つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

北海道八雲町、八雲地区(市街地)の、ごみ分別の話。

札幌市中央区から二海郡八雲町(ふたみぐんやくもちょう)に移住して、いろいろと覚えなければならないことがありました。

 

そのひとつが「ごみの分別」です。

 

 

 

現在は恐らくどの地域でも指定された「カテゴリ」毎にごみを仕分け、指定の曜日にごみを出すということを行っていると思います。

 

  

 

札幌市でのゴミ事情を振り返ってみますと。

 

・容器、包装、プラスチック

・缶、びん、ペットボトル

・雑紙

・燃やせるゴミ

・燃やせないゴミ

・枝葉草

・その他(乾電池・使用済みのカセットボンベなどの缶)

・粗大ごみ

 

というように分かれていたように思います。

 

ごみ袋はどうしていたかと言いますと。

 

・容器、包装、プラスチック

・缶、びん、ペットボトル

・雑紙

・その他(乾電池・使用済みのカセットボンベなどの缶)

⇒一般的なポリまたはレジ袋など

 

・燃やせるゴミ

・燃やせないゴミ

・粗大ごみ

⇒指定のごみ袋または専用のシール

 

 

となっていました。

 

ここで振り返って思ったことは、指定のごみ袋を頻繁には買っていなかったんだということでした。

 

 

 

 

 

では、八雲町のごみ分別はと言いますと、札幌市在住時と比べてこのように変わりました。

 

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写真を元に書いていきますが

 

生ごみ

・燃やせるごみ

・燃やせないごみ

・容器、包装、プラスチック

・雑紙

・空き缶

・空きびん

・ペットボトル

ダンボール、新聞、雑誌類、紙パック、白トレイ

・その他(乾電池・使用済みのカセットボンベなどの缶など)

・粗大ごみ

 

となり、10種類以上の項目に増えていることがわかりました。

 

 

 

 

実は函館出張時代から道南のゴミ事情については耳にしておりました。

つまりは「分別が細かい」ということ。

話しでは七飯町がいちばん細かいと聞いているのですが、いやいや、八雲町も負けていないのではと思うほどでした。

 

 

ちなみに、指定のごみ袋の種類も増えており、

 

生ごみ

・燃やせるごみ

・燃やせないごみ

・空き缶

・空きびん

・ペットボトル

 

が、町指定のごみ袋で出すことになっています。

その他はポリ袋などを利用するのですが、一気にごみ袋への消費額が上がり、すんげー複雑な気分になります(それだけ資源は大切にしましょうということなんだろうけども)。

 

ある程度の分別には慣れましたが、未だによく解っていないのは

 

生ごみ」と「燃やせるごみ」の違い

 

になります。

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これには判別表がついていますのでこれを参照にしていくしかありません。

いずれにせよ、慣れていくしかなさそうです。

 

 

 

で、もうひとつわからないことがありまして。

 

 

 

こちらをご覧ください。

 

 

 

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こちらは八雲町のごみ収集カレンダーなのですが、札幌市のものとは異なり、一色刷りというシンプルさ(笑)

問題はそこではなくて、収集日のところに注目していただきたいのです。

 

遠目でわからないかもしれないのですが、

 

・「生ごみ」と「燃やせるごみ」の日

・上記以外のごみの日

 

の2つしかありません(汗)

 

これに最初は少々戸惑いました。

 

 

 

このスケジュールは祝日などがありますと変更となる場合があり、本来収集日であっても収集しない日が出てくることがあります。そういったことにも注意しないとなりません。

これに最初は振り回されました・・・

 

 

 

 

 

とまぁ、郷に入っては郷に従えということばのとおり、八雲町のいちルールに慣れるため日々格闘をしています。他にもルールはありますが、それを踏まえていきませんと、たとえごもっともなことを言っていたとしても、条件などを踏まえていなかったとしたら、文字通り「あべこべ」となってしまいます。

 

話しは少し逸れますが、ネット上に蔓延している「匿名の意見」は、自分の立場を「隠して」意見を言っていることになります。それを当然の権利、または自由だという主張もありますが、ことばはそれを発する人の立場が担保となり、その重みなどが増す場合があります。現代の批判社会はそこをすっ飛ばしており、意見というものが凶器となってしまい、対象者の命を奪うまでになっています。そうなってしまっては、ネット上で発する意見の「正しさ」とはなんなのか、つい考え込んでしまいます。

 

 

 

ルールを守ることで、培うことができるものがある。

その土台の重要さを感じた出来事でした。