こういう考えは若いとき限定のような気がしていました。
情熱大陸で。ジャズ作曲家の狭間美帆さんの特集をみました。
とても刺激的で、啓発される内容でした。自己啓発本を読むよりもです。
挟間さんの言葉には説得力があり、また力がありました。
語られる言葉はシンプルでしたが、うなずかせるものがありました。
驚いたことですが、挟間さんは日常のことやツアーに関わることを一人ですべて行うとのこと。多忙な中でそのようなことも行うのは、大変だと思います。
しかしそれができる、もしくは実行するというのは、管理能力があるのか、もしくはリズムが整っているかのどちらかなんじゃないかと個人的に考えています。
彼女のようにはいきませんが、この番組を見て、自分はどこまでいけるだろうかと考えてしまいました。
つまりは、高みに登れるか、ということを考え始めたのです。
ひとりで何かを行うには限界がありますが、挟間さんのそれはその限界を意識していないように思えました。それは自己との対話を徹底的に行うことで、納得のいく答えを出すという姿勢がそうさせているのだと思います。
果たして、自分にそれができるでしょうか。
現在、ひとりでの立ち回りでまだどのような行動も定着していません。
そのなかで落ち着かせていくのは、至難のわざだと思っています。
その反面、別な自分は「自分はどこまでやれるか」というのを興味深く見ています。
少し変態的ですが、「自分がこの小さな世界をどこまでコントロールできるか」という野望のようなものを抱きつつあります。
これらの展望が叶うまでに体力と思考力がもつかが問題です。
もっと若いときにこのような向上心があればと後悔しているくらいです。
ですが、札幌で働いている時にはもうこの気持ちは湧きおこりませんでした。
出世も何も考えなくなったいま、再び何かを目指したいと思えるようになっています。
倒れるまでというのは表現上よくはありませんが、とことん突き詰めていく意味はあります。
ここでどこまでいけるか。どこを目指せるか。
次があるなしに関わらず、ぼくはこの場所で対話を重ねたいと思います。