つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「楽(らく)」ではなく「楽しさ(たのしさ)」を求めよ。

今日は前々から忙しくなりそうだということがわかっていた1日だったのですが、そういう日に限ってイレギュラーなことが次々と起こります。

 

そのため、本日の昼食は車中(行儀良くないですが運転しながら)でとりました 汗。

 

 

上記のような状況はそうそうあるものではないのですが、幸いなことに過去に経験済みです。そのため、忙しい状況の中にはあってもどこかで冷静な自分がいました。

 

 

 あるあるではないですが、忙しいときに限って次々と・・・というのはよくある話ではないかと思います。誰もそれを望んではいないと思うのですが、実際はそれがよく起こります。

 

そのような状況を迎え、何とか最低限のことをこなした後に家人と話をしたのですが、こういうときにこういったことが起きるのは、少なくとも試されているということであるし、何かを阻もうとしている動きが無意識に起きているということで見解が一致しました。

 

すごく空想な話で恐縮なのですが、何かを変えていこうと思いますと、どこかしらからそれを遅らせよう、中止させようという働きが起きます。それに屈してしまいますと、作業が途中で中断してしまい、最悪そのままになります。邪魔する側の目的はまさにそこで、「変えさせない」ことにあります。現状維持が最低ラインなのです。

 

ぼくが新しい職場に来て、これまでやられてこなかったことに手を付け始めています。

その矢先でのイレギュラーな忙しさであるため、この先の予定が大幅に変わっていく可能性を含んできました。しかし、当初から決めていたことを中断するわけにもいきません。時間としては長くかかると思っていますが、いつまでも先延ばしにするわけにはいかないのです。

 

 

 

口癖のようにして聞こえてくるのは、おおよそが「楽(らく)」だと思います。

要するに、苦労とか面倒なこととか、みなさん回避したいと考えています。

スピリチュアルな話をしますと、現実的な労力を回避したいがために楽を求めるかんたんな行動に走り(俗に言う祈りの類)、それを手中にしては宣伝しているとう構図があります。

 

それは実際に起きていることなので何とも申し上げることはありませんが、それは決してその人のためにはならないと考えるようになりました。

 

 

恐らくですが、楽という観念はそのときで変わります。

そのため、時期によっては楽であるものが楽でなかったりします。

そうみていきますと、楽を求めるのは危険ではないだろうかという考えに立ちます。

 

では何を求めたらよいのでしょうか。

それは「楽しさ」ではないかという仮説を立てました。

 

楽となりますと、自分自身ではなく外部に依存している感覚を持ちます。

楽しさとなりますと、自分自身で感じて動くという印象を持ちます。

 

好きという感覚が時間とともに真逆になる時代でありますから、楽を求めてもその先には苦が待っているのではないだろうかというのが、個人的な見解です。

ま、今の状況が楽であるならば、そこまで考えることはしないですがね。

それは、幸せという言葉に置き換えても同様だと思います。

 

 

 

ぼくは結局、楽をしたくて八雲町に移住して、定住のために就職したのではありませんでした。なんとなくですが、今日という1日を過ごしてわかったことでした。

求めるのは「楽」ではなく「楽しさ」だということに気づかされました。

楽しさを求めるためにはどのようなことを経験していかなくてはならないか。

そのことを少し深く考える日となりました。

 

 

 

※取り急ぎ記事をアップします。

 後ほど写真を追加で掲載します。