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とみーのグラウンディング日記

モノ&メンタル スペースクリアラー(仮)、木育マイスターのとみさわゆうじが日々のことやガラクタ整理に関することなどを自身の失敗談も含めて赤裸々に綴っていきます。

先延ばししていることを解決する方法は、ひとつだけではありませんでした。諦めないでいることの大切さ。

Oracle Card No.44[Initiation] 日記

きょう、やっと解決出来ないでいた「あること」を片づけることができました。

 

現在の部屋は賃貸物件のため、使える備品はそのまま使用しているのですが、実は数年前から不具合を感じているところがありました。

 

 それは、照明うえの長さ調節の部分。

 

照明自体が古いものであるため、使用している部品も古かったのです。

入居した当時のことは思い出せませんが、何度か使用しているうちに、調節を担当する部品が破損し、照明が下に降りてきてしまうという状況出来てしまいました。

 

特段不都合は生じていなかったのですが、わたしの身長でも照明に頭が当たったりしたことから、数か月前から対処方法を探っていたのです。

 

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伸びきってしまってます。

 

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透明なプラスチックの部品が破損し、調節不可能に。

 

 具体的な対処方法としては、破損した部品そのものを買ってくることだったのですが、これが見つからなかったのです。近所のホームセンターや家電量販店を見てもその部品は見当たらず、違う方法で調節しようかと悩んでいました。

 

しかし今日、ちょっと離れた大型のホームセンターに行く機会があり、照明コーナーに行って部品を探してみたところ、まったく同じものではないですが同様の働きをもつ部品を見つけることができ、早速購入して取りつけることにしました。

 

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長さもある程度調節できるので、なるべく高いところにセッティングできるよう調整し、対処完了。長年というのは大げさですが、先延ばしにしていたことがまたひとつ片付きました。

 

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長さを絞ります。

 

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照明器具自体も引き上げられたので、部屋が明るくなりました。

 

 

 

ガラクタ整理でも「先延ばし」については触れていますが、なぜ先延ばしにするかというと・・・

 

「今すぐじゃなくてもいいから」

 

というのが主な理由です。

 

 

 

緊急を要するものではないからということです。

 

 その時は、それでいいのかもしれません。

 

 でも、その「緊急を要するものではないもの」がどんどん積み重なっていくと、たとえ緊急を要しないものであってもそれなりのボリュームとなり、あなたの気を引き続けることになると思います。

 

本当はそうなる前に、片づけていくことがいいんですけどね。

今回のわたしのことのように、解決策が中々見つからず時間が過ぎていくということもあり得ます。でも、すぐに手をつけてすぐに対処できるのものも含まれているはず。面倒だからといって、放置していたとしても状況が変わることはまずないと思います。自分の問題であれば尚更です。結局は、自分自身で何とかするしかないのです。

 

 ガラクタ整理の師匠である竹内さんは「カエルを食べる(カエルは比喩で、重要なことを指します)」ことが先延ばしの克服につながると言っています。人間は、誰であれ「怠けもの」の一面を持ち合わせています。要するに楽をしたいわけです。勤勉さが評価される時代でも「楽して儲ける」といった理想を持つ人や実践しているひと(いるのか!?)は少なからずいます。

 

この人生を生きていくうえで「楽をする」ことは必要です。でも、楽をし過ぎるのはどうなのかといったところ。何事も度を過ぎない程度がいいんでしょうね。

 

 

 

 

きょうまで先延ばしになっていたことがひとつ解決しましたが、解決へと至ったものは、探していたものとは少し違うものでした。それでも同じ役割を果たすものと認識できたので、違う方法で対処し、先延ばしを減らすことが出来ました。

 

 ものごとの解決方法はひとつとは限らないと言ってしまえば「そうだよね」という返答が返ってくるのではと思いますが、いざ当事者になると解決方法は「それしかない(ひとつ)」と思いがちになります。それを良い意味で覆してくれることは、自分の頭を柔軟にしてくれるのかな・・・と思いました。

 

 瞑想をして、カードを引いてから体幹トレーニングをするというルーティンが出来上がりつつある中、けさ引いたカードは

 

 

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 No.44「イニシエーション」でした。

 

キーワードは「活性化」「推進」「力の増大」「霊的儀式」

 

 

前にも引いたことがありましたが、理解まではいかなかったのが正直なところ。

今回は・・・ほんの少しですが理解ではなく「わかった」感覚を覚えました。

 

「霊的儀式」ということばに囚われると訳がわからなくなってしまいますが、本来は「日々の成長そのものが、あなたを活かし、発展させる」という意味合いのものであり、どこかに特別なイベントが現れるということではありません。いうなれば毎日の生活が「儀式」であり、じぶんの感性によって「発展」の幅の広がりに変化があるといった具合なんだろうなと思いました。この儀式を受けなれば先へ進めないということは一切なく、すべては自分で決め、自分で進むだけです。社会上の資格においては試験などの「儀式」をこなさなくてはなりませんが、生きていくことについてはその全責任を「自分」が担っているのですから、誰かに認めてもらうのではなく、自分で自分を認めてあげ、そして自分を信じてあげることが、結果として「目覚め」につながるのだと思います。

 

「あきらめないこと」

「信じること」

 

どんなことにおいても大切なことだと、改めて感じました。

続けていくために大事なこと。それはいったい何なのでしょうか。~メニュー調整から考えたこと~

日記

昨夜、体幹トレーニングを終えた後に飛んできた家人のひとこと。

 

 

「絶対続かないから、メニューを減らしなさい」

 

 

長友選手の体幹トレーニングの本を元に組んだメニューはこなすのに現在30分ほどかかっています。中には当然キツイメニューもあり、ぜーぜー言いながらメニューを消化する様を見て、それじゃ保たんでしょという客観的かつ冷静な判断を下したのです。

 

 

その話をされ、以前は素直に従うことはなかったのです。

 

なぜでしょう?

それは「これぐらいのメニューになるのが普通なんじゃないの?」という考えだったから。

 

メニューが少なすぎてもいかんだろうし、逆に多すぎてもねーと思っていたのですが。

 

 

 

 

 

 

もしや・・・・これって・・・・

 

 

わたし、Mってことなんでしょうか・・・・

 

 

 

 

いやいや、ドMだって言われたしね(笑)

 

 

 

でも、それとこれとは「違う」という考えであったことも事実。

筋トレのような基礎運動は「キツくて当たり前」というイメージしかなかったので、何を一体騒いでんの?という気持ちでした。

 

ここで「ようやく」わかったことは、自分の基準と他人の基準は「必ずしも同じではない」ということ。

 

ここではわかっているけれど、別な面ではまったくあてはめていなかったということも少なからずあると思います。でもそれを教えられることで「これくらいはアタリマエ」という価値観から抜け出した考えで物事を見ることができるようになります。それは従来の考えではない、自分にとっては一種の革命のような出来事につながるのかと思いました。

 

 

という訳で。

 

 

 

メニューを減らしました。

ストレッチ⇒インナーマッスル⇒アウターマッスル⇒連動⇒ストレッチという流れで行うトレーニングですが、全部で10の動作を縮小することに。

 

目的別の項目も4⇒2へ。

最初は4⇒3へと考えていたのですが、動作がひとつしか減らず(笑)これでは意味がないんだろうなと思ったので、4⇒2へ変更しました。

 

トレーニング自体も慣れるまでは1週間に3回程度に留めておき、スムーズに行うことができるようになれば、回数もセット数も増やしていく予定です。今はただキツイ動作が続くだけでしかない時間帯ですが、自分の健康等のためにはやるしかないと心に決め、頑張っていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

「練習」ということばは、大人になってからは聞く回数がぐっと減ったように思います。

 

しかし、誰もが「練習」の重要性を理解している「はず」だと思います。

 

 

スポーツにしてもそう。

音楽にしてもそう。

文芸に関してもそう。

何かを創ることにしてもそう。

生きることにしてもそうだと思います。

 

言うまでもなく、専門の分野に関しては「センス」等も必要です。

あのプロ野球選手だって、一握りの存在であっても、練習を重ねても大化せずに終わってしまうこともあります。

 

 

でも考えて欲しいのは、その姿を見て「練習はムダ」だとか「適当にやって適当にこなす」のがいい訳ではないということです。

 

 

 

学生時代に何らかのサークルや部活を経験されたかたなら

 

「練習は嘘をつかない」

 

というセリフはどこかで聞いてきたと思います。

 

 

 

練習を積み重ねなければ本番でも相応の力は出ないと言われます。

つまり、どんなにセンスがあろうが、練習なしではその真価を発揮することは不可能だということになります。

 

 学生時代であればこのことはアタリマエのことであり、うなずけることであったはず。

 

でも社会に出るとこの「練習」は影を潜め、短期間の「研修」を経て「一人前」とされ、短期間のうちに「結果」を求められるようになります。

 

経営者の側からすれば「研修」の期間に十分練習する機会は与えているという主張を通します。そして「毎日が試合」のような環境に一定期間で出され、結果を出してこいとハッパをかけられます。

 

なんというか、社会はなんと殺伐とした世界なんだろうと改めて思ってしまいます。

結果が出なければすぐにお役御免を言い渡される極端な例もあることから、精神をすり減らす人が多くなるのもわかること・・・だと思いました。

 

  

社会人として世に出て活動することは、ひょっとしたら今も昔も相応の「厳しさ」があったかもしれません。しかし現代の厳しさはには「非情さ」が入っているとしかいいようのないことだと感じることも少なくなく、以前にはあった大事なものを「切り離して」いるようにも感じました。

 

今や「結果」を出すことは即「生活」につながること。

そんな綱渡りの毎日を、多くの人が行っています。

それでは、その過酷さに耐えられなくなる人が出てきてもおかしくありません。

 

 

 

そんな世の中で生きることを全うするにはどうすればいいのか。

 

それは「練習」なんだと思います。

もちろん「練習」以外にも色々ありますが、根幹を担うものとしては「練習」が当てはまると思います。

 

 

 

仕事でも、プライベートでも、練習に当てはまる部分はたくさんあります。

その練習を重ねていって、自分の厚みをどう増していくかが重要です。

そこには「考え方の変化」も必要になってくるかもしれません。

表立っての練習は許されないかもしれませんが、仕事も練習を重ねれば、目標を達成できる日が近づきます。結果仕事を辞めてしまうのもいいと思いますが、キツくても、苦しくても、練習を重ねることによって言葉や知識、所作などに「自信」が漲り、それを見て相手も信用をしてくれることにつながるということも覚えておくべきです。

 

「練習」するのは何故でしょうか。

それは「上手く」なりたいからです。

なぜ「上手く」なりたいのでしょうか。

その理由のひとつとして「それが好きだから」という強い想いがあります。

なぜ「続ける」のでしょうか。

それが自分には「必要なこと」だと信じているからです。

 

だから悔しくて涙も流すし、感情的にもなったりする。

ゆずれない願いがあり、行きつきたい場所があるのです。

それは、誰にも止められたり、否定されるものでは、ありません。

 

 

 

わたしも、日々練習しています。

その理由は、ほんとうにいろいろあります。

気持ちもしっかりと固まっていなければ、練習も自然と疎かになる。

その分、遅れが生じると思うようになりました。

 

「練習」の対象がないという人もいると思います。

それでしたら「生きる」ことに対して練習を重ねるのもいいかと思います。

生きることほど、難しさにおいて比較できるものはありません。

練習に練習を重ねて、じぶんの人生にしかない「進化」を遂げ「真価」を発揮していく。

そのための「理由」がひとつでも見つかれば、心と体を動かすきっかけになるはずです。

 

 

 

これまで生きてきた40年という時間のどれくらいを果たして無駄にしてきたかはわかりませんが、これ以上無駄な時間を増やすわけにはいかないと感じました。

 

今の日本の男性の平均寿命はおよそ80歳。そうと考えれば残り40年です。

もちろん、それよりも長い期間生きるかもしれませんし、ぽっくりしてしまうかもしれません。

だからこそ「今」を大切にする気持ちと共に日々「練習」を重ねることで、じぶんがその人生や仕事を通して少しでも伝えることが出来たら、届けることが出来たらと思います。

その気持ちはひょっとしたら独りよがりなことなのかもしれませんが、それぐらいの気持ちがなければいけないのかもしれませんね。

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その21

JAZZ

昨日の絶不調から一夜明け。


だいぶ痛みなどは取れました。でも本調子ではないみたい。

今日は雨風が強い1日だったので無理をせずにだら~っとしていました。


それでもちょこちょこと書類の整理などをしたり、本を読んだり。
家事もこなすことができたので、まずは一安心です。
明日も雨風強いらしいので、無理をせずに過ごしたいと思います。

あ、それでも体幹トレはやります。キツイけど(汗)

 


そうそう、プロ野球の日本ハム-西武戦で日本ハム武田久投手がマウンドに立ちました!
途中交代になってしまいましたが、嬉しいひとときでした。

 

 

 

For Trane / Johnny Hartman

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CDP 7243 8 35346 2 3(輸入盤)

 

 

 

1.My Favorite things
2.Violets For Your Furs
3.Nature Boy
4.Summertime
5.Why Did I Choose You
6.The Nearness Of You
7.I'm Glad There Is You
8.On Geren Dolphin Street
9.My Funny Valentine
10.Sometimes I'm Happy
11.S'posin'

 

Johnny Hartman(vo)
Masabumi Kikuchi(p)#1-3
Yoshio Suzuki(b)#1-3
Hiroshi Murakami(ds)#1-3
Terumasa Hino(tp)#6-11
Mikio Masuda(p)#4-11
Yoshio Ikeda(b)#4-11
Motohiko Hino(ds)#4-11

 

 

ジョン・コルトレーンも演奏した曲を含めたアルバム。
バラードに強いハートマンですが、スタンダード曲も歌い、アップテンポな姿を見せています。

しかし驚いたのはバックで演奏しているのがすべて日本人ということです。

録音は1972年、初冬の東京となっていました。

整理棚からひとつかみ。 ワールドミュージック編 その17

ワールドミュージック

昨日から体調が絶不調のため、今日は以下の記事を掲載します。

 

 

 

EL AMANECER DE MACHU PICHU(マチュピチュの夜明け) / 瀬木貴将

 

TKCA73758

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インカ帝国展イメージアルバム~

 

 

1.Inka
2.マチュピチュの夜明け
3.コンドルの記憶
4.ハチドリのダン
5.アタワルパ
6.ウルバンバ川
7.Inka"SOLO DE QUENA ver."

東京で開催された「インカ帝国展」のイメージアルバム。

日本とボリビアでも高い評価を受け、もはや奏者の第1人者となった瀬木さんの真骨頂です。
突き抜けるような音を出す楽器を、マチュピチュで奏でたらどうなるのだろうと考えます。
空に届き、月に届き、そして星に届く。

そうすることで、自然の恩恵を受けることができるのかもしれません。

改善することは出来ます。やることで「本来」を取り戻すんだ!という気持ちを持とうと思いました。

Oracle Card No.14[Integration] 日記

今朝ですが、昨日の日記にもあるように長友選手の体幹トレをやってみました。

 

 

結果。

きついです、長友さん(汗)

 

インナーマッスルのトレーニングは最初ということもあり、初心者向けの回数でもかなりキツイ。これはもう回数をこなしていくしかないなと思いました。

 

実は今日はいちにち体が「目覚めない」感覚に襲われており、大半を横になって過ごしていました。好調のときもあれば不調のときもあるので仕方のないことですが、久々のことだったので「ここでなってしまったか。」という気持ちでいました。

 

 

 

 

今朝引いたカードが

 

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 No.14「統合」というものでした。

 

キーワードは「合体」「統合体」「全体性」

 

 

 

たとえ今日のような不調な自分でも、目を背けたいほど嫌いな自分でも、じぶんを癒すことで再びひとつになることは出来ると解説で述べられています。

 

これまでの人類は、じぶんにとって不必要なこと、封印したい過去といったようなものは、この先には必要ないと判断し、捨ててきたことと思います。わたしも同様でしたが、ふしぎと捨てたはずのものごとが違うケースに姿を変えて戻ってくることがままあります。それは暗に「捨てるのではなく、ひとつになること」を伝えたくて顕われてきたのかもしれません。

 

 

 

単純に「合体」や「統合」と考えると受け入れがたい感覚が湧き起こりますが、それがたとえどんなものでも「じぶん」に変わりはないのだと認識し、改善していくことで、本来のじぶんになるために「統合」が起こり、成長を果たすのかなと思いました。

 

 

 

 

ここでお知らせ。

 

7月30日(土) 森のCasa Café に、コーヒーとオラクルカードで出店します。

 

イベントページ(フェイスブック)

 

森のCasaカフェ ~HOTな夏はタコスパーティー編~

 

 

 

毎月恒例ではありますが、とても楽しみにしているイベントです。

現在のところ予報は曇りですが、晴れることを祈って、アイスコーヒーを仕込みます!