いつしか期限は決められていく
ここ数日またまた絶不調です。
季節の変わり目だからなのか?それとも?
単なる未熟さが招いていることかもしれません。
いずれにせよ、注視していく必要を感じています。
きょうはプロ野球のドラフト会議だったようです。
北海道のホームチームは日本ハムファイターズなので地元の報道も日ハムを中心に流しているのですが、ドラフトの時は北海道の学校やチームに在籍している選手のことが流れてきます。運命の瞬間であることに変わりはないのですが、一方でプロの世界を離れていかざるを得ない選手がいることも事実。そこにはどうしても期限というものがあり、わたしたちはこの世界を厳しいものにしてしまったのではないかと考えてしまいました。
「期限」。
周りを見渡してみますと、いろんなところに存在しています。
書類の提出期限やら、賞味(消費)期限。
契約期限(とは言わないか?)、報告期限など、いろんな文言に期限という言葉がついてきます。
スポーツの世界にも実績という期限があり、満足なものを残すことが出来なかったと判断された場合は、構想外という裁定が下ります。こういったアクションは、社会における企業や行政にも言えることです。
期限というものがあるからこそ秩序のようなものを律していくことが出来ると思いますし、反面ドライな反応をされてしまうということもあります。諸刃の剣といった表現がありますが、良い面もあればそうでない面もあります。お金の問題かと言われればそうでしょうとなるでしょうが、お金だけの問題で片付くわけではないと思っています。
期限というものは自分を鼓舞するのと同時に、退路を断つに近いような行為となります。それは苦渋の決断という場面もあるでしょうし、そうでない場合もあると思います。ただ可能性として含んでいることは、期限に基づいて何かを選択したならば、その選択したものに対しても、無意識に(または自然発生的に)期限は発生しているということです。これは論理というよりも倫理に近い考えかもしれないですが。
こういうふうに書いてしまうとなんだか怖いようにも見えますが、無期限という表現も同じような感覚を覚えます。本当はそんな風に見たくはないのですけれどね。
今更ではありますが、自分自身にもこの「期限」が発生しないよう、精進したいと思います。