つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

じぶんの体も家にあるものも、共通して言えることは「お通じ」が大事。

定期的に「ゴミを捨てる」こと。

 

 

 

かんたんに思えることが、だんだんと難しく感じる世の中になっているようです。

 

 

 

 

 

ぼくは今でこそ「がらくた整理」を実践し、自身の仕事の柱としていますが、そこに至るまでの間は

 

片づけない

捨てない

めんどくさがり

 

の三拍子が見事に揃ったひとでした。

 

 

 

テーブルやパソコン周りには何かとモノが散乱し、衣類も色が薄くなってきたものも律儀に着まわす。

モノを減らすことよりも増やすことに美学を感じ、また何かをコンプすることで充実感を感じていました。

 

つまりは、モノを増やすことが「満たす」ことにつながるのだと考えていました。

 

 

 

 

 

そのまま過ごすことができるひともいると思うのですが、ぼくは違いました。

 

結果、心を病みました。

 

 

 

 

仕事の激務とか人間関係などが重くのしかかり、自律神経のバランスが崩れていました。

当時はその原因を「仕事」や「人間関係」と、ある意味「外」に向けていましたが、断捨離やガラクタ整理に出逢い、問題の根源は「外」ではなく「内」にあることに気がつきます。

 

 

 

そこから始めた、じぶんの持ち物の整理。

かれこれもう、5年以上続けています。

 

 

 

何を整理し、捨ててきたかはこれまでのシリーズをお読みいただければと思うのですが、これまでの整理で大きく変わったのは

 

 

 

「定期的に捨てるモノの種類を増やしたこと」

 

 

 

だと思います。

 

 

 

 

例えば生ごみは定期的に捨てますよね。放置しておくと匂いがきつくなります。

不思議なのは「捨てなきゃ」と思って捨てるのもあれば、「まぁ、今捨てなくてもいい」と感じるものもあるということ。それは直近に何かしらの「実害」がないからで、ついそう思ってしまうというのが主たる傾向だと思います。

 

 

普段捨てるゴミの中で、おそらく定期的に「しっかりと」捨てるのは「生ごみ(燃やせるごみ)」。

 

それ以外のゴミを見てみると(札幌市のゴミの分類の場合)

 

・紙ごみ

・容器、包装、プラスチック

・缶、びん、ペットボトル

・燃やせないゴミ

・大型ごみ(粗大ごみ)

・枝、葉、草

 

があり、そのほとんどが「ある程度溜め込める」ことがわかります。

枝、葉、草は自宅に庭などがあってそれらを剪定した場合に出るものと想定されるので、毎度のことではありません(収集時期も限定的)。これを外すと、そのほとんどが「匂い」がしないものばかり。そうなると溜めてしまってもそう気にならないのが実情です。

 

加えて、自宅にゴミを「溜め込める」スペースがあるなら尚更。そこに少しずつ、そしてどんどんと積み上げていく、という流れになっていきます。

 

 

 

このような状況で捨てないままでいてしまうと

 

「捨てるごみが少ないから、今日わざわざ捨てに行くこともない」から

「捨てるものが多すぎる。ゴミステーションまで運ぶのが面倒」へと、いつしか理由が変わり、行動するための腰が重くなり、重症化することが考えられます。

 

以前住んでいた家は今いる家よりも収納スペースがあり、至る所にモノを収納することが出来ていました。そのため定期的に出すゴミですら、ある程度の期間溜めて捨てていたのです。階段の踊り場や客間など、溜めていくうちに本来捨てようと思っていたゴミの存在を忘れるほどになっていました。

 

 

 

こんな症状を、がらくた整理をすることによって「先延ばし」しないように少しずつ変えていくことができるようになりました。

 

決して「がらっと」ではありません。少しずつです。

じぶんのできる範囲内で、少しずつです。反動も少なく、定着も着実です。

ぼくは物覚えがそんなに良い方ではないため(汗)きょうまで続けてきて、やっと定着したものもあるくらいです。

 

 

 

がらくたは、いわゆる「ごみ」です。

ごみは、捨てないとなりません。

 

そのごみを「溜めたまま」でいると、果たしてどうなるでしょうか?

 

それを、自分のからだに置き換えてみると、どんなことが起きているでしょうか?

 

 

 

 

先日読み終えた本で「呼吸の本」というのがあります。

 

その中でですが、呼吸は「吸う」よりも「吐く」ほうが大事だと言われています。

吐く、とは、つまりは「捨てる」行為になります。

 

 

捨てなければ入ってこないという理屈は、呼吸にも当てはまるようです。

 

 

 

 

ですが、多くの人たちは「捨てず」に「溜め込む」ことを良しとしている傾向にあります。

それは直近の実害がないからという印象が強いですが、長い目で見ていくとどうでしょうか。いつ「発症」するかもわからない病状がすぐそこに来ているかもしれません。でも、いまはまだ大丈夫と言って、中々「動かない」のが実情です。

 

わたしたちは水やお茶などを「飲み」、ごはんやおかずなどを「食べ」ます。

それらは後々、自然と「排泄」されます。それが自然の流れであり、正常な行動です。

 

 

 

ときには、なかなか排泄されない場合もあります。それは体質などにもよりますが、排泄物が出てこないことが原因で、体調に不調の兆しが見え始めます。出さなくてはならないものを「出せない」「出さない」状態が続きますと、それが原因による体調不良を引き起こします。

 

それが、自宅の「がらくた」にも言えることなのです。

 

 

 

しかしながら現代は刺激的な世の中です。

「捨てる」というちょっと面倒な作業がある傍ら、ちょっと目を逸らせば魅力的で楽しそうな出来事が満載です。お料理教室や各種講演会、イベント、仕事やプライベートなど、一瞬にして「忙しく」してしまう要素が満載です。そしてそれらに共通することは「増やす」こと。なんだか減らそうとしているのを邪魔しているかのように感じてしまうほどです。

 

ぼくもモノを捨て始めたとき、その作業は別室で行っていたのですが、これを見た家人は無意識に次々と横やりを入れていました。それは、

 

 

「えー、それ本当に捨てるの?」

 

 

ということばを根本とした、あらゆる「引き止め」のことばであり、「先延ばし」をさせるための抵抗のようにも感じました。服の整理をしているときには服の、本やCDの整理をしているときにはそれらの、つまりはこちらがやっていることを目にするたび(わざわざ見に来ていましたが 汗)に、こちらのやる気を削ぎ落とすかのような発言を繰り返していました。

 

その発言にどう対応したかはちょっと覚えていませんが、整理する方に集中していたはずなので、たぶん受け流していたと思います。ちょっとむかっと来ましたが、すぐに整理に向きなおしました。ただ、繰り返し言っていた記憶があるので、堪りかねて何かしら言ったかもしれません。

 

 

 

 

家の中での整理は、職場と比べると格段に大変だと思います。

ご夫婦であればそのどちらか、ご夫婦の親と同居していた場合はその親が、お子さんがいらっしゃればお子さんが、整理する姿を見ては止めようとするからです。人によっては、1日の中で整理に充てられる時間は数分あるかどうかという人もいらっしゃると思います。

 

 

 

突き放すような言い方になってしまうのですが、それでもやるしかないのです。

たとえ1日の中で整理できる時間が5分しかなくても裏を返せば「5分もある」のです。その短い時間内でも、最初はパフォーマンスが悪くても、地道に続けていくしかありません。その源となるのは、整理を行う人の強い「意志」に他なりません。どれだけ周りのひとのことばや雑誌の特集などに触れたとしても、最終的には自分でどうするかを「決め」、そして「動く」ことをしていかないと、意味がなくなってしまいます。ぼくがこれまで綴ってきた内容では説得力がないかもしれませんし、かえって反発を生んでいるかもしれません。それでも、ぼくは実際「がらくた整理」で大きく変わりました。それは紛れもない事実です。その内容を信じていただいても信じていただかなくても、ぼくはその経験と、日々の実践を記録として綴っていくだけです。

 

 

 

 

 

去年の今頃は、隔週で東京に飛び、講座を受講しては帰札して、イベントのチラシをお店に置いていただけるよう営業を行っていました。これと並行してじぶんのがらくた整理をしていたことは言うまでもありません。

 

昨年と比べると、格段にモノは減りました。夏から秋にかけて「安定」を実感しましたが、いまはそこから更に加速させるための試行錯誤を繰り返しています。

 

単純に「○○すればこうなる!」ではなく、自然の摂理と照らし合わせながら、がらくた整理を勧めるという活動をしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

今年に入ってからのがらくた整理は、やはり「紙ごみ」が多く出ました。

自宅で忘年会、そして新年会などを行ったことや、たくさんのいただきものが出てきましたため、空箱や台紙などでポリ袋が一気にぱんぱんになりました。

 

家の中のごみでも、現在は紙ごみが溜まりやすい傾向にあります。それは収集間隔が2週間に1回だからかもしれません。食品を買っても、衣類を買っても紙ごみは出てきます。多いときには2週間のうちに2つはかんたんに袋が出来上がります。増えないときは1ヶ月で1袋がやっとというときも。その差も激しいものです。

 

 

 

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たがが1袋。されど1袋。

 

1袋くらいでしたら、部屋の隅等置いておいても何ら気に留めないでしょう。ただ注意してほしいのは、そこが発端になるかもしれないということ。溜めようと思えばこれでもかというくらいにひとは簡単にものを溜め込むことができますから、しっかりと管理を行っていくことが大切です。

 

しっかりごみを出すということは、いわば家の「お通じ」が良いということになります。

お通じが良くなれば、体調は良くなります。それは、その家にも、その家に住む人にとっても、同様です。

 

 

 

 

 

 

去年ですが、こんなタイトルで記事を書いていました。

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

家を軽くすることは、自身の身も心も(Body&Soul)軽くすることに通じます。

 

がらくた整理は、エンドレスに続きます。

 

それは生活をしている以上、必要な行為になります。

大袈裟に聴こえてしまうかもしれませんが、呼吸をするのと同じくらい大事だと思います。

 

 

エンドレスに続くからこそ、ついおざなりになってしまうこともあります。

定期的にそういった部分を見直しながら、理想に近づけていこうと努力する。

その道の途中にこそ、ほんとうの余裕であったり、充実さが出てくるのだと思います。

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

運転、見合わせ中 畑野智美 実業之日本社 (41)

呼吸の本 谷川俊太郎 加藤俊朗 サンガ(CDつき書籍) (42)

 

あなたへ。

きょうは、大事なひととの別れについて書き遺そうと思います。

 

 

 

きょう2月10日が、大事なひとたちとの、別れの日でした。

 

 

 

そのひとりが、ぼくの父になります。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくの父はぼくが中学1年のときに糖尿病による症状が原因でこの世を去りました。

「人間五十年」という敦盛の唄は有名ですが、父はその「五十年」を生きることが出来ませんでした。

 

 

 

父との思い出を、書き遺そうと思います。

 

 

 

 

小さい頃の残っている記憶では、父は仕事帰りが遅い人でした。

いまは普通に午後の9時10時など起きているお子さんが多いと思いますが、当時としては眠ってしまうのを何とか我慢しながら父の帰りを待っていた、という状況です。

 

そのときに定期的にやっていたのが「電リク」。

電話による楽曲のリクエストでした。

AMラジオだったはずなのですが、リクエストによる投票で順位を決める音楽番組があり、それを聴きながら父の帰りを待ちつつ、黒電話のダイヤルを回していた記憶があります。

 

しかも記憶に残っていたのは「チェッカーズの新曲」(笑)。

小さい頃はろくに曲名など覚えていなかったようでした。

 

 

 

家族で出かけた思い出はひとつだけ。

 

車で連れて行ってもらい、どこか崖のようなところの近くに停車させました。

その崖というか、奈落の底のような光景が、こども心に怖かった記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

次に記憶が残っているのは、一気に小学生になった時点まで時が進みます。

 

このとき、父は既に糖尿病を発症していたようでした。

 

 

 

当時糖尿病は「ぜいたく病」と言われていたようです。

実は父がどのような仕事をしていたのか、大人になるまではっきりわからなかったのですが、どうやら営業のような、外回りのような仕事をしていたようです。そのため外食が多く、またジュースなどもたくさん飲んでいたようです。

 

一日中臥せっている父を見て、こどもながらに父は病気なのだと思いました。

それが治るかどうかというのは、今思うとまったく考えていませんでした。

それはたぶん、このままずっと父がいるものだと思っていたんだと、思います。

 

 

 

父の病状は意外にも重く、授業参観日や運動会など、学校の行事に参加することがほんとうに難しい状態でした。ただ1度だけでしょうか、ごはんのときに合わせて父が学校のグラウンドに来てくれた記憶があります。そのときはどんなお弁当か忘れてしまいましたが、一生の思い出になったことは言うまでもありません。

 

父は週2回ほど、透析に通っていました。

透析は思った以上に体力を消耗するようで、透析が終わって帰宅した父はほんとうに調子が悪そうにしており、すぐに横になってしまうほどでした。付き添っている母もたいへんそうでした。何度か衝突している姿を見ました。それがとても辛かった記憶が残っています。

 

 

 

 

そんな生活がずっと続いていたので、父と一緒に撮った写真が少なかったです。

 

おそらく、最後に撮った写真が、小学校の卒業式に出席する前、自宅で撮影したものだと思います。当時は、まさかこれが最後の写真になるとは思ってもみませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから1年も経たないうちに、父が亡くなります。

 

 

 

もう25年以上も前の話しです。それでも、昨日のことのように憶えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日は、土曜日でした。

その日ぼくは教室で理科の授業を受けていました。担任の担当する授業でした。

 

 

授業中に他の先生が担任の元を訪れ、短く会話した後に「冨澤、すぐ帰れ」と声を発しました。兄が既に自宅にいるらしく、すぐに病院に迎え、と。

 

 

何がなんだかよくわからないまま、自宅へ戻りました。

そしてタクシーに乗り、父が透析を受けている病院へ向かいました。

 

 

 

いったい何が起きていたのか。

想えば、当時の状況を家族に聴くことはしばらくのあいだありませんでした。

 

また、聴いても真面目にというか、しっかりと答えてはくれませんでした。

それはその話しを聞こうとしたとき、ぼくがまだ大人ではなかったからなのかもしれません。しかし、いま聴いても同じかもしれないなと、思っています。

 

 

 

おおよそ聴いた話(記憶に残っている話)はこうでした。

当時父は透析中だったようなのですが、血糖値が高いため血管を流れる血液が固まるという症状が出たため、危険な状態に陥ったそうです。そのため透析を中断し、集中治療室に移動して必要な措置を行っている、とのこと。

 

この話を聴いたところで当時中1のぼくには、何がなんだかわかりませんでした。

ただ、家族の表情がいつもと違う。これはただ事ではないということだけはわかりました。

 

 

 

その後父と話が出来る状態になり、家族で面会。

しかし、透析が途中でストップしたままで、どうしても続けなければならないとのこと。

かんたんなことばを交わし、父は再び透析治療に向かいました。

 

その後の記憶は飛び飛びなのですが、その姿を見てぼくはどうやら気分が悪くなってしまったらしく、面会者の休憩室のような場所で横になり休んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらいの時間が経過したのか、まったくわかりませんでした。

 

少し調子を持ち直したかも、と思ったそのとき、一緒に面会に来ていたひとがぼくを呼びに来ました。

 

その声には、悲痛なものが込められていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

走りました。

 

 

何も考えずに、ただ走りました。

 

 

 

 

 

父が横になっているベッドを囲むように、家族や医師、看護婦さんたちが立っていました。

ぼくがその場に辿りつき、吸い込まれるように父の傍に来るよう促される。

ほどなくして、時計を確認した医師が、永遠の別れを告げました。

 

2月10日、17時5分。

父は、ついに元気になることはありませんでした。

 

 

 

 

長い時間、父のとなりで泣いていたと思います。

その後、どうやって家に戻ったかは覚えていません。

葬儀が終わるまで、ずっと泣いていたことだけは記憶に残っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ぼくは母子家庭で育ちました。

母は、大変だったと今更ながらに思います。

父がもう受け答えしてくれない状態になり、ただ泣くしかなかったぼくは、父の前で「母を守る」と誓いました。それが果たされているかどうかは自分での判断はしにくいですが、こどもながらに「父の代わりにぼくが」という気持ちでいたのだと思います。

 

 

 

 

 

家族3人になり、ぼくが成人してから、父の若かりし頃などを耳にする機会がありました。

 

父は当時結構ハイカラな性格だったらしく、服装にもこだわりをもっていたそうです。

親戚を中心に父の話を聴くなんてことは思いもよりませんでしたが、ぼくの知らない父の姿を垣間見ることができ、ほんとうによかったと思っています。

 

また、先日大往生した祖母からも父の話をしてくれたことがあります。

父との思い出が少ないぼくにとっては、誰かの記憶に残っている父の話が、とてもいい思い出になっています。

 

 

 

 

 

 

 

毎年、この2月10日には必ず父を供養しています。

甘いものやらお酒を、一緒に食べています。

日頃は父のことが頭にない状態が多くありますが、決して忘れず過ごすことが出来ています。いまどこで何をしているかはわかりませんが、きっと元気でいるだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

何年前の話しだったでしょうか。

 

 

実家から、8mmフィルムが出てきました。

 

今でいうハンディカムのような録画機もあり、凝っていたことがわかりました。

ただ当時またはその前は、8mmフィルムを見るための方法がなく、また機械も故障していたため、フィルムのほとんどは廃棄してしまっていたようでした。

 

しかし、2つだけ、フィルムが残っていました。

 

 

そのとき、ビデオテープや8mmやフィルムをDVDに置き換えてくれるサービスが始まったこともあり、高額ではありましたがDVDにしてもらいました。ひとつは状態が悪かったのか、原因ははっきりとわかりませんでしたが、無音の状態での映像がひとつと、もうひとつは音声が入っている映像になっていました。

 

 

 

 

これを、実家で、家族と家人とで見たことがあります。

 

映像の中身は幼い頃のぼくたち兄弟を撮影したものだったのですが、幼い頃の兄の声、そして母の声が入っていました。母の声、若いです(当たり前ですが)。

 

 

 

そこに、父の声が聞こえてきました。

 

父はその映像に入っていなかったのですが、おそらくフィルムを回していたんだと思います。

 

そのフィルムを回しながら、

 

 

 

「祐二」

 

 

 

と、ぼくの名を呼びました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この瞬間、その場にいた全員が涙しました。

 

その時点で20年ほど、父の声を耳にすることはなかった、ということもあります。

しかし、このとき聴こえてきた父の声には、懐かしさ以上に込められているものを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

それが「愛」でした。

 

 

 

 

 

 

 

お恥ずかしい話なのですが、ぼくは父に可愛がられていたのかどうか、まったく記憶がありません。記憶が残る頃には父は既に病床の人だったので、とても不安だったのです。子育てという点については母も父の態度はよくわからんと言っていましたから、ずっと疑問に思っていたのです。

 

 

ただ、その疑問が、映像に残っていた声ですべて氷解しました。

ごく当たり前のことかもしれませんが、ぼくはここで「答え」を知ることができました。

この答えを知ることが出来て、ほんとうによかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

父が逝ってからしばらくのあいだは、「枕元に立って」とずっと願っていました。

また、大人になってからも辛いことがあったりすると、父の存在を求めていました。

しかし、きょうまでただの1度も現れてくれたことはありません(汗)

身内になれば「悪霊だろうがなんだろうがまったくお構いなし」というのが、ちょっとおかしかったように思います。未熟だった頃は(いまも大して変わらない・・・)、すぐに父を思い出しては咽び泣いていたことがありました。いまはほぼなくなりましたが、神様とか仏様とか、そういった存在と同じような立ち位置で、父のことばを求めていたんだろうと思います。

 

 

 

 

不思議なことに、この2月10日というのは、大事な人との別れの日のようです。

ときはそれぞれ異なりますが、父以外にも、大切なひとと別れてしまって(以後逢っていない)いるのです。

 

その方は覚えていらっしゃるかどうかはわかりません。

ただ、偶然のような組み合わせに、自然と想いを馳せてしまいます。

父であれ、その方であれ、やはり別れは辛いです。

ただ、別れは、必ずやってきます。

だったら、その「最後かもしれない」瞬間をどう過ごすべきかを、いまでは真剣に考えるようになりました。そう言った意味では、別れもとても大切なことなのだと、少し思えるようになりました。

 

 

 

 

 

しばらくのあいだ父のことで泣くことはなかったのですが、今回思い出しながら書いていましたら途中で号泣してしまいました。やはり、というか、あのときの記憶は辛いことでしかないということかもしれません。でも、振り返りをして良かったのかもしれません。改めて自身の感情を確認することができましたから。そして、今後はどうしていくべきかを考えることができましたから。

 

 

 

理不尽な別れや不本意な別れなど、この世界にはごまんとあります。むしろ、それらが別れのすべてと言ってもいいかもしれません。良く聞くことばで「何事にも感謝する」という人がいますが、そのような姿勢はつい最近まで受け容れることはできませんでした。かえって反発するのがせいぜいだったのです。ひとことで言えば「おまえが言うな」という感じでした。感謝感謝だと言っている当人が、冷徹な言動を起こすなんて本末転倒じゃないか、と。

 

ただ、この考えは「ほんの少し」変わりました。

まだ、相手の言動を認めることはできていませんが、その頃から比べると自分自身が大きく変わってきていることを実感しています。その変化の根源を辿ったときに、源流のひとつが「そこ」にありました。言い返せば、そのような出来事がないままだとしたら。ブログも、ガラクタ整理なども、やっていなかったかもしれません。

 

正直「今に見てろ」という気持ちで現在もやっています。

その気持ちを抱くことは、ひょっとしたら「そぐわない」かもしれません。しかしぼくはそれを「原動力」にするしかありませんでした。そうしなければ、ぼくはまた生きることを放棄しようとしていたでしょう。今でも時折顔を見せる闇がいますが、いまと前ではその対応に180度の違いがあります。

 

つい昨日だったか、数日前だったかは覚えていません。が、色んな「源流」があってこそ、現在があるのだと今更ながらに落とし込めたとき。まんざらでもないな、というか、決して感謝というレベルではないのですが、多少なりとも受け容れることができるようになりました。それは拒絶という姿勢からの解放を意味します。それは同時に、しっかりと自分自身を「見た」結果だと言うこともできると思います。

 

 

 

 

 

そんなこと考えるなと怒られてしまったことがあるのですが、父が生きた年齢まであと数年というところまで、ぼくも追いついてきました。変な指標ですが、「父が生きた年齢までは最低限生きる」というものを密かに持っていました。いまはそこまで意識はしていませんが、感慨深いものを感じます。

 

もし父が生きていたら、と思うことは今でもあります。

一緒に酒を呑みたいとか、子ならば思うところはいくらでもあります。

それらはもうできませんので、命日のきょうくらいは、子のわがままに付き合ってもらおうと毎年思っています。

 

 

 

 

きょうの札幌は晴れでとてもいいお天気でした。

気温も少し高かったので、雪まつり雪像には厳しい環境だったかもしれません。

 

ぼくはこの先、どれほどの出逢いと別れを経験するかはわかりませんが、思うことはその両方とも後悔しないようにしていきたい、ということだけ。

その姿勢を貫くには、コミュニケーションの要のひとつとなる「ことば」が重要になってきます。

その他にも大切な要素はたくさんありますが、ぼくは一生を掛けて、ことばを磨き上げていきます。

 

 

 

それが、務めだと考えています。

 

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父と。

 

ぼくはウェイン・ショーター(Wayne Shorter)のブロウを浴び、ジャズの魔術にかかってしまった。

ぼくがジャズを聴くようになってからほどなくして集中して聴き始めたアーティストがもうひとりいます。

 

 

 

そのかたは

ウェイン・ショーター

(Wayne Shorter)」

 

言わずとしれた、サックスのジャズジャイアンツのひとりです。

 

 

オフィシャルサイト(英文)

http://www.wayneshorter.com/

 

 

 

彼のジャズ人生はハービー同様長いです。

ウェインが参加してきたバンドには

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ

ウェザー・リポート

「VSOPクィンテット」

マイルス・デイビス・クィンテット」※追記しました

などがあり、ジャズ界の最前線を戦ってきたことがよくわかります。

 

そしてソロとしての才能も格段に高く、これまで発表してきた作品はどれも注目されました。

 

発表してきた作品はハービー・ハンコックには劣るものの、これまで数多くの作品を発表しています。いちばんはブルー・ノートで次がソニー、といった順番でしょうか。在籍していたレーベルごとに音楽の傾向が違うのがとてもよくわかりますし、そこが面白いところです。

 

 

 

ショーターのサックスは他のプレイヤーとはちょっと違う、といった印象を持っており、彼のブロウを聴くと、魔術(決して魔法ではない)をかけられたような感覚になります。これまで数多くのアーティストが自分の演奏の独自性を追求してきましたが、彼のサックスを表現するならばまさしく「魔術」。そう印象づけるメロディがふんだんに散りばめられています。それはアフリカチックでも南国チックでもない、まったく新しいジャンルのジャズに聴こえます。

 

 

彼をもっとよく知りたいと思うようになったのは、たしかハービーが結成した「VSOP」。このライブ音源にめちゃくちゃ魅かれ、ショーターの作品を手に取るようになります。

 

 

 

実は、というか、ハービー・ハンコックウェイン・ショーター創価学会員。

ジャズを聴き始めたころはそんなことはまったく知りませんでしたが、ショーターの自伝が潮出版社から発行されたことや、新聞の紙面にハービーが出ていたこと(ジャズと仏法を語るという対談がありました)でようやく直結しました。ハービーは結構仏法ということばを用いて音楽との関係性を語ることが多いですが、それに比べるとショーターは寡黙、もしくは静かな情熱のような印象を持っています。自伝もだいぶ前に読んだきりなので、機会があればまた自伝を読んでみたいと思います。

 

こう、なんというか、外国人が日本の宗教を実践するさまを客観的に見ると、何だかとても勉強になります。かといって、彼らのような姿勢で宗教活動をしていくことは、日本人にはおそらく無理だと思います。そんなこともあり、結局ぼくは会を退いたのですが。

 

 

 

 

 

音楽には、少なからず宗教的背景は影響を及ぼします。それはクラシックも同様ですし、ポップスやロックに関しても同様だと思います。そう考えると、音楽は一種の布教活動となっているのかもしれません。しかしながら、ジャズを含めた音楽はある種の「平等」を備えています。それらに触れ、耳にしたときに感じた印象そのものが、ことばでは説明できなかったことなどを一瞬にして解釈していくということは意外にもあることです。そう考えたときに、このウェイン・ショーターというひとは、どのような想いを込めてサックスを吹いているのか、とても興味が湧いてきました。

 

今後はコルトレーンやハービー同様、ショーターの作品も掲載していくことになります。

 

ハービーやコルトレーンと比べると発表している作品は少ない(他のふたりが多すぎるという意見も)ですが、どれも傑作ばかりです。そして脇を固める人たちも豪華そのものなので、あの時代に飛躍目指して突き進んでいた、情熱というものを綴っていくことが出来ればと思っています。

 

 

 

 

きょぅまでに読んだ本

 

おもかげ橋 葉室麟 幻冬舎時代小説文庫 (39)

ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳 ワイド版岩波文庫 (40)

架空請求詐欺のメールが出しているシグナル。

すっかり忘れてしまっていたのですが、先月のことです。

 

 

 

みなさんは普段、ケータイの「ショートメール」機能を使っていらっしゃるでしょうか?

 

ショートメールとは、送り先の住所をメールアドレス(これはWebメールという送信方法)ではなく、相手の電話番号宛にして簡単な文章を送信するという機能です。長文が可能なメールと違い、字数に制限がかかります。その文字数50文字。そのため、大まかな要件しか伝えることが出来ません。

 

ぼくの使用頻度というと、相手からショートメールを送信してくるというのが意外に多いことが判明。確かに相手の電話番号は知っていても、メールアドレスは知らないという人も少なからずいるのです。そうなると簡潔的な連絡に関しては、ショートメールでもじゅうぶん、ということになります。あと、何故か母親がショートメール使います。こっちのメアド知ってるのに(笑)

 

 

 

ショートメールは普段メルマガなどが配信されないぶん、使用頻度は格段に低くなります。そのため、使い慣れていない人が多いのではないでしょうか。

 

 

 

そんなショートメールですが、先日こんなメッセージが届きました。

 

 

 

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読者のみなさんは、この文章を読んでどう思われたでしょうか?

 

 

 

このショートメールは実際にある会社を名乗り、相談窓口の電話番号を記載し、連絡してくるようにと促しています。

 

察しのいいかたは既に気がつかれていると思いますが、これはれっきとした

架空請求詐欺」のひとつの手口です。

 

 

 

架空請求詐欺というのは、実際には利用していないサービスに対し犯行側が「サービス利用に対する料金の未払い分がある」と通知。その未払い費用と利息を含めた合計金額を支払うようにと促してくるものです。

 

この手口の方法は、最初は「はがき」で行われていました。

その後Webメール、そして今はショートメールへと幅を広げているようです。

 

この手口に対して何をするべきだと考えていらっしゃいますか?

正解は「何もしないこと」。

相手がどのようなことを通知していようが、身に覚えがなければ「放置」で問題ありません。

 

しかし、過去にそのような局面に遭われた方の行動を見ていると、どうしても放置できない、不安でしかたない、連絡をしてしまった、支払ってしまった、というかたが少なからずいることが確認できています(検索をかけてみると結構出てきます)。

 

これは詐欺だ!と明確に言い切ることができる人もいれば、「ひょっとしたら」と疑問を持ち、不安になる人もいる。この違いはなんだろうと考えたときに、ふとあることが思い浮かびました。その仮説のようなものが、今後の対策や、普段の生活や意思決定に役立つかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

まずは、架空請求に関する考察を述べていきます。

 

 

過去の経験等も思い出しながら書いていきますが、ある日、自宅やケータイに直接「連絡」または「通知」が届いたときのことを想像します。

 

そのはがきを見て、またはメッセージに添えられた文章を読んでなんだかいずいというか、落ち着くことがなかなか難しい状態になったことがありました。

 

ひょっとしたら、これらの通知を受け取ったひとは、その落ち着かなさを早いとこ解消したくて「金銭による早期解決」を望んでいたのかもしれません。しかしそれは、相手側にとっては「思うツボ」。期待通りの動きをしてくれたに過ぎないことがわかります。

 

昨今ではこういった詐欺に遭わないようにと、実例を踏まえつつ、対策をアナウンスしています。それでも被害に遭う人がいるというのは、影響というのか、違うところにダメージがいっているからなのだなと思う方が自然だと思いました。

 

 

 

ここからはぼくが実際に感じた感情などを客観的に咀嚼・解析した内容になるのですが、

 

「じぶんの住所またはケータイ宛にはがきやメールなどの通知物が直接届いた」場合

 

まず、上記のような状況になった場合、少なからずひとは「動揺」します。

その「動揺」の理由は、「個人情報が特定されている」と感じてしまうことにあります。

個人の名前や連絡先は、自分とつながりのある人にしかわからない(教えていない)ため、自分あての通知物が来ると「ダイレクトに届けられた」と錯覚。心境としては「ロックオン」された状態に近いとも言えます。そのうえで「料金未払いがある」と言われては、落ち着いて考えることは難しくなるのも無理はないとも考えることができます。

 

これはひとことで言ってしまえば「不安を煽る」心理作戦そのものです。

人間の心理的作用をある程度理解しての行動になるので、計画的行動であることは言うまでもありません。そして「悪質」でもあることが言えます。

 

 

 

 

 

 

次に

「未払い料金等の支払い期限が迫っているため、至急の連絡を求める」文章があり、

 

加えて

「上記に対する対処行動がなければ、訴訟を起こす」旨の文章が入っている(しかも期限が間近な日にちに設定されている)。

 

 

 

この文章も「心理的不安」を煽るための文章です。

この文章の後に実際にある会社名を記載し、「専用の相談窓口」として連絡先の電話番号が記載されています。こうすることで「相手側の情報が確固たるもの」であるように見せつけ、受け手の不安を基に自身の土台を固めるといったような作用を起こします。

 

 

 

 

じぶん宛に送られてきており、しかも期限まで時間がない。

そのような不測の事態に、勝手に持ってこられたらどうでしょうか。

不安でしかたないと思います。

そのような状況を長く抱えていたくないことから、つい連絡をしてしまうのではないだろうか?とぼく個人は考えます。

 

 

 

以上、かんたんではありますが、受け取った時の状況を思い出しながら書いていきました。

ここからは、上記の状況に陥っても焦らず、客観的に対処するためのエッセンスを書いていきたいと思います。

 

 

 

 

ひとつめ

個人情報は「100%」把握されている訳ではない

 

ここを説明するためには、これまでの架空請求詐欺の歴史を紐解く必要があります。

まず、架空請求の「はしり」はがきでした。その宛先の情報はどこから手に入れたのかと言いますと、業者がその名簿を「買った」可能性が高いです。昔は個人情報の管理など今ほどではありませんでしたし、意識も低かったはず。身近な例を挙げると、過去会員登録していたレンタルビデオ店が大手の進出により閉店しましたが、その経営者が会員名簿を業者に売ったことから、犯行に使われたという経緯があります。そういった犯罪の温床があるということがわかってきたため、尚更個人情報の管理にはうるさいという背景があります。

 

 

 

しかし現在は「電話番号」または「メールアドレス」での通知が主です。

 

理由としては、個人的な見方としては「名簿が古くなった」から。

その他、大量に迷惑メールを送るシステムなどが構築されたことから、費用対効果がより高い方法を選択したのではないかと思っています。

かといって、はがきでの架空請求詐欺が「まったく無くなった」訳ではないので、ご注意を。

 

 

この時点で、相手側はこちら側に何かを通知することは可能です。

しかし裏を返せば「通知することしかできない」状況でもあります。

 

というのも、相手は

「住所や名前、電話番号やメールアドレス『しか』情報を持っていない」

可能性が凄く高いからです。

 

 

 

それに、相手は不特定多数の人に同様の手口で通知を続けているため、連続でそのような通知が届く可能性は限りなくゼロです。おそらく、膨大なリストや組み合わせがひとまわりするまでの間は、次のアクションやまったく違う会社からの通知はまず来ません。

そのため、こちらから連絡をしてしまうとほぼ100%でこちらの個人情報を聴いてきます。相手は本人確認と言いますが、実際は「その他の個人情報の収集」に他なりません。

 

 

 

ふたつめは

「料金未納の連絡と最後通告には段階がある」

です。

 

 

 

これは良く考えてみたら・・・というパターンですが、不安を煽られている以上、まともな判断は出来ない可能性があります。そのため以下の点を要点として抑えておくとこの段階でも冷静さを取り戻すことが出来るかもしれません。

 

 

まず、「料金未納があること自体、まずありえない」ということを念頭に置くことが必要です。※まれなケースもあり

 

昨今の架空請求詐欺の内容は、デジタルコンテンツの利用に焦点を当てています。ネット上ゲームや動画の有料サービスの利用があると通告し、未払い金が発生していると言ってきます。

 

ここで考えていただきたいのですが、これらのコンテンツを利用し、かつ有料サービスを利用する場合、事前に決済方法を登録するよう利用元から求められます。そのうえでのサービス利用になるので、ある日突然「未納料金がある」状態に陥ることはありません。

 

そして、仮に料金未納があった場合。これは会社によって対応は様々だと思いますが、確実に行われることは「郵便(書留などの記録が残る方法)」による通知を必ず行います。それでも相手とのコンタクトが取れない場合、訴訟などの段階に踏み切ります(かなりざっくりです)。

 

 

以上のことから

 

ショートメールやWebメールでの「最後通告」は本来の方法に則っていない

はがきによる通告は送付方法がそもそも異なるので何の効力も持たない

 

ということが指摘できます。

 

 

以上のことから、相手は受け手側を不安にさせる文言を連続して用い、相手側からのリアクションを淡々と待ち、リアクションがあった場合は個人情報をなるだけ引き出し、たとえ1回における回収金額は少額でも、以後継続して標的にしていくということが見て取ることができます。まさしく、ローリスク・ハイリターンであり、少ない労力で最大の成果を挙げようという、誰もが夢見る方法(中身は別として)での成り上がりを目指しているのです。

 

 

 

現状、このような手法や他の手法を用いた詐欺が横行し、被害も多く出ています。

警察やその他の団体も予防策を色々と講じていますが、それでも被害が発生し続けている現状を見ていくと、予防を講じなければならない一端は、当事者の「心理状況の把握」にあるようです。これはよく言われていることでもありますが、冷静に考えるのではなく、客観的に物事を見ていくことで、自然と落ち着きを取り戻し、状況の分析ができるというもの。これは意識をしてできるほど簡単なものではなく、ある程度の訓練が必要になると感じています。

 

 

 

 

肝心なのは

 

「こころで考える」こと。

 

 

ひとは危機的状況に陥った場合、思考が停止状態となり相手の言いなりになる、従順な

状態になることがしばしばあります。問題は思考が停止してしまう原因をしっかりと考え、把握し、理解すること。ニュース等で「そんなことがあった」といった知識では全く役に立ちません。それは「知識」ではあっても決して「智慧」にはなっておらず、じぶんのケースに当てはめて考えることが出来ていない状態です。一部の高齢のかたは多少なりとも面倒なことに対して「ああ、わたしわからない。もう全部やってよ」と最初から白旗を上げ、相手にすべて任せてしまう傾向が強いですが、これをやっていてはじぶんがいまどのような状態にいるか「すらも」わからないまま、気がついたら・・・という展開になっていてもおかしくはないと思います。

 

「自分を知ること」。これは年齢に限らず、どの年代でもやるべき大切なことのはず。

これを放棄して直観に頼り、ころころと方針を変えている様々な立場のひとは、意外にも自分のことを実はよくわかっていないかもしれませんよ。ましてや感情的になる人や、人から図星なことを言われても「そんなの言われなくてもわかってるんだよ!」と吐き捨てる人。ぼくが思うに、このようなことばを使う人は、結局「考えていない」だけです。かといって当てはまることを言われると不快感になる。しかし、わかっていても何もしない。それは結局「わかっていない」だけなのです。そのような人が何かしら立派な、筋の通ることを言ったとしても、そのことばに重みはないものだと、遠からずわかることになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構長くなってしまいましたが、事の発端は自分のスマホにショートメールで件のメッセージが送信されてきたこと。

 

 

電話番号もメールアドレスも、相手側はたくさんの組み合わせを試したうえで、不特定多数の人間に送り付けています。ひょっとしたら、電話番号のほうが組み合わせ数は少ないかもしれません。だから「たまたまぼくのスマホにヒットした」と思うようにしていました。

 

しかし、胸騒ぎというか、ざわざわする内面がいることに気がつきました。他のことで忘れてしまうというのも手ではあるのですが、「どうしてこんな気持ちになっているのだろう」と内側を見てみることにしたのです。そうしてみたら、詐欺の被害に遭ってしまう人の傾向のようなものが、個人的視点ではありますがおぼろげながら見えてくるとともに、また一歩「自分を知る」ことにつながりました。

 

 

じぶんがそのときそのとき抱いている感情を「分析」することを試みることは、意外にも大切です。というのは、その感情をどのように解釈していいかわからないケースが出てくるからです。もしどういったことが原因で出てきた感情かをわからないままにしておくと、その感情の解釈を「間違える」可能性が出てきます。間違って解釈してしまうと、その解釈に基づいた行動等も、間違えてしまう可能性は凄く高いです。それはある意味「しょうがない」では済まされない話ですし、「運命」や「宿命」に置き換えるのも愚かです。わたしたちは自分自身について、わからないことなどごまんとあります。それくらいに捉えていた方がちょうどいいくらいかもしれません。それを知った振りでいて大けがをするよりは、たとえ難しくても自分を知る行為、内観等の方法をとっていろんな状況下のことを振り返るのは、決して無駄なことではないとぼくは信じています。

 

 

 

ぼくのもとに届いたショートメールは多少の下調べを済ませ、「架空請求詐欺」と断定しました。その後、情報提供しています。画像に記載の電話番号は伏せませんでしたが、現在はもう使用されていないかもしれません。少しでも未然に防ぐことが出来ればいいですが、社会側の予防体制だけではなく個人側における予防対策、決して宗教的修行ではないですが、思考の練習をしていく必要がると感じました。

 

 

ちなみに、よく「個人情報(登録情報)を削除するには手数料が必要」というカタチの架空請求詐欺がありますが、サービスの利用などで登録されている個人情報の削除に金銭は一切発生しません。

 

これはかつてわたしが通販会社に在籍していた時のはなしですが、商品を購入後まれに「今回登録した顧客情報を削除して欲しい」との要望を受けることがあります。理由はさまざまだとは思いますが、利用者側から見てみれば、それは一種の防衛策とも言えます。

 

上記申し出を受けた場合、以下のように案内していました(現在は変わっているかもしれません)。

 

・購入段階での顧客情報削除は不可(登録した情報を基に商品の配送を行うため)。

・商品到着後、いわゆるカスタマーサービスセンターへの連絡が必要。

・顧客情報(個人情報)削除に関しての説明あり(保証対象外となることやポイントなどが消滅すること)

 

 

かんたんにその場で「はいわかりました」とはならないのが現状です。

現在ではおそらく本人確認も発生すると思いますし、時間がかかる印象を持ちます。

これらの行為はすべてサービスを提供している団体の「付随業務」にあたるため、手数料は発生しません。もし発生する場合は、その料金の金額の内訳を確認した方がいいでしょう(利用したサービスの清算ということもありえるため)。

 

それ以上わからないことがあれば、公共の相談窓口に連絡されることをおすすめします。

 

 

ある日突然届いた1通のショートメールから始まった「内面への旅」

 

 

それは詐欺という犯罪行為に深く関係する心理作用をはじめ、自分自身にも影響を及ぼす感情の移り変わりの解釈・咀嚼を促し、実践させるきっかけとなりました。この方法がすべてとは言い切れませんが、少なくとも自分をしっかりと観察し、知っていくためには必要な手立てのひとつだと考えています。そしてそれはじぶんでじぶんの心を整えていくことに直結し、穏やかな生活の道しるべになるのだと考えます。

今年もやりますがらくた整理。~シーズン6~

昨年1年間のブログで書き綴った「ガラクタ整理」のシリーズ記事は全5シリーズ(5シーズンは翌年1月に完結)ありました。

 

内容は思い出しながら書いていたこともあったことや、なにぶん文章が未熟であったことなどから、単純に事実だけを述べた、悪く言ってしまえば「味気ない」シリーズだったのではないかと反省しています。

 

当時はそれで精一杯だったのである意味ご勘弁を、と言いたかったのですが、その未熟さを突っ込まれたりしたこともあり、そこから文章力や伝える力をつけていこうということになりました。これは終点というものはなく、死ぬまでの継続になることは必至。それでも、ライフワークのひとつとして続けていきたいという気持ちを持ちました。

 

 

かんたんにではありますが、過去のシーズンを振り返ってみると

 

シーズン1・・・最初の断捨離経験談。

シーズン2・・・引越に伴う断捨離経験談。

シーズン3・・・ガラクタ整理を出逢い、「断捨離」ではなく「ガラクタ整理」と意識しての実施の経験談。

シーズン4・・・ガラクタ整理の講座を受けながら、モノやメンタルの整理の実施

シーズン5・・・オークションによるガラクタ整理経験談

 

 

となります。

 

シーズン1と2に関しては「断捨離」と捉えていました。

シーズン3以降、はじめて身近に「断捨離」をするプロの人に出逢います。そして講座に参加して、一念発起します。

シーズン4でモノ&メンタル スペースクリアラー講座を東京で受講。並行して自宅のガラクタ整理を実践しました。

シーズン5では「自分なりの整理の実践」のひとつとして、オークションによるガラクタ整理の経験を綴っています。

 

このどれもがいわゆる「成功体験」だけではなく、「失敗談」もそこかしこに織り交ぜています。特にシーズン4に関してはまったくわからなくなった時期があり、人生で何度目かの無力感をしばらくのあいだ感じていました。

 

 

 

失敗がなければ、成功もない。

失敗を恐れていては、成功は訪れない。

 

そんなことばを意識していた訳ではありませんが、フタを開けてみましたら自然とそのような展開になっていました。

 

 

 

なんだかんだ言って、実践してきてよかったと思っています。

 

 

 

 

きょうから始める「シーズン6」。

テーマタイトルは「今年1年のガラクタ整理」とすることに決めました。

シーズン4、5くらいから少しずつ「現在」を織り交ぜての連載をしていましたが、6はリアルタイム(とはいっても多少の誤差はあります)でガラクタ整理の模様を掲載していきます。定期的に整理している物やそうではないものなど、自分でも思いが及ばなかった場所での整理が今年も出てくると思います。そういったところも含め、記録として、また何かの参考程度にしていただければ嬉しいです。

 

 

次回掲載分より、シーズン6の本編開始です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事に、祖母を送り届けてきました。

 

集まれるだけの親戚が集まったその日は、それまでの悪天候が嘘のような、青空の見えるとてもいい天気でした。

 

祖母の前で泣きに泣きました。笑いに笑いました。

そして、こころの中でたくさんの想いを伝えました。

 

 

 

 

今はまだ脱力感、無力感というのがやってきており、文章を書くこともままなりませんが、落ち着いたころには、祖母との思い出を振り返りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

コクヨ式机まわりの「整え方」 車内で実践している「ひらめきを生む」3つのコツ 齋藤敦子 角川書店 (33)

詩を書くということ –日常と宇宙と 谷川俊太郎 PHP研究所 (34)

ハービー・ハンコック自伝 新しいジャズの可能性を追う旅 ハービー・ハンコック著 川嶋文丸訳 DU BOOKS (35)

森林がサルを生んだ 現在の自然誌 河合雅雄 朝日文庫 (36)

正直 松浦弥太郎 河出書房新社 (37)

光秀の定理(レンマ) 垣根涼介 角川書店 (38)

整理棚からひとつかみ。 DVD編 その2

mimori yusa in concert sasanoha otonoha Meguro Persimmon Hall,Tokyo 2007.07.07 / 遊佐未森

 

 

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YCBW-100212

 

 

1.overture~エデン
2.ネクター
3.シリウス
4.echo of hope
5.時の駅
6.遠いピアノ
7.僕の森
8.blue heaven
9.バースデイ
10.街角
11.仔ぐま座
12.冬の日W.
13.潮見表
14.花林糖
15.The Road to Nowhere
16.夏草の線路
17.タペストリ
18.彼方
19.月の船
20.ミント(Encore-1)
21.クロ(Encore-2)
22.ベージュ(Encore-3)


「ササノハオトノハ」ツアーでの模様を収めたものです。
時間にして1時間50分。じっくり楽しむことができます。
確かツアーは七夕に併せて行っていたもので、実施日も7月7日になっています。
彼女がデビューしてから相当の年月が経過していますが、彼女のスタイルは変わることがありません。
それがファンにはとても嬉しく、いつでも戻ってくることが出来るきっかけになっています。
和製ケイト・ブッシュと評されたこともありましたが、現在の彼女は純粋に歌うことを楽しんでいるような、そんな気持ちを抱いてしまいます。

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その43

【Series Sideman of John Coltrane

 

Thelonious Monk With John Coltrane

 

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VICJ2118

JAZZLAND46(Riverside)


1.Ruby,My Dear
2.Trinkle Tinkle
3.Off Minor +
4.Nutty
5.Epistrophy +
6.Functional


+ STEREO


personel

1,2,4

Thelonious Monk(p)
John Coltrane(ts)
Wilbur Ware(b)
Shadow Wilson(ds)

Rec:July 1957


3,5

Thelonious Monk(p)
John Coltrane(ts)
Ray Copeland(tp)
Gigi Gryce(as)
Coleman Hawkins(ts)
Wilbur Ware(b)
Art Blakey(ds)

Rec:June 26,1957


6

Thelonious Monk(p)

Rec:April 16,1957

 

 

こちらも収録日によって編成が大きく異なるというスタイル。
6曲目はモンクのソロピアノ演奏となっています。
モンクの曲は何かと燻された感触を得ますが、その個性の強さを管楽器でうまく調和しているように思えます。
ひとりではアクが強くても、バンドを組んでの演奏を聴くと、いやいや意外といいじゃないか、というのがまま起こります。
サックスを吹くメンバーが複数人いるので、否が応でもその演奏はやかましく(笑)なりますが、そういった音楽を求めているシーンが、昔も今も存在するのは確かだと思います。

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その42

【Series Herbie Hancock

 

 

 

Jammin'With The Herbie Hancock Quintet

 

 

 

 

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Warwick 20ED5067


1.Jammin'With Herbie
2.Herbies Blues
3.Rock Your Soul
4.TCB With Herbie
5.Soul Power
6.Cat Call


personel

Donald Byrd(tp)
Pepper Adams(bs)
Herbie Hancock(p)
Laymon Jackson(b)
Jimmy Cobb(ds)


収録年が1961年ということだけがわかっており、どういうコンセプトで収録されたものなのかがイマイチわかっていない立ち位置の作品だとのこと。
CDで出た当初は本邦初公開の音源で、ちょっとしたレアもの扱いだった。

ライナーを見てみると、この作品ではピアノのハービー・ハンコックの名前が多用されているが実は別作品の別テイク集かも?というのが書かれてある。
その理由は編成と曲目だと思うのですが、そこんところがはっきりしないのが、なんだか乙なところに感じてしまいます。

現在はジャズ・ジャイアンツの一員に数えられているハービーですが、この時はまだ若輩者。
どっちかというと、ドナルド・バードやペッパー・アダムスのほうが光っています。
じゃあどうしてハービーの名前を?となるのですが、当時の意図がわからないまま。

そんな渦の巻いたまま生まれた作品もあったということです。