つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

整理棚からひとつかみ。 DVD編 その1

bonbonniere mimori yusa piano solo THE LIVE goes on / 遊佐未森

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HMBH-1020


1."interview 1"
2.水色
3.Diary
4.小さな喫茶店
5."interview 2"
6.潮見表
7.つゆくさ
8.エデン
9."talk"
10.素肌
11.夏草の線路
12.青空
13.アカシア

 

ボンボニエールツアーの中からのカッティング。
2005年11月25日、東京銀座のヤマハホールでの模様を収めたもの。

収録時間は短いものの、とても貴重なドキュメントとなっています。
夏草の線路をはじめ、アカシア、水色や潮見表など、なかなかいいセレクトをしています。

遊佐未森さんはメディアからは遠ざかっているものの、地道にライブ活動をされていらっしゃいます。
その姿こそ、シンガーソングライターの真といってもいいのではないかと思います。

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その41

I Just Dropped By To Say Hello / Johnny Hartman

 

 

 

 

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UCCU-5297


1.Charade
2.In The Wee Small Hours Of The Morning
3.Sleepin' Bee
4.Don't You Know I Care
5.Kiss & Run
6.I I'm Lucky
7.I Just Dropped By To Say hello
8.Stairway To The Stars
9.Our Time
10.Don't Call It Love
11.How Sweet It Is To Be In Love


parsonel

Johnny Hartman(vo)
Illinois Jacquet(ts)
Hank Jones(p)
Kenny Burrell(g)
Jim Hall(g)
Milt Hinton(b)
Elvin Jones(ds)

Recorded October 9,17,1963

 

ジョニーハートマン、インパルスでの作品。
このヴォーカリストは、ジョン・コルトレーンとのデュオ作品で一気に名が知れます。
他の作品も聴くとよく解るのですが、甘い歌声が特徴です。サッチモとは対称的です。
しかしながら嫌味をまったく感じません。だからこそコルトレーンとも組めたのだし、彼名義の作品も少なからず出たのだと思います。
この作品ではコルトレーンのバンドからエルビン・ジョーーンズが参加。その他ジム・ホールケニー・バレルなどギターの名手が参加。
中々の重厚な作品に仕立て上げられています。
バックバンドも豪華であるため、名作のひとつに数えられてもいいと思う作品です。

 

 

 

 

 

 

 

今朝、祖母が亡くなりました。99歳。

大往生だと、母が言いました。

 

昨夜に容体急変の一報が入り、きょう病院へ向かう予定でしたが、間に合いませんでした。

 

整理棚からひとつかみ。 邦楽編 その27

The Best of Soul Extreme / 福原美穂

 

 

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SRCL-8021-23

【初回生産限定盤】


Disc 1

1.O2 featuring AI
2.Get Up! feat. AKIKO WADA
3.Open Eyes
4.Dream On feat. 三浦大知
5.STARLIGHT
6.Regrets of Love
7.DON'T TAKE IT AWAY
8.Kiss! Kiss! Kiss! feat. Chara
9.Cinnamon Dreams
10.You
11.Save Me feat. レオナ・ルイス 
12.Black Star
13.You Are My Reason feat. AI


Disc 2

1.SIR DUKE
2.ENGLISHMAN IN NEWYORK
3.Natural Woman
4.Hard To Handle
5.I Wish I Was A Punk Rocker (With Flowers In My Hair)
6.BEN
7.Virtual Insanity
8.One Day
9.恋人たちのクリスマス Live ver.(from「Live in Music Vol.3」 2011年)


Disc 3(DVD)

1.O2 feat.AI
2.Get up! feat. AKIKO WADA
3.Dream On feat. 三浦大知
4.STARLIGHT 
5.Regrets of Love

-Bonus Video-
6.THANK YOU
7.Appologies feat. sleepy.ab

 


ソウル・エクストリームシリーズの集大成となってます。
単純なベストアルバムかと思ったのですが、ベストの意味合いが違うくらい、本気が込められています。
まずシングルカットで出された3作のほかに組んでいるアーティストが増えています。
そして2枚目のCDでは、福原美穂の原点というべき洋楽のカバーを披露しています。
3枚目は初回盤特典のDVDとはなっているものの、これは単なるベストアルバムではないだろうという予測が立てられます。

AIと歌い切った「O2」は、かなり衝撃を生みました。福原美穂自身の知名度も上がったと思いますし、そこから切り開いた仕事もあったと思います。
しかし現在、彼女は自身でレーベルを立ち上げています。これを考えると、このあたりでソニーとの契約のめどがついていたんじゃなかろうか?と勘ぐってしまいます(実際のところはわかりません)。
この作品の2年後に最後のアルバムとして文字通りのベストアルバムを発表していますが、ベストと名がつくなら俄然こちらのアルバムを推します。
それくらい、彼女の本来の力が凝縮されている作品に、なっているからだと言えます。

あっちゅー間の1ヶ月でした。

はやくも今日で1月が終わってしまいます。早いです。

思い返せば何をやっていたか・・・

 

いちばんは雪かきでしょうか(汗)

 

 

あとは親の入院で心穏やかにいることが出来なかったことが大きいですね。

無事に退院しましたが、学びというよりは気づきを得た、というよりは、飛んできた印象です。

 

 

 

 

 

言い訳になってしまいますが、予想外のことで予定していたことが一部後ろ倒し(先延ばし)になってしまいました。これはいかんと思い、来月の予定としてここで宣言しようと思います。

 

でも、全部が全部先延ばしになっていたかったことを、三が日後に書き留めた「タスクリスト」を見て実感。もちろんすべての項目が「済」になっていませんが、着々とその数を減らすことが出来ていました。その項目はしばらくのあいだ「ゼロ」になることはないのですが、こうしてリストに書いてあるものに線を引き、ひとつずつ処理していくことで、目に見えて「先延ばししていることを片づけた」という実感のアウトプットとインプット、両方をやって実感するようにしています。

 

 

 

2月は札幌では毎年恒例の雪まつり、そして冬季アジア大会が行われます。

国内外からたくさんの方が北海道に訪れることでしょう。

 

その中でやるべきこと。それは

 

・オラクルカード リーディング 5枚バージョンのモニター公開

・確定申告

・委託品の出品を済ませ、自分のモノの出品に完全移行する

・がらくた整理のメニュー公開 ※実施時期は未定

・ブログカスタム

 

です。

 

 

最低でもこの5つのプライオリティは高いです。

オラクルカードとがらくた整理はぼくの仕事の根幹でもあります。

昨年いちど募集していたものの、がらくた整理のほうはゼロ。

相談はいただいていたものの、実現はしませんでした。

その後どのようなメニュー(取組み)がいいか?とずっと考えてきましたが、この時点でいちど表に出してみようと思います。

 

オラクルカードは当初3枚引きと1枚引きをやっていました。

フタを開けると1枚よりも3枚のほうに支持が集まりました。

その後自分でも実践してきましたが、今年は1枚・3枚は封印し、新たに5枚引きで挑戦します。

 

 

 

オークションに関しては現在継続中なので、委託品については1日も早い売却を目指す。

 

ブログのカスタムも、確定申告もしっかり済ませる。

 

 

 

やるべきことは、たくさんあるんだろうなぁと思ってます。

でも、そのすべてに対して一気に手をつけるのではなく、今やるべきところから着手して、ひたすらやっていく。

これぐらいの考えで、いまはちょうどいいのかなと感じています。

 

 

 

 

 

行動に移すのが遅い性格で、そのせいで後悔したことは何度もありました。

今もその悪い癖は残ったままですが、その癖すらもいつの間にか忘れてしまったと思えるくらいの活動を、改めて目指します。

 

 

 

 

ブログを読んで下さるかたも、読者登録をしていただいているかたも少ないです。

マイナーもマイナーなブログですが、来月も毎日更新して参ります。

ただ、更新時間は早めるよう、努力します(汗)

 

 

どうぞ、宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

-お知らせ-

2月3日から4日間の予定で更新が出来ないため、その間の記事は「整理棚からひとつかみ」を掲載します。

直感に頼り過ぎていると、じぶんのことすらわからなくなるかもしれない。シンプルもいいけど、奥深さもね。

昨日の日記の内容についてですが、新しい発見!というよりは、完全仮説の、完全な夢想話に過ぎないものです。

 

 

 

 

しかし実際にあのようなことを考えると、時間の経過ですら「シンプル」ではなくなってきます。

 

 

「いま」という時点において既に「過去・現在・未来」が関わっているというのは、何となく納得できる話です。時間という概念があるので、その「いま」から1秒でも時間が経過すると、これまでの「いま」は既に「過去」になり、新しい「いま」を迎えます。

 

すげーめんどくせー話ですが(笑)、単純に「いま」といっている瞬間には、様々な可能性をはらんだ時間が連続して発生しているということになります。最初から人生の「流れ」が決まっているかのような錯覚を覚えます。凄く細かくポイントを打ち、決して「迷わないように」設計されているように感じたからです。

 

 

 

この仮の考えを思いつき、文章にするために想いを巡らせていましたら、ちょっと別の分野なのですが、法華経にある「一念三千」を思い出しました。かつて創価学会員だったわたしですが、昨年春に退会。それを機に学会のモノはすべて手放しましたが、仏教関連の本を読んだことで今更ですが「なるほどなぁ」と感心させられました。

 

※決して法華経が正しいといいたい訳ではありません。あしからず。

 

 

 

時間も、そしてひとの心も、思っているほどシンプルじゃない。

 

それを知らずに、ひとの多くは直感であらゆるものを解釈しようとします。

しかし、解釈するためのボキャブラリー圧倒的に「足りない」としたら?

結果、間違った解釈をしてしまい、知らずに違う方向へ進んでしまうこともあり得ます。

 

 

直観を大事にすることはもちろん大切ですが、直感に頼りすぎると「感情の表面だけ」しか汲み取らなくなります。深層心理ということばなどにもあるように、どこかで必ず「深い」ところまで行かなくてはなりません。そうしなければ、じぶんのことをじぶんがいちばんよく「わかっていない」状態を生みます。

 

じぶんのことだからじぶんがいちばんよく知っていると思っていたのは、何を隠そう自分自身だった。他人のほうがじぶんのことよくわかっていた。

 

こんな経験をしたひとは、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

 

 

それは、じぶんという時間やこころ、そして世界等を「表面」だけしか見てこなかっただけだと評することができます。

 

いきなりアニメの話しですが、機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2nd Seasonにおいて、ガンダムマイスターにひとりであるティエリア・アーデという人物が語った言葉があります。

 

それは「自分の世界くらい、しっかりと見たらどうだ」(要旨)。

 

 

 

 

わたしたちは日々テレビやラジオ、新聞やネット(SNS含めて)を通じて膨大な情報を得ています。今やそれが正しいのかどうかを判断する前に、情報自体が更新、またはその他の情報に紛れ埋もれてしまいます。洪水のように流れる情報の「一部」だけを汲み取り、それが「真実だ」「陰謀だ」等と判断して行動を起こしてしまうのは、時間や感情などと同じように「表面」だけで判断してしまうのと同じです。わたしたちはもっと、この世界や時間、そしてわたしたち自身についてしっかりと見ていくことが必要です。

 

やりかたがわからない。だったらネットで調べよう。

 

では、ダメです。

 

 

 

 

 

 

考えることを放棄しないでください。

 

 

直観に頼らないでください。

 

 

 

誰かの言葉ですが「こころで考える」という表現がありました。

 

 

 

 

わたしたちは日頃面倒なことを嫌います。

パフォーマンスが悪いものについても、嫌悪感を抱きます。

じつはそのようなネガティブな要素は全員が持っています。

それを見て見ぬふりをしながらも、他人に対してポジティブなことばを並べています。

 

嫌なことには目を向けない。

それはわたしのやることじゃない。

わたしにはこれが必要だ。

 

などなど、いろいろと「決めつけて」しまっている部分が、知らずにあります。

 

もしかしたら、そのようなことから「疑う」ことが、大切なものをしっかりと「見る」ことにつながっていくんじゃないかと思います。

 

 

参考文献:仏典を読む 末木文美士 新潮文庫

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

青春と読書 2017年2月号 集英社 (24)

月刊 本の窓 2017年2月号 小学館 (25)

未徹在「組織のなかのリーダー」の在り方 栗山英樹 KKベストセラーズ (26)

宝探しから持続可能な地域づくりへ 日本型エコツーリズムとはなにか 真板昭夫・比田井和子・高梨洋一郎 学芸出版社 (27)

高倉健インタヴューズ 野地秩嘉:文・構成 プレジデント社 (28)

「待つ」ということ 鷲田清一 角川選書 (29)

ちはやと覚える百人一首 「ちはやふる」公式和歌ガイドブック 早覚え版 講談社

生き直し 岡部えつ 双葉社 (30)

トヨタの段取り ㈱OJTソリューションズ 角川書店 (31)

木を植えよ! 宮脇昭 新潮選書 (32)

点から線、そして円へつなげていくことをたいせつに。

年が明けてしばらくしてから、最後に勤めた会社の同僚の方から新年の挨拶が届きました。

 

 

 

その方は昨年オラクルカード3枚引きをご依頼いただいた方で、その後周りの環境に大きな変化が訪れたため、年内に一度会いましょうと約束していたのです。しかし双方の都合が合わず、そのまま年越しとなってしまいました。

 

久方振りに連絡をいただいた際に、近況も併せて報告していただきましたが、そこで気になること(あくまで個人的)を仰っていました。

 

それは、前にリリースしたリーディングの内容を読みかえされた、ということ。

 

 

 

その方はなんてことなく、ただ普通に「読み返してみたんだよねー」程度のことで報告をしてくださったように感じたのですが、受け止めた側(ぼくのほう)としては、理由もわからず、その行為に衝撃を受けていました。

 

 

驚き?それとも意外?

何とも表現が出来ません。

その方の追加の説明の中で、短いながらも節目節目を迎えた際に、リーディングの内容を読みかえされていた、とのこと。そこで感じるものがいろいろあったらしく、短い文章でありながらも、詰め込んだ気持ちの膨大さというのものが何となくですが伝わってきました。

 

そうこう考えているうちに、思ったこと。そして感じたこと。それは

「じぶんのリーディングを少なからず頼ってくれている」ことへの畏れ多さのように感じました。

 

 

畏れ多さというのは語弊かもしれませんが、今でも参考にし続けてくれていることは、ひとつの大きな評価であり、仕事抜きにして責任感が増します。リーディングを行ったときから3か月程度経過していたものの、その内容が色褪せず、何度も読ませているという事実に、ことばの力というものを感じました。

 

反面、伝えることの大切さ、大きさ、難しさは常々感じています。ここにゴールはありませんし、トレーニング同様、怠ってしまえば一気に鈍ってしまいます。そうならないためにも習慣づけを行うことが大事だなと、この時改めて肝に銘じました。

 

 

 

そして、ひとつ気がついたことがありました。

 

 

近況の報告をしてくださった際、リーディング内容を読みかえしているという話をしてもらったときに、ぼくもその内容を読みかえしました。

 

その際、不思議な感覚に捉われました。

 

 

 

リーディングが、今でもしっかりと「活きて」いるのです。

もちろん、当時の相談内容に沿ったことも書いてありましたのですべてがそのまま活きてくるわけではないのですが、内容の大半は、その方の現状にそのまま当てはまることが驚きでした。

 

 

それはひょっとすると「変わっていないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、実際には数か月という時間が経過しており、その方がいる環境というのは実際に「変わって」います。

 

 

 

その事実を見ていくと、少なからずカードが示した内容の「遷移」は既に行われていると見ていい、と、ぼくは思いました。

 

では何故「活きて」いると感じたのか。

 

 

 

 

 

ちょっと伝わるかどうかは不安ですが、書いていきますと

 

リーディングを行った時点(仮にAとします)ではしっかりと「過去・現在・未来」について解説をしましたが、月日が経ったいま、その内容は既に「過去」のものになっています。

 

しかし今回、リーディングを再度読み込んで見たところ、その内容は色褪せていないことがわかりました。つまりは過去読んだ内容が「今まさに」リーディングした内容の如く、しっかりと説明されていたのです。それはつまり、「時間軸」が現在に移動し(A⇒A‘になった)、その時点を基点とした新しい「過去・現在・未来」が既に展開されていた、という感じになります。

 

その方に説明した文章をそのまま転記すると

「ぼくが読んでいて思ったのは、時間軸というのが複数あることなんですよね。最初は会社内での出来事に関する時間軸で、けっこう短期でした。でもリーディングの時間軸全体でみると、それはごく一部のことなんじゃないかって感じたのです。で、○○さんが○○してからの時間軸に移行すると、全体のほうもシフトしていき、新たな時間軸が表れるといった具合です。」

ということを言っています。

 

 

このカードは、ある一定の期間だけのことを伝えるのではないんだというのを、驚きとともにぼくに教えてくれました。ひょっとすると、世の中のオラクルカードのリーディングは、このようにある程度の期間、活かされているのかもしれません。しかし実際は対面でセッションを行う場合が多く、そこで語られたことが資料等として残る場合はほとんどありません。そのため、振り返りをすることが出来ないのです。そう考えると、それは正直言って「もったいない」ことだと感じました」。リーディングをしても結局は「点」でしか内容を受け取っておらず、それでおしまいにしているのです。それでは結局、対処療法的なものにしかなりませんし、占いやリーディングの本質からは外れているような気がします。そこがたぶん、古来から行われてきた占い(または卦)と、大きく違う、「商業的」な占いに変質してしまったのだろうと感じました。

 

それはある意味しょうがないことです。占いを求めるひとも、肝心の答えしか聴きません。

そしてそれは「点」でしか捉えていないことが、多いように感じます。あくまで個人的見解ですが。

 

 

 

 

リーディングについての気づきは、その内容は「点のみにあらず」ということを教えてくれました。リーディングに限ったことではありませんが、ものごとは

 

「点だけに留めず、線に伸ばして円にしていく」

 

 

ことが大事なんじゃなかろうか、という考えに至りました。

 

なぜ円かということについてはうまく説明が出来ませんが、点から線へというのは恐らくお分かりいただけるのではないかと思います。その延長と考えたとき、出来上がりを考えたとき、円というのが自然だろうなと、現段階では思っています。

 

 

 

 

ぼくも時折自分向けにカードを引きますが、内容を書き留めていないので振り返りをすることが出来ません。ですがここからは「記録」まあは「記憶」として残すことができます。そしてそれは今後自身がリリースするリーディングに関しても、ひとつの特徴としてピールすることが出来る。それはひょっとしたら全員に当てはまらないかもしれませんが、振り返ってもらう価値はあると思います。そのときに初めて、お値段以上の価値が生み出せるのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

再入院した母親でしたが、無事退院しました。

今後は数週間ごとの通院になるようです。

その他検査が入っていますが、まずはひと安心です。

入院した本人以上に、ぼくが安心してます(笑)

 

 

 

多少落ち着いた状況を迎え、やっとのことで今年初の瞑想を行いました。

しばらく間がありましたので集中することが難しく、短時間しかできませんでしたが、心のコンディションの違いを実感するいい振り返りの時間となりました。

 

 

 

その後これまた久々にカードを引きましたところ、出てきたカードは

 

 

No.7「ワンネス」でした。

 

 

 

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キーワードは「統一、調和、和合、一致、統合」

 

昨年は、このカードを何枚も引きましたね。

 

 

ワンネスはここでは「一体感」と訳されています。

 

もとはひとつ、そもそもひとつと伝えればいいでしょうか。

 

 

しかし、ひとつとはいっても、「点」でものごとを見てしまっては全体のいち部分しか見ることが出来ず、その助言で逢ったり、諭すようなことばであっても納得することはできません。しかし置かれている状況が変化していくと、その光景、景色は変わってきます。間違いなく、違うものが見えてくるでしょう。しかし見ている先は何ら変わらない。もともと同じもの見ていたということに、後々気づくのだと、まるで法話のような話をこのカードは伝えています。

 

 

仮にこの話を知っていたとして、それを誰かに話していたとしても、自身がそのような経験を重ねていない限りは、そこに説得力のようなものは備わりません。つまりは

 

「それはわかるけど、あんたが言ってもねぇ」

 

みたいなことになりかねません。

 

 

 

わたしたちはいつのまにか上記のような「正解」のみを求めるようになり、そこに付随するものは重視して来ませんでした。結果、たとえ正解を携えていたとしても満点回答にはならず、部分点のみのカウントになってしまったのです。

 

このような状況を切り拓くには、気づきが必要です。

頭でわかるだけでは、おそらくだめです。肝心なものをせき止めてしまいます。

 

ではどこでわかればいいのか?

そこに気づくことも重要で、その人のセンスに係ってくることだと感じました。

ぼくは「ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)」のピアノを聴いて、「枠なんてそもそもない」ことを知らずに教えられていた。

ぼくがジャズを聴きはじめてのめり込んだプレイヤーは、何人かいます。

 

 

そのひとりが、先日紹介した「ジョン・コルトレーン」です。

彼はサックス奏者でした。

 

 

 

ジャズを演奏するにあたり、だいたい入っている楽器が「ピアノ」。

そのプレイヤーは数多くいますが、その中でも虜になったひとりが

 

ハービー・ハンコックでした。

 

 

公式サイト(英文)

 

www.herbiehancock.com

 

 

ハービーの代表作はそれこそ数多くあり、初期の作品では「処女航海」があります。

その後電子ピアノを使うようになってからは「ヘッドハンターズ」をリリース。

グループとしてはマイルス・デイビスのバンドに在籍したこともあります。

その後V.S.O.P.を結成。ライブ音源は至高の作品になりました。

 

 

彼の音楽的指向は、かなり路線もぶっ飛んでいます

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写真はイメージです

 

 

個性的な企画を練り、数々のアーティストに参加してもらいながらアルバム作成を行っていることで有名です。

 

最近では、グラミー賞を受賞したことでも有名。

その他注目すべきは、ロス五輪の音楽を担当したことでも、彼の功績と実力を物語っています。

 

 

ハービーの作品で最初に聴いたのは「処女航海」だったと記憶しています。

名門ブルーノートからのリリースになっており、伝統的なジャズからの脱皮というか、革新をもたらした作品です。

 

 

 

この作品を聴いてから、一気に他の作品を聴き始めました。

その他、彼のバンドメンバーの作品を聴いたり、ハービーが在籍していた頃のマイルス・デイビスの作品を聴くようになりました。

 

 

 

ハービー・ハンコックは、ジャズプレイヤーのなかでもひと際息の長い存在だと思います。

 

モダンジャズ最盛の頃から演奏を続けており、今も現役です。SNS等で彼の情報を見てみると、きょうもどこかで演奏を行っています。このバイタリティは素直に凄いと思います。病弱になってもおかしくない年代なのですが、老いてますます盛ん(年齢は70後半!)ということばがぴったり来ます。

 

 

 

ハービーのピアノを聴いて、ピアノという存在の大きさや大切さなどを少なからず知るようになりました。ピアノ演奏者は、花形だと思っています。そんな場所にいる彼は、花形という存在を超えていました。過去数度札幌にてコンサートを開いたことがあり、2回ほど聴きに行ったことがありますが、そのプレイは迫力差は劣るものの、流麗な動きにすべてが凝縮された、ゆるやかな潮風のようなプレイをしていたことを思い出します。

 

現在の彼の演奏は「ジャズ」というカテゴリに囚われない、「ロック」や「ポップス」というジャンルにも囚われない、シンプルな「音楽」というものをひたすら演奏しているように感じます。楽器は電子系を扱うことが多くなりましたが、それでも名曲を演奏してくれたときには、心が躍りますね。

 

 

 

そんな彼の作品たちも、聖域のひとつでした。

崩したくない牙城のひとつでした。

 

昨年夏から秋にかけて「安定」を実感したのち、自然とハービーの作品に手を伸ばしていました。

 

がらくた整理をする決心がついたのです。

 

 

 

その衝撃というか驚きはコルトレーンの時ほどではありませんが、ひとつ何かに手をつければ連動性が生まれるようになって、次の手が自然に出てくるようになりました。ほんとうにたくさんのCDを持っていて、専用のCDラックに入りきらなかった状態が長いこと続いたのですが、安定を迎えたあとのがらくた整理で、大きな大きな憑き物落としをみずから行うことが出来ています。

 

 

ハービーの作品は主に「エレクトリック・ハービー」と呼ばれるものを中心に処分。

既にオークションにて売却済みです。

去年までは一切抱くことがなかった感情や考えでしたが、がらくた整理に出逢ってからはモノとじぶんとの関係性を頭だけではなくこころや全体で考え、どうするかを決めるようになりました。そのワークを続けることが出来ているというのは、多くの分野で三日坊主だったぼく自身にとってはとても貴重なことでした。

 

 

 

 

 

もうすぐ、東京へ講座を受けに行ってから1年の歳月が流れるなと、これを書きながら思い出しました。あの日々は楽しさもありましたが、苦行に感じることもありました。成功ばかりではなく、正解ばかりでもない。いろんなものことをひっくるめたものが、ぼくを大きく成長させ、また打ちのめされても立ち上がることができたのだと思います。

 

今年はモノとは違う、何か大きな憑き物を落とす重要な1年になりそうな気がします。

ですがその憑き物は何かというのは現状わからないので、これを落とす、という目的よりかは、今ひたむきにできることをやって、結果フタを開けて「これが憑き物だったんだ」と思うことができるようになればいいなと思います。

苦労するからこそ貴重な経験になるから、きょうもぼくは出品します。

昨年秋から自分のモノだけでなく、他人のモノを含めて行った「オークション」。

 

 

 

商品を引き受けた時はその物量の多さに圧倒されてしまいましたが、文字通りこつこつと準備を進めていき、出品を行っていった結果、順調に、ときには急激にモノは売却され、怒涛の発送作業と取引連絡を行い、ようやく一時の静寂を迎えました。

 

残念ながら委託を受けた商品すべてを2016年内に売り切ることが出来ませんでしたが、300以上あったアイテムが残り20を切るまでに。その後落ち着かない状況が続いていましたが、やっと着手することが出来ています。

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写真はイメージです。

 

 

 

利用するシステムは時の流れに乗ってどんどん簡素に、そして便利になっていきましたが、マンパワーで行う部分については大きな変化はないと感じています。モノを仕入れるのも人間であり、必要な手続きを行うのも人間です。その中間にあるシステムが改良を重ねた結果、多少の時間を短縮することはできます。あとはその人の燃費というか、行動力にかかります。それだけでも、大きく違います。

 

 

 

3か月程度で400近くの商品を出品し、300程度のモノが売れ、それらについて梱包し発送し、必要な連絡とチェックを行うのは正直疲れました。しかしそれに見合った経験や気づきもたくさん得ることができました。そう考えると、最初から必要なモノ(経験や気づきなど)だけを得るのは、却って効率が悪くなるのではないだろうかと感じました。昔からよく言われていることですが、実行し、経験や失敗を重ねてはじめて得るものがあり、それについて気づきを得たり理解を重ねたりという展開が生まれます。振り返ってみた際に「ああ、最初からこうしておけばよかったんだな」と思うことはしばしばありますが、それは次に活かせばいいだけのこと。徐々に効率を上げていけばいいだけのことなのです。そうしていくことこそが、何より大切なんじゃないかと思っています。

 

 

 

ぼくのオークション利用の頻度は、実はそんなに高くはありません。

ガラクタ整理で出てきたものがある程度出てきたときになって利用する程度のもの。

その間、よくガイドラインの変更や仕様の変更などが行われたりしています。もしかすると、他の人と比べたらオークションを使いこなせていないのかもしれません。そんな中でもなんとかなりました。要点を押さえ、必要なことを行い、チェックできる体制を作っておけば、おおよそ大丈夫です。それを今回学びました。そして、実感しました。

 

 

 

モノを売って、お金に換える。

 

この発想の発端は、リサイクルです。

 

そこからいろいろ派生していき、オークションが生まれました。

 

 

その後、様々な業態との組み合わせが起こり、オークションとはまた違った売買サイトが生まれています。

 

 

 

 

売った商品があっても、売り上げがそのまま入るわけではありません。

なんだかんだと、手数料を引かれます。

そして、材料費などもかかります。

ある程度の時間も取られます。

 

オークションでも、いま流行のフリマ(フリーマーケット)でも、運営していくのはそれなりにたいへんなのです。

 

 

 

もし、いま自宅にあるものを売ろうと思ったとき、ちょっと考えてみてください。

お店に持っていくか、それとも自分で売るか。

そのどちらも、必要最低限の「行動」が必要になります。

それがいつまでも出来ないのであれば、捨ててしまったほうがいいかもしれません。

 

売ろうと思いつつそのままにしているもの

修理しようと思いつつそのままにしているもの

いつかやろうと思ってそのままにしている、いろんなもの。

 

 

 

結局何もされず、宙ぶらりんの状態であるもの。

実はそれ、ゴミよりもやっかいな「ガラクタ」なのです。

 

だって、売らなければお金にならないですし、修理しなければ使えないし、残りをやらなければどうすることもできないし。

 

「どうするか」という目的があっても、そこまで持っていくことが出来なければ、絵に描いた餅と一緒なのです。

 

 

ゴミだと、ゴミの日に捨てます。それは誰もがやっていらっしゃるであろうこと。

しかし、上記のことは捨てるに捨てれません。かといって売る・直す・終わらせる等をしない(できないでは、ありません)。行き場のないモノって、意外と多くあります。モノが溜まっていく状況を当たり前にするのではなく、その流れをどこかで止めてしまわないと、売りたいと思っていたものもいつしか価値がなくなりますし、最終的には途中で断念してしまいます。

 

 

 

そのモノをどうするのかは、そのひと自身にかかっています。

確かに今は業者さんがいます。お金を払えば、ある程度のことはすべてお任せです。

けれどそれは逆に言うと「考えることの放棄」になります。面倒なことは避けて結果だけ求めてしまうのです。その姿勢は、生活態度や仕事においても反映されると思います。

 

 

 

 

 

オークションひとつとっても、自分自身のいろんな心の動きを感じ取ることが多くありました。それはすべてがいいことだけではなく、葛藤や怠け心、そして逃げなども含まれています。オークションを運営するということは、そういった感情との格闘の日々を過ごすということでした。だいぶ慣れましたし、しっかりと考え、対処することができるようになってきたので、完璧とは言えませんが、大きく前進したと思います。

 

 

 

リサイクルするというのは、素晴らしいことだと思います。

と同時に、リサイクルは重い足かせにもなります。

リサイクルが人を活かすこともあれば、苦しめることもあるのです。

仮にもし、リサイクルで苦しんでいらっしゃる人がいるのであれば、いちどリサイクルを中断して、まずは捨てることをお勧めします。

 

 

 

 

今回で「オークション編」は完結です。これまでと同様に、書く前は短期連載で終わるだろうと思っていたものの、いざ書いてみるといろいろと書いてしまいました。このシリーズで書いたオークションに関する知識等はあくまで個人的なものです。もっと効率よくやっている人はいるでしょうからね。ぼくのはあくまで参考程度ってことで。

 

きょうも幾つか出品を行いました。

まずこれを行わなければ入札もされません。大事な行動です。

いまはじぶんのものもある程度増えてきたので、委託品を売却して減らすとともに、じぶんのモノもオークションでの整理を進めていきたいと思います。

 

 

 

ガラクタ整理シーズン5 オークション編、お読みいただきありがとうございました。