とみーのグラウンディング日記

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

動けなくなった原因を探る。~本気の証、純粋さの証~

先日までニセコで行われていた瞑想合宿から戻ってほどなく。

 

 

 

動けなくなりました(汗)

 

 

 

先週の日曜日に戻り、2日ほどである程度のことをやって通常運行にしようと思ったのですが、見事なほどに動けなくなりました。

 

そして運の良いことに、または悪いことに、家人が東京に行っていたため、家でひとりお留守番。

 

 

 

 

ただただ。

何もしない時間ばかりが過ぎていきました。

 

 

 

 

 

ご飯を作る気になれない(ニセコではあれだけやっていたのに)

⇒もとよりご飯を食べる気になれない

風呂に入る気になれない

トイレに行く気になれない

買い物に行く気になれない

などなど。

 

 

ちょっと!!!大丈夫なのアンタ!!!という状態でした。

 

ただ、動けていた時間はあったのです。突如、動けなくなりました。

そのため、ベッドでごろごろ。ソファでごろごろ。

きょうまでのあいだ、座った(瞑想した)時間も激減しました。

 

 

 

とにかく何らかの表現を当てはめようとしますと

 

「燃え尽きた」

 

ということばが浮かびます。

 

 

 

 

とにかく、なにも「ない」状態のように感じました。

じぶんの周りのこと、そのすべてに対して興味や関心が一気になくなるような、そんな危うさを感じながら、それでもただただそこに佇んでいるだけでした。というか、それしかできなかったと言った方がいいかもしれません。

 

現在は少しずつですが日常の動きができるようになっています。

買い物も、ゴミ出しも、洗濯なんかも、普通にできます。

コンディションが戻りつつある中で、あの状況について考えてみたところ、こんなことが浮かびました。

 

 

 

 

 

つまりは

「からっぽになった」

と。

 

 

 

 

まぁ、燃え尽きたというのと表現は似ているのですが、個人的に瞑想合宿に対する姿勢、想いについては自分でも少し重しを乗せすぎのところがあり、それ相応に苦しみました。しかし周りの奉仕者の中には奉仕に慣れている人もおり、誰もが苦しんでいる訳ではなく。自分が勝手にひとり苦しんでいるようにも見え、それが滑稽にも感じました。

 

瞑想合宿は、比較的長い時間をかけて行われます。それだけの時間を用意して参加するのは、現代社会では容易ではありません。だからこそというのか、それだけのというのか、とにかくここで自分に向き合う大切さを知るいっぽうで苦しみを味わってきたからこそ、ここでの時間の貴重さと、この時間にかけるものがあったのです。それが大きな足枷になった部分もあるだろうなと、振り返って反省しています。

 

ただ、片手間のような姿勢では意味がないとはっきり言うことができます。

生徒さんは1日10時間ものあいだ、瞑想に集中します。奉仕者は3時間ほどが必須となっていますが、これでも途中はキツイと感じるほどでした。つまり、手を抜くことはいくらでもできる環境にあります。世話役のひとはいますが、常に気にしてくれているわけではありません。自分で自分を律すことを肝に銘じなければ、効果は半減するでしょう。それだけ、自分に目を向けることの大切さや大変さを、身を以て知ることができます。

 

 

 

 

ああ、自分はからっぽになっていたんだ。

と、ある程度の考えに行きついてから(正解かどうかはわかりません)、補給をするかのように身なりを整え、料理をするなどして、普段の生活に戻り始めました。そしてなぜかビデオが見たいと思うようになり、録画していた番組や、レンタル店でDVDを借りて見るようになりました。たぶん、ことばに飢えていたんじゃないかと思っています。しかも映像というのが、自分でも珍しいことだなと思っています。なぜならことばであるなら、圧倒的に書籍に頼るところが大きいからで、レンタルを利用することは年に1回程度。まぁ、その年1回がこの時期なんだと思えばそれで終わりなのですが(笑)、その衝動にぼく自身、ちょっとした珍しさというか、変わった動きを感じていました。

 

 

 

録画した番組も過分にあり、消化していかないといけないと「は」思っていたのですが、今までは何ら影響も感じていなかったため、放置することが多々ありました。これを少しずつ視聴し減らしていくことで、後々大きな整理につながるんじゃないかと考えながら、消化しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回参加したヴィパッサナー瞑想の合宿は、本気で臨みました。

前回も、今回も、本気です。

その本気が足枷になりましたし、乗り越える原動力にもなりました。

本気だったからこそ、終了後エネルギーが切れたようになり、どうしてよいか一時本気でわからなくなりました。でも、本気であったからこそ、その「火」は消えることなく、種火程度のものであっても、ぼくの中に残ってくれていました。

 

それがまた、徐々に大きくなりつつあります。

 

 

 

 

 

ニセコでの体験談は今後不定期に更新していきますが、それと併せて、自分がどう進んでいくのかがとても楽しみです。そこに揺るぎなさがあれば、軸がしっかりと立っていれば、どのような判断、選択をしたとしても、実になる結果として恩恵が与えられるのではないかと思いました。

 

 

さぁ、5月も終わりにさしかかり、もう6月に突入です。

時間はあっという間に過ぎていきますから、楔を打つようにしっかりと、やるべきことを果たしていきたいと思います。