つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

伝われば。

さきほど30分番組でジャパニーズ・ウィスキーについて触れたものがありましたので、その番組を最後まで見ていました。

 

ウィスキーはぼくも20年前くらいから飲み始めています。

朝の15分ドラマも観ましたし、小説も読みました。いまでは漫画もありますから、昔と比べると魅力を十分に伝えることが出来ているのかもしれません。

 

しかし、いまや大人気のウィスキーでも、低迷の時代がありました。

その起死回生の策が、なんと「ハイボール」だったそうです。

 

 

ぼくもハイボールの人気ぶりは知っていましたが、ウィスキー消費拡大のための方策がハイボールだったとは驚きでした。

しかし、このハイボール、企画としてあげていたときは理解を得ることがまったくできなかったそうです。

 

理由は、「こんな飲み方をするのか」と、憤りの声が聞こえてきから。

これは本来のウィスキーの飲み方ではないと、伝統の壁が立ちはだかった瞬間でした。

 

 

その一方で、業界でブレンダ―と言えば最初に挙がるのはこの人、というくらい有名なかたがインタビューで仰っていたことは

 

「どんなに自信のあるものをつくっても、伝わるかどうかはまた別の話」

 

といった主旨のことだったと思います。

 

 

それは会社の営業の仕事に似ているかもしれません。

わが社の製品はこんなに優れています、と自信たっぷりに伝えたとしても、相手にそれが十分に伝わっているかはまた別です。

 

ウィスキーにはそんな寒い冬の時代が長くありましたが、それは決してウィスキーだけの話ではないはず。結構「先入観」を壁にして伝わることを拒否している人は、いくらでもいます。

 

 

真正面からその壁を壊す、または超えようとしても難しいものが、変化球といいますか、攻める方向を変えることでぐらりと揺らぐことが多々あります。

どうにも人間は真っ向から勝負したがる性質のようですが 汗。

 

 

 

 

この番組を観て、思い出したことがありました。

 

先日のぼくの企画、係長に見せた時の会話でしたが

「人がそんなに入るとは思わないんだけどなぁ」

ということばを発していました。

 

 

言いかたは悪いですが、「やるならやれば?」的な雰囲気は出ていたと感じています。

それも、よくよく考えてみますと「伝わっていなかった」と考えれば、うなずける話になります。決して、「係長は敵だ!」とは思わないということになります 笑。

 

 

正直、そのときは「どうして応援してくれないのだ」と想っていました。

それをバネにして、役場のやり方に則って書類を提出し、イベントを実現させました。

このイベントを手掛けたかった理由は、「伝え方を見つけたかった」ということかもしれないと、ふと感じました。

 

 

ぼくのイベントは「木育」の名称を有しています。

これは正直、初めて見る人には「?」なことです。

そんな人に対して、「これはとてもいいイベントだよ。だから来てね!」と言っても、首を傾げられて終わりになってしまうと思います。

 

実例として八雲町内の幼稚園に告知のポスターを貼ってもらおうと営業していた際、幼稚園の先生に「これは町の事業ですか?」と聞かれたことがあります。

そのときぼくは「町の事業になりますが、主催は地域おこし協力隊です」と答えており、先生に「なんだかよくわからないなぁ」という顔をされたことを思い出しました。

上のような返答をしたのは、ちょっと警戒されていると感じたからだと思います。

町が嫌われているのか、協力隊が嫌われているのかはわかりませんが、仮にどちらかにおいて事実だったとした場合、「そちら」で判断するのではなく、事業の中身で判断をしてもらえたらと感じました。その後、その幼稚園でポスターの扱いはどうなったかはわかりませんが。これもまた、「伝わる」ことが重要になってきます。

 

 

 

なにかをやりたい!という想いも、誰かを想うということも、どこかで「伝える」ということが大きなカギになってきます。伝えなければ、前に進めることは決してできないからです。その場合、ただ「これをやらせて欲しい」とか、「きみが好きなんだ」とだけ言ってしまっても、何も伝わらないことだけは覚えておきたいと思います。

 

伝えるときにも、伝え方があり、そして伝えるタイミングなどがあるんだと。

 

どんな方法でもいいから伝えればいい、という時代にもなってしまっています。

ぼくも時折その方法にお世話になったりしていますが、大事なことはそれで済ませてはならないと感じてもいます。

 

 

ぼくの気持ちが伝われば。

 

それが出来れば、どれほど~と想うことはいつでもあります。

 

 

反面、ぼくはぼくの気持ちのことをどれくらいわかっているだろう。

と、禅問答のように考えることもあります。

 

 

それがわかるようになるならば、争いの大半はなくなるような、そんな気がした月がとてもきれいな夜のことでした。