いま、この記事を書きながら、ラジオで宇多田ヒカルさんの番組を聴いています(いました)。
ニューアルバムが発売されたこともあるなど、いろんな節目が重なっての特別番組だそうです。
夜にラジオをかけるのは、久方ぶりでした。
ところで皆さんは普段、ラジオを聴きますでしょうか。
ぼくの場合は、移動時の車中でかけることが多いです。
チューニングはもっぱら地元のラジオ局で、自宅に居る時などは時折投稿しています。
過去、札幌モーターショーの特番で投稿したのが紹介され、QUOカードが当選したということもあります。
オールナイトニッポンなどは聞かなかったのですが、地元ラジオのSTVで放送していた「アタックヤング」などはよく聞いていましたね。
小さい頃はよくベスト10的な番組でリクエストのための電話を掛けていた記憶があります。
大人になってから紹介されて聴き始めたのが、現在は放送が終了している「Avanti(アヴァンティ)」でした。ここでお酒とジャズの勉強をしました。そしてもちろん、聞き耳を立てることも。
その経験が生きて、他のお客さんの会話に混ざったり、社交的なことができるようになっています。
この番組は、ぼくにとってのバイブルです。
影響されて、仙台坂も訪れました。この辺だろうなぁと想いに耽りながら歩いていたことを思い出します。
ここから、大人の階段を進んだような気がしてなりません。
同時期に聴くようになったのが、「安部礼司」。
こちらもロングランな番組ですね。
はい。「男坂」も「女坂」も訪れ、「さぼうる」でも時間を過ごしました。
そして現在は「サンデーソングブック」。
音楽の勉強と、矜持(きょうじ)の勉強といったところでしょうか。
勤務先の「ら・ふも」でもラジコのタイムフリー機能を使って様々な番組をかけさせていただいております。
本と同じように、ラジオもぼくにとっては貴重な教科書です。
ラジオだけではないですね。すべてが教科書だと言ってもいいです。
この世の中には意味のあること、そして無駄なことなど、どこかの価値基準によって判断されています。しかし実際はどうでしょうか。その価値基準は、果たして「正しい」ものなのでしょうか。恐らく正解は、ひとつではないはずです。
宇多田ヒカルさんの番組を聴いて、ラジオの良さとともに、改めて歌の力というものを感じました。
その時代、交流した人たち、そして想いを寄せている存在などによって耳にする音は変わっていきますが、自分の中に入れる音は何かしらの「力」になることは言うまでもありません。
それは「絶望」も、同様なのだと思います。
八雲町に移住してから、再び歌が聴きたくなりました。
地道にCDも増えています。札幌を離れる前にかなり手放したのですが 笑。
いまは本も歌も、どんどん心身に入れていくことにしたいと思います。
身近なツールであった「ラジオ」。
それは爽やかなきっかけを与えてくれる、魔法の道具なのだと感じた夜でした。