかっているはず。

しかし、状況が悪化するばかりのなか、社長は「打ち合わせ」と称しては朝から晩まで不在のことが多くなりました。実際何をしていたのかはよくわかりませんが、打ち合わせと言いながらも実際はひとつの仕事も生まれなかったことから、金策に走っていたのだろうと思いました。

 

 

 

自分で仕事を生み出すことをせず、外から仕事の提案を受ける。

一時はそれでもよかったのかもしれませんが、時代が動いてしまうと途端にそのスタイルでの事業継続が危うくなります。

仕事の依頼を待つだけの姿勢を崩さなかったことが、この会社の行く末を決定づけました。ぼくを含めた従業員が考えた仕事についても本腰にはなってくれなかったため、何だか個人的な自己満足で終わってしまったかのような感覚です。

 

 

 

 

ネットでは「経営」が順調ではなくなっていくと、多方面においてそのシグナルが出やすいという記事がありました。例を出せば「リースの解約」や「会社が雑然としてくる」などです。その中にはありませんでしたが、社長が長期にわたり会社にいないということも当てはまるかもしれません。

 

 

 

ただ、この社長「S」は、水準を決して変えようとしませんでした。苦し紛れの嘘を乱発し、その嘘を繕うために新しい嘘を創造し続けたのです。決して事実や過ちを認めようとはしませんでした。自分は悪くないと言い張りました。そして外はいい恰好しいです。これではもう、手に負えません。お金は出て行くばかり。収入を増やそうという頭は少しもなかったと断言できます。

 

 

収入に見合わない支出を繰り返し、その管理が出来なくなってからもその事実を内外に認めようとせず、ついには自滅(自爆)。これでは「会社をたたんだ」とは言えません。未払い金もあると同業の方から聴かされていましたし、結局はお金に汚い人間に成り下がってしまった(いや、もともとかもしれないが)と言う評価がおりただけのことです。

 

 

 

ぼくは会社を辞めてからは、一度もその社長「S」とは極力話をしてきませんでした。

未払いの給料が支払われるまでは必要最低限のやりとりはしてきましたが、個人的な話はせずにいました。一度社長「S」からは「戻ってきてほしい」という話をされましたが、戻る気はさらさらなし。何も変わっていないことは聴かされていたため、その誘いに反応すらしませんでした。

 

 

 

そして最終的に、オフィスにモノを残したまま、社長「S」は姿を消しました。

 

その後、部屋のオーナーさんが残されていったモノの処分をされたとのこと。

ぼくはオーナーさんの顔も知っていたので、大変申し訳ない気持ちになりましたが、もう何もできることはありませんでした。

 

 

 

 

結局、社長「S」が経営する有限会社はたくさんのひとに迷惑をかけ、その存在が無くなりました。

 

 

今回、てるみくらぶの件では社長が「広告費がかさんだ」という弁明に対して、どれほどのかたが納得したでしょうか。広告を打つことによる反響を待つだけが打開策だったのでしょうか。だとしたなら、なんかギャンブルに近い感覚で仕事をされていたのではと、ぼくは感じてしまいました。広告料は、誰もが安くないと知っています。その広告に対する反響がどれくらいあるかをある程度「予測」しないとならないはずです。それを感覚だけで行うのは、会社としては危険な行為になります。結果、ほんとうにたくさんの人が1日の時間の中で、てるみくらぶの破産に関する情報等を探すことになりました。この抜けきらない疲れを取り除く手だてを示してよと直接訴えたいほどです。

 

 

 

てるみくらぶの報道はまったくではないものの、その更新頻度は少なくなりました。そしていつの日からか、まったく報道されない日が来てしまうでしょう。時折報道番組でも触れられることがありますが、「ニュースのその後」を知らせないまま、常に時事のニュースばかりを流してしまう現状があります。そのような状況に流れてしまっている、いつしか忘れてしまっている自分自身もいますが、今回の件については当事者でもあるため、出来る限り状況を見ていこうと思いますし、報道機関のかたがたも、途中で追うことを止めるのではなく、期間は開いても定期的に報じて欲しいと思います。

 

 

 

てるみくらぶの報道を見ながら、そして読みながら、過去の経験を思い出し、胸クソ悪い気分(笑)になってしまいました。

 

 

 

毒吐きばかりもしているわけにはいかないので、この辺で区切りますね。