つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

これまで届かなかったものが、しっかり行き渡るようになった日。

先日、久々に行った「スペース・クリアリング」

 

 

 

この効果というか、恩恵のようなものを感じました。

 

 

 

 

 

そもそもの出逢いは、ガラクタ整理と空間浄化を紹介していた「カレン・キングストンの著書にあります。この方はかなり前から「クリアリング」を提唱しており、一線を画している印象があります。おそらく、世界的に見てこの方が元祖と言ってもいいのではないかと思います。

 

先日著書を読み返したところ、スペース・クリアリングについて触れている項目がありました。著書はこれまでに数回読み返したことがありましたが、今回は特に新鮮な気持ちで読み進めていった印象が強かったです。

 

 

 

この本を読み終ったところで、ふと、今度の家の掃除の際に「スペース・クリアリング」をしようと思い立ちました。

 

これまでにもスペース・クリアリングは行ったことがあり、引越時のクリアリングをはじめ、年に数回ですが、自宅で実施しています。このやり方もカレン・キングストンの著書に記載があり、あくまで「対外的」ではなく、「自宅向け」として紹介されています。

 

ぼくががらくた整理を学んだ、ガラクタ整理師の竹内清文さんは、かつてカレン・キングストンの下で学んだひとりであり、その効果というものも、昨年実施したイベントで実感していました。

 

 

 

今回はあくまで自宅向け、ということなので、畏まって行うほどでもないのですが、少し念入りに掃除や洗い物等を行ったあとで、キャンドルに火をつけ、窓を開けてから、ベルの音を慣らして行いました。

 

 

 

やりかたに関してはカレン・キングストンの著書を参考にして行ったのですが、改めて、クリアリングを行う際の姿勢について学びました。

 

実際にクリアリングをする際、ベルを鳴らします。

ぼくの場合、クリアリングとはまったく縁がなかった頃に購入したベルがあったので、現在もそれを使用しています。また、最近違うベルを手に入れましたので、今回は音階が違うふたつのベルを使用して行いました。

 

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170222165349j:plain

 そのうちのひとつです。マウスを横に置いて大きさの比較をしています。

 

 

 

 

その際にたいせつなこと。

 

カレンさんは、「ベルを鳴らすときに気持ち(念)を込める」といったことを書かれていました。

 

スペース・クリアリングは「空間浄化」になります。

その「浄化」を行う際、「どのような空間にしたいか」という気持ちを込めることが大切だそうです。

 

 

 

実はこれまでは、何も考えず、ベルを鳴らし、その音を隅々まで行き渡らせることだけを考えていました。もしくは、考える余裕がなかったとも言えます。それだけ、音に集中していたのかなと感じています。

 

 

 

 

 

ベルは時間にして数分。ずっと鳴らしているわけではなく、音が小さくなったらまたベルを鳴らして音を出すといった具合。イメージとしては波が行ったり来たりするような感じで行っています。これが正しいかどうかはわかりませんが、現状はこのような感じ。ベルを鳴らし終わり、片づけをして、一息ついた後に、何の抵抗もなく、先延ばしになっていた(していた)ものごとに次々と手をつけました。

 

 

 

手をつけながら、考えは「シンプル」になっていく感覚を感じながら、ひとつ、またひとつと仕上げていきます。ある程度凝って創りあげたものの内容を削ぎ落とし、いたってシンプルな状態に仕上げていきました。そんな心境・考えの変化までもが、クリアリングの後から起こっていたのです。実際に手をつけている最中は変化に気がつかなかったものの、帰宅した家人が家の「気(氣)」の変化に気づき、驚いていたほど(家人はわかるらしい)。そこではじめて、クリアリングの後の行動について振り返ることができ、実はすごいことになっていたと気づかされたのです。

 

これはちょっと、自信になりました。

 

 

 

実は、クリアリングとがらくた整理は、密接な関係にあります。

 

かんたんに言えば、家にがらくたが多いと、クリアリングをした際も細部まで充分に行き渡らない可能性が出てきます。がらくたが、それを「遮って」しまうのです。なので、結果として「いまいち効果が出ない」ということも、状況としては充分にあり得ます。そしてそれは、お祓いであったり、パワースポットに行ってその土地のエネルギーに触れたりすることにも共通します。浄化であっても、パワーであっても、土台となるべきところがごちゃごちゃしてしまっていると、効果は半減、いや、それ以下になるということです。他にも要因はあると思いますが、苦労することは避け、きれいにしてもらう、パワーだけもらう、というのは、惜しい!というか、「もっと自分の土台に目を向けてよ~」という残念な気持ちになってしまいます。しかし現代は、「こんなラクな方法でパワーを受け取れる」といったような見出しが数多く出ているので、流されてしまうのもある種仕方のないことなのかもしれないのですが、自然の摂理または「原因と結果の法則」等に当てはめてみれば、その仕組みは次第にわかるはずです。今や数多くの人が言っていますが、スピリチュアルは「哲学」だということ。決して「魔法」でもなければ「錬金術」でもない。そこを見誤ってしまうと、結果としては「スピリチュアルに泣かされる」ことになるだけ。そこに気づくタイミングは、その人次第です。

 

 

 

 

今年に入って、最初に行った「スペース・クリアリング」。

それは改めて込めた、自分が生活する空間への「願い」や「祈り」であり、そして自身がやりたいこと、やるべきことに対する姿勢の「支え」になると感じました。

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場 佐々涼子 早川書房 (54)

東慶寺花だより 井上ひさし 文春文庫 (55)

BRUTUS特別編集 合本 読書入門 マガジンハウス (56)

舞台 西加奈子 講談社 (57)

【告知】がらくた整理・マンダラオラクルカードについて、新メニューのお知らせです。

2月も下旬に入り、時間の経過の速さを痛感している今日ですが、昨日家の掃除と空気の入れ換え、そして「スペースクリアリング」を行ったことで、その後の手仕事が捗りました。

 

その中には長期間手をつけなかった(手をつけるのが面倒に感じた)ことまでもが何の抵抗もなく「するっと」着手でき、一体これまでのジレンマは何だったのだろうかと思うほど。

 

 

 

確かにこれまではあれをやる、これをやると決めていながらも、その前には障壁のようなものの存在を感じており、その先に中々行くことが出来ませんでした。外堀を埋めるようにして徐々に攻略していったものもあれば、遠目に見つつも着手出来ないままというものも、意外にあったのです。

 

しかしそれが昨日行った「スペースクリアリング」を行ったことで、自覚がないくらいのスムーズさで、先延ばしになっていたことの幾つかを処理することができました。何故それが「スペースクリアリング」の影響であると断言できるかと言いますと、家の掃除は定期的に行っているものであり、その下地の重要さはわかっていつつも、特に何かを大きく変えるものだという実感はなかったのです。

 

 

 

それが、昨日のスペースクリアリングで大きく進みました。

進んだ、というよりは、すすっと、自然に、という感じで。

 

 

 

その恩恵もあってか、がらくた整理とオラクルカードのメニューをやっとまとめることができました。昨年の実績や反省点を踏まえ、今年はこのメニューでやっていきます。

 

メニューが出来た以上、自身のSNSにもリンクを貼りたいところですが、今回はそれをせず、感覚としては「つてのない状況」で、独自にアピールをしていこうと考えています。

 

特にオラクルカードに関しては5枚引きを行うため、作成にそこそこの時間がかかります。どれだけの人が興味を持ってくれるかというそもそもの展開もあるのですが、状況に応じ、販路を拡げていきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

それでは、以下より「がらくた整理」、そして「オラクルカード」のメニュー内容を公開します。メニューに関しては色文字を使用していますので、今後再度記事をご覧になる際は、そちらを目印としていただければと思います。

 

※下記2メニューはいずれも「モニター価格」としてリリースしています。

そのため、メニュー価格や内容など、変更する場合があります。(4/19追記)

 

 

 

 

 

 

がらくた整理

 

トークセッション○

 

-内容-

・やりとりはメールで行います。

・1回のセッションオーダーにつき、双方10通分までのやりとりとします。

(上記とは別に、最後に感想をうかがうアンケートへの回答をお願いしています)

・がらくた整理に関係することであれば、どのような悩み事、相談事でもお尋ねください。

(がらくた整理のプラン組み立てに関することでもOKです)

・料金は¥1.200です。

・オーダーは「とみーにメール」からご依頼ください。

 

 ※5/1-5/23まで一時オーダーを休止します

 ⇒再開しました。

 

 

マンダラオラクルカード

 

○メッセージ・マテリアライズ(リーディングセッション)○

 

-内容-

・リリースはPDFなどの各種保護ファイルにて行います。

・リリース枚数は、アンケート用紙含みで5枚の予定です。

  (※アンケートへのご協力をお願いしています)

・オーダーをお受けした後、4日~1週間程でリリースします。

・添付ファイルでのリリースとなるため、表示するためのアプリ、またはソフトが必要です。

・オーダー時には「お名前」「生年月日」「お住いの都道府県」「ご連絡先メールアドレス」を明記してください。

・オーダーに際し、カードを引く際の質問の有無は問いません。ただ、オーダーをしたいと思った理由を可能な範囲で教えてください。

・料金は¥1.800です。

・オーダーは「とみーにメール」からご依頼ください。

・占いとは異なったものとお考えください

 

 

 ※当記事公開時より受付開始します

 ※上記メニューはいずれも「モニター価格」となっております

 

※5/4-5/23まで一時オーダーを休止します

⇒再開しました。

 

 

以上が、今年展開する「がらくた整理」と「マンダラオラクルカード」のメニューになります。果たしてどうなるかはまったくわかりませんが、これで「やっていく」と心に決めました。

 

実は、こんなにシンプルになるとは思いませんでした。以前は結構ごちゃごちゃと考えていたのですが、スペースクリアリングを行ったら、「シンプル」になっていました。そのことについては、また日を改めて書いていきたいと思います。

 

 

 

 

改めてメニューを公開し、自分の行動を展開することになります。

プロフィールは恐れ入りますが、以下の記事をご覧ください。

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

基本的なプロフィールはコチラ(追記しました)

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

 

また、参考にこれまでのがらくた整理に関する記事もご覧ください。

カテゴリに「ガラクタ整理Season1-5」があり、今年に入ってからはSeason6を始めています。

  

オラクルカードについては、不定期ですがその日引いたカードを掲載しています。

カードは全64種類ありますが、現在60枚程度までご紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなるかなんて、わかりません。

それでも。

ぼくはここからふたたび、歩みをはじめます。

多読の中間報告です。 その4

今回は昨年より始めている多読の中間報告ですが、読み終った本がダンボール3箱目に突入しました。

 

 f:id:maruyamabase:20170220135917j:plain

 右に重なっている箱が、読み終えた本が入っている箱。

左が3箱目。

真ん中は、がらくた整理予定のCDやDVD。

 

 

 

 

 

1月・2月ともに本を読む気力というか、欲が無くなることもあったため、現在のところそんなに読み進めることが出来ていない状態。それにも関わらず、「直観に従う」のではなく、「考えを促す」ことを働きかける本に出逢っているのがとても印象的であります。

 

 

どの本を読むか、それはその時の傾向が強いと思いますが、自宅にある本、そして図書館から借りてくる本など、なるべくその傾向にこだわらないように注意しています。同じような本が続いてしまうと、流石に飽きが来てしまうからというのがその理由なのですが、現在のところそのコントロール(にはなっていないけれども)がうまく機能している・・・と考えてよさそうです。

 

 

 

読んだ本をその日の記事の最後に列記するようにしていますが、これはあくまで個人的記録用。カウント数は年頭に目標を定めたからで、「俺はこんなに本を読んでいるんだぞ」という主張に見えなくもないですが(汗)、あくまで「どこまで進んだか」という確認のための記載になります。読んだ本から時折引用をすることがありますが、そのことばを用いる理由としても、「直観だけ」ではなく、思慮を促すものとして適当だと感じているからです。だからといってぼく自身の言っていることの正当性を示したい訳ではありません。ただ間違っていたら、「間違ってました」と素直に言うことができるように努めたいとは思っていますよ。いまは、自分が間違っていても難癖つけて認めない人が凄く目立っていますし、そのような人に限って「自分は正しいことをしている」等のそれこそ根拠のないことを言っては自身の笑顔のために、後先考えない行動を取る人が出てきています。ぼくは、そんな風にはなりたくないという自戒の意味を込めて、本を読み、記録し、やると決めています。

 

 

 

 

 

 

 

読み終った本も、だいぶ増えた一方で、自宅にある読むと決めた本の数はかなり減ってきました。このままいくと、初夏には「自宅にある本を読む」ことについて、一応の目途をつけることが出来そうです。ただ傾向が偏っているので、違うジャンルを読むために現在は図書館の利用を並行して行い、ちまちまと読み進めています。こんなことをして一体何になるのか?そのすべてを理解・把握出来ている訳ではありませんが、小さなことも大きなことも含め、何かしらの恩恵になることを願うばかり。あとは純粋に「やる」と決めただけのことなので、目標達成まではしっかりとやりきりたいと思います。

 

 

 

 

 

山あり谷ありの状態で進めている「多読」。

 

個人の感性に左右されることもありますが、どうせ手に取り、読み進めるのであれば、何の意味もない本よりも、感動し、その文中の言葉が余韻として残るものを読み進めたいという欲はあります。事実として、良本もあれば悪本(または駄本)もあります。単純に売り上げだけを狙った本もあれば、たとえ売り上げは少なくても、下調べをしっかりとして組み上げた本もあります。世の中いろんなことに言える話ですが、売り上げ(知名度)=良さや正しさ、とはなかなかならないのが不思議なところ。日々流れている情報にばかり囚われず、みずからが開拓していくことも、人生においては少なからず必要なことだと考えています。

 

 

 

 

 

気づけば2月も残り10日を切りました。

 

今月「やる」と決めた目標(タスク)は、まだ残っています。

 

 

 

 

 

しっかりと「やり」切っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

 

雪と珊瑚と 梨木香歩 角川文庫 (51)

ブッタとシッタカブッタ 小泉吉宏 メディアファクトリー (52)

ブッタとシッタカブッタ2 そのまんまでいいよ 小泉吉宏 メディアファクトリー (53)

 

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その44

【Series Herbie Hancock

 

 

Magic Windows / Herbie Hancock

 

f:id:maruyamabase:20170201205012j:plain

 

f:id:maruyamabase:20170201205036j:plain

 

SRCS-9506

 

 

1.Magic Numer
2.Tonight's The Night
3.Everybody's Broke
4.Help Yourself
5.Satisfied With Love
6.The Twilight Clone

personel

all tracks
Herbie Hancock(EMU Polyphonic keyboard,Clavitar,Wave mini-Moog,Mini-Moog,Prpphet 5,Oberheim 8 voice,Yamaha CS-80,Arp Odyssey,Arp2600,Hohner Clavinet,Rhodes88,Suitcace Piano,Senheiser Vocoder,Lynn Drum Synth,Modified Apple 2plus Microcomputer,Piano)

track1
John Robinson(ds)
Freddie Washington(b)
Ray Parker,Jr.(gt) *only6
Sheila,Pete&Juan Escovede(perc)
Sylvester(lead vo&back vo)

track2
Ray Parker,Jr.(gt) *only6
Michael Brecker(ts)
Vicki Randle(lead vo)
Herbie Hancock(b)

track3
John Robinson(ds)
Louis Johnson(b)
George Johnson(gt)
Gavin Christopher(lead vo)

track4
James Gadson(ds)
Eddie Watkins(b)
Al McKay(gt)
Gavin Christopher(lead vo)

track5
Alphonse Mouzon(ds)
Freddie Washington(b)
Wah Wah Watson(gt)
Gavin Christopher(lead vo)

track6
Louis Johnson(b)
George Johnson(gt)
Adrian Belew(gt)
Paulinho Da Costa(perc)
Herbie Hancock(b)

1981年 サンフランシスコ録音


楽曲ごとに編成を変えるというこだわりが見えた作品。
ハービーが出す作品の指向が変わるたびに、戸惑いと驚きが入り混じったころの作品でもあります。


マイケル・ブレッカーが参加するなど時代にとっても注目すべきアルバムに変わりはないのですが、ボーカルが入っていないとラジオでは流れないという事情もあり、このあたりの時代では積極的にボーカルを組み込んでいます。
作品の行く先が次々と変わるため、何をしたいのかと思う人も当時はいたはず。
それとは裏返しに、この人は進むスピードがとてつもなく早い、としたら?
視点を変えることで、歴史や事実はがらっと変わることもある。
そういった作品は、ジャズの世界にもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血がうまく回っておらず、頭痛薬を飲んでやっとこうどんをすすりました。

 

相変わらず顔色悪かったのですが、くしゃみをしたら何故か血が通いました(笑)

 

もう少し症状は残っていますが、快復に向かいそうです。

 

整理棚からひとつかみ。 インスト・サントラ編 その6

【Series Herbie Hancock

 

 

Death Wish / Herbie Hancock

 

 

f:id:maruyamabase:20170201204706j:plain

 

f:id:maruyamabase:20170201204721j:plain

 

491981-2(輸入盤)

 

 

 

1.Death Wish(Main Title)
2.Joanna's Theme
3.Do A Thing
4.Paint Her Mouth
5.Rich Country
6.Suite Revenge:
 A.Striking Back
 B.Riverside park
 C.The Alley
 D.Last Stop
 E.8th Avenue Station
7.Ochoa Knose
8.Party People
9.Fill Your Hand

Music by Herbie Hancock

 

 

チャールズ・ブロンソンが出演した映画のサウンドトラック作品。

 

 

 

チャールズ・ブロンソンは日本ではなじみのある俳優さんですね。

 

かつてはスティーブ・マックィーンと映画で共演したこともある俳優です。


邦題は「狼よさらば」。
社会を風刺する様子を、音楽でも表現する。
演者と世界を壊さない、それを表現できる音楽と言うものは、実に奥深いと感じました。

 

 

 

 

午後から肩がバリバリ、頭がガンガン、そして顔色がピッコロ大魔王になるという事態に。少し寝て様子を見ましたが、回復まで時間がかかりそうなので、きょうは棚つかをお送りしました。

 

 

 

 

合計60点、総重量約7kgのがらくた整理。

先月から思わぬことが起きているため、自然と先延ばしになっていたことが幾つかありまして、それを解消するべくここ数日動いています。

 

 

 

前回のシーズン、シーズン5ではオークションによるガラクタ整理体験談を綴っていますが、こちらは現在も継続中。ジャズのCDの整理をコツコツと続けており、ある程度まとまったので何日かに分けて出品することができました。

 

出品したCDはジョン・コルトレーン(John Coltrane)」

先日このアーティストに関して記事を書いています。

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

 

コルトレーンの音源は、彼の師匠に当たる「マイルス・デイビス」には劣るものの、その作品数は結構あります。メジャーレーベルからでも60タイトル以上は出ていますし、海外のマイナーレーベルを含めると、100近い数字になってきます。また関連本も何冊か出ており、それらをまとめて出品することにしました。

 

 

 

 

今回の出品は本とCDを合わせ、合計60点。

重さにして、約7kgのがらくた整理になります。

 

体重で7kgはなかなか落ちませんが(汗)、がらくた整理で7kgは、あっという間ですよ(経験者は語る 笑)。

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170217215834j:plain

 これが60点、計7kgのがらくた。

 

 

コルトレーンの作品はすべてを手放したわけではなく、手元に20タイトル近く残っています。これもいつか、手放すことになると思います。しかし今回は残ることになりました。

 

 

 

 

オークションやフリマ等で売りに出すのはいいのですが、設定や説明文など、面倒に感じてしまう作業はいくつかあります。それを嫌ってばかりいると、結局在庫が溜まります。そうなってしまったら、もう捨てるかネットで売りには出さず、実店舗へ持っていた方が建設的です。だって、これまで出そうとしてこなかったから、これから出すという保証がないから。

 

 

 

ぼくも以前は、この出品が面倒で仕方ありませんでした。商品ひとつひとつのコンディションを確認するのも、数がまとまっているとかなりの時間取られてしまいますし、写真撮影も光の加減とかありますので、意外に時間かかります。あと、良くあるのが電池切れ(笑)これだけでもうやる気が萎えます。そんな経験をしながらも、先延ばしの期間を短くすることができるようになりました。最初から「ぐっと」ではありません。少しずつです。それでも、先延ばしを止めたのであれば上出来だと思います。

 

 

 

気持ちを引き締めて、これまで愛でてきたCDを出品。

思い入れのある作品なので、ついつい説明が長くなりがち(汗)

 

そして、先ほどすべての出品が完了しました。

 

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170217220123j:plain

見事にコルトレーンが並んでいます

 

 

これで、ひとつのやっかいなタスクを処理することができました。

その他書類の作成やメニューの公開に向けての追い込みなど、小忙しい毎日が続きます。

祖母の葬儀の後、時間差で疲労が来てしまったようですが、今でも涙を浮かべてしまいますが、最後の送り出しはとてもいいものだと思いましたし、その感覚を信じたいと思います。なのであまり涙をこぼすことなく、「やるべきこと」をしっかりと「やる」ことができるよう、明日からまた気を引き締めたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌は明日から冬季アジア大会です。

選手のみなさん、がんばってくださいねー!

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

なまけ者のさとり方 増補改訂新版 タデウス・ゴラス著 山川鉱矢・亜希子:訳 地湧社 (50)

投稿したはずの日記が反映されていないことが判明。はてさてどうなることやら。

現在はてなブログの「スマホ用の画面」と「パソコン用画面」に違いがあり、PC画面では掲載されている記事がスマホ用の画面では表示されていないという不具合が起きています。

 

この状況は今朝ブログをご覧になっている方からの知らせを受け、気づきました。

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170216161230j:plain

 スマホの記事管理画面

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170216161430j:plain

パソコンの管理画面

 

 

その報せを受けたときに、あれ?と思ったのです。

確か更新していたような気がしていたからです。

 

先にスマホ画面を見てみると、確かに2月14日の日記が表示されていません。

で、パソコンのブラウザから記事の管理を開いてみると、2月14日の日記が表示されています。どうやら不具合のようだと確認。

 

その方も仰っていたのですが、せっかく続けていたのにねとのお言葉をいただき、こちらもそうだったら仕方ないなと思っていたのですが、あべこべな状況となっていたため、現在の状況をお伝えしました。

 

 

 

その後調べてみると、この記事は予め下書き保存してあったもので、投稿日時を設定していたものでした。で、実際は手動で日記の投稿を行ったのですが、うまく反映されていないようです。

 

 

 

 

最悪、日記の更新は止まっても仕方ないよねーと思いつつも、どうにかならんかと試行錯誤中(汗)

 

その後はてなブログに問い合わせをしてみました。

 

 

 

 

さて、どうなることやら・・・

 

 

 

 

 

 

でも、ちょっと不思議に感じたことは、ここで仮に「途切れてしまった」としても、ああしょうがないな、で片づけることが出来そうだということ。

 

確かに毎日掲載していたので残念は残念なのですが、それはそれでしょうがないからね、と、ちょっと割り切れるようになっていました。

 

 

 

 

 

 

この問題の解決には、少し時間がかかるようです。

本音を言えばしっかり反映させたいのですが(笑)、ブログの詳細には詳しくないので、時間のあるときにでも技術的なことを含めてしっかりと検証したいと思います。

孫で、よかった。

そんなに日が経っていませんが、この時点で祖母に対しての気持ちを残しておこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月に入ってすぐ、叔父から連絡がありました。そのときの内容は、祖母の血圧がかなり下がり、その日の夜が峠であることを医師から告げられた、ということでした。このときは薬を投与したため血圧も安全圏内まで戻ったとのことで叔父夫婦は帰宅したとのことですが、今後は自然に任せたいという意向でした。だからもし時間があればという話を、ぼくにしてくれました。

 

そのとき実家は連絡が取れていなかったのでぼく宛に連絡をしたそうで、この件についてはぼくが窓口になりました。翌日以降の予定を取りやめ、各所に連絡した後にこの日はただ願いながら眠りにつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電話があってもわかるようにしていたのですが、着信に気がつくことが出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝起床し、急いでスマホを見ると、着信がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は、午前6時前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意を決して、電話をかけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくコール音が鳴った後、叔父の奥さんが電話に出られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いま、ばあちゃんと帰ってるよ」

 

 

 

 

 

 

 

祖母は、早朝にひとり旅立ちました。

 

99歳。さいごまで立派に生きた、とのことでした。

 

 

 

 

 

叔父の自宅に戻った後に予定などが決まるため、また後で連絡するという流れとなり、いったん電話は終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待ってて欲しかった。

 

でも、間に合わなかった。

 

 

 

 

 

悲しみをこらえながら実家に電話しました。

 

数回コール音が鳴ったあと、母親が電話口に出ました。

 

 

 

 

 

なんとか気丈に、しっかりと、物事を伝えようとしました。

 

伝えようとしたんです。

 

 

 

でも、無理でした。

 

電話口で、ことばにならないほどに、泣き崩れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母は、ただ「仕方ないでしょ」とぼくを諌めました。

母のほうは、もうずっと前に覚悟をしていたようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母は現在の宮城県にある亘理町の出身です。

おそらく祖父の仕事(大工でもしかも今でいう1級建築士)の関係で北海道に来たようです。

 

祖父母が北海道で生活した場所は、栗山町でした。

現在は北海道日本ハムファイターズの監督である栗山英樹さんが住居を構える場所でもあります。

 

 

 

 

 

ぼくが物心ついたときには、父方の祖父母は既に他界しており、ぼくのおじいちゃんとおばあちゃんはイコール母方の祖父母となりました。

 

小さい頃からよく栗山の家には連れて行かれており、よくそのまま置いてかれた(笑)そうです。ぼくの記憶では「置いてかないで~」と母親に向かって泣き叫んでいる記憶があるのですが、ばあちゃんが言うには「ばあちゃんと離れたくなくて泣いていた」とまったく逆の話しが出てきました。

 

そして、ぼくはよくばあちゃんにおんぶをせがんだそうです。

 

 

 

最後に見舞いに行った際に、ばあちゃんは嬉しそうに話していたのを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

じいちゃんが先に亡くなってから手術しなければならない事態となり、入院後は家に戻ることが実質不可能となってしまったため、入院生活がずっと続きました。その後ホームに入居しますが、その後また疾病を重ねてしまったため場所を転々とします。

 

つい最近の話しでしたが、食欲がなくなったという話を母から聞かされたことがありました。それを担当の看護師さんは「食の寿命」と表現しており、ひとつの境目の基準として仰っていたそうです。その後食欲は復活し、一時期は食べさせてもらっていたのですが、最後は自分で食事を口に運んでいただいていたそうです。このバイタリティには正直驚きました。しかし、病院のご飯はまずいそうで(笑)、いつも「まずい、まずい」と言っては全部たいらげていたとのことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出話をするときりがないのですが、きょうは最後にひとつだけ。

 

 

いつもばあちゃんに叱られたことがなかったぼくでしたが、一度だけ、諭された、または叱られた、もしくは諌められたことがありました。

 

それはまだ結婚前のことで、月に1度栗山の家に泊まりに行き、雑用を手伝っていたときがありました。

 

 

 

冬。

 

 

 

その冬は雪が多く降っており、車庫の上にもたくさん雪が積もっていました。

 

ぼくが泊りに行った際、じいちゃんが車庫の雪下ろしをしてほしいとのことだったので、車庫の屋根に上って雪下ろしをすることになりました。

 

 

雪は結構な高さまで積もっており、屋根に上ったのはいいのですが、雪を下ろすにも一苦労です。この時期結構ニュースになりますが、雪下ろし中の転落事故は足場がよくわからないまま雪下ろしを続けてしまい、結果転落してしまうというものが大半です。

 

命綱やヘルメットを装着するのが安全対策の基本ですが、そんな対策は当時何もせず(汗)今思うと冷や汗ものですが、こちらが四苦八苦しているのを知ってか知らずか、じいちゃんから矢継ぎ早に指示が飛びます。

 

 

 

 

これが、けっこう無茶ぶりなのです(大汗)

 

要するに「もっと下ろせ」。と。

 

 

 

 

「危ないから」

「もっと下ろせ」

 

 

 

このやりとりがエンドレスです(汗)

 

 

 

 

 

 

ついにぼくは、じいちゃんに歯向かいました。

 

怪我したら、元も子もありませんから。

 

 

 

 

 

この後の記憶はあまり残ってないのですが、その後じいちゃんと話すことはありませんでした。

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

その一部始終を見ていたばあちゃんが、ぼくを叱りました。

 

その内容は忘れてしまいましたが、はっきりとばあちゃんがぼくを「やさしく叱った」ことだけは、しっかりと記憶に残っています。

 

 

 

 

いつもは口げんかしかしていないじいちゃんとばあちゃんでしたが、ばあちゃんの意外な一面にぼくはとても驚きました。そしてそれは、じいちゃんへの申し訳なさに変わりました。

 

 

 

 

 

 

結局、じいちゃんには面と向かって「ごめん」を言う機会もなく、じいちゃんが亡くなってしまいます。

 

ぼくはその「ごめん」を言うことが出来なかったこともあり、ひどく後悔していました。

 

 

 

 

その後、何かのタイミングで「じいちゃんわかってくれたかも」ということがあり、それ以上引き摺らないことにしていましたが、ばあちゃんが亡くなったことで、とても大事な思い出のひとつが呼び起されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬儀は家族葬となったため、参加できる親族しか集まりませんでした。

 

それでも、祭壇はとても立派なものであり、ばあちゃんを送り出すには申し分のないものでした。

 

 

 

 

 

実は、ばあちゃんが亡くなった翌日、先に栗山町に逢いに行っていました。

 

 

 

天気は変わりやすく、途中「ホワイトアウト」現象も起こったため、かなり慎重に車を走らせました。

 

そして札幌から2時間以上の時間をかけて叔父宅に到着し、ひととおりの挨拶を済ませたあとに、ばあちゃんに逢いました。

 

 

 

 

 

 

ばあちゃんは、眠っているようでした。

 

この表情だけで、すべてが事足りました。

ばあちゃんはもう既にそこにはいないはずなのですが、その表情だけですべての説明というか、ばあちゃんの気持ちが伝わってくるようでした。

 

 

 

無論、ここでも、声をあげて泣きました。

 

でも、ふしぎと「逢いに行けなくてごめんね」ということばは、まったく出ませんでした。

 

感謝のことばしか出なかったのは、今思ってもふしぎなことです。

 

 

 

ばあちゃんの頭をそっと、優しく撫でました。

赤ちゃんがすやすやと眠るような表情をしていたのです。

今にも起きてきそうな佇まいでしたが、残念ながらからだは既に冷たくなっていました。

 

 

 

 

 

ばあちゃんに挨拶を済ませたあと、叔父夫婦にご飯をご馳走になりながら、最期のようすを聞かせてもらいました。また、今まで知らなかったばあちゃんの話しも、聞くことができました(どうやらばあちゃん、一時期たばこ吸っていたらしい。しかもキセルで 汗)。

 

 

 

当初、叔父はここまで来るのも大変だから来なくてもいいと言っていたのですが、たぶんぼくがいちばん取り乱すからと(汗)説明し、前もって弔問に訪れることを承諾してもらいました。

 

火葬場でも結局大泣きしてしまったのですが、先にばあちゃんとゆっくり話をすることができたと思っているので、結果としては良かった、と思うようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬儀から、一週間以上が経過したいま、改めてばあちゃんとの思い出を思い返すだけでも、未だに大粒の涙が溢れだします。

 

理由はぼくは大がつくくらいのばあちゃん子と自負しており(汗)、親孝行ならぬばあちゃん孝行は出来るだけしたいと考えていました。

 

 

 

その想いに到達点はないため、結局は後悔が多少残ることになりましたが、じいちゃんのときとは異なり、最後まで感謝のことばを伝えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばあちゃんの話をしたとき、いままですっかり忘れていたばあちゃんの家(思えばなぜかばあちゃん家と言っていた)の外観や内部がはっきりと想い出されます。ここにあれがあって、そこにこれがあってと、かなり細部まで今でもはっきりと目に浮かばせることができます。

 

 

 

大人になって車を持ち、それから幾度となく栗山の家に泊まりに行きました。

 

家に着くなり、ばあちゃんが「オロナミンC、冷蔵庫に入ってるぞ」と飲み物を勧めたことを、ふと思い出しました。

 

時折冷蔵庫に入れるのを忘れており、冷えていないオロナミンCを出されることもありましたが(笑)、ぼくにとってオロナミンCは、ばあちゃん家の味となっています。

 

 

 

会社が入っているビルの自販機にある、栄養ドリンクの中で、よくオロナミンCが売られており、よく購入していたことがありました(おごらされていたこともあったっけか)。

 

会社勤めをしていた頃、特に考えもせずオロナミンCを購入していましたが、血筋と言うか、何かがしっかりと受け継がれていたことに、笑いと、そして誇りのようなものを感じ取りました。そしてまた、オロナミンCを買うようになりました。ぼくにとってのエナジードリンクは、このオロナミンCだと、改めて肝に銘じたいと思います。

 

 

 

 

 

 

f:id:maruyamabase:20170215230247j:plain

 思い出の味。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ぼくの中での夢想(想像)のはなしをして終わりたいと思います。

 

 

どのタイミングでかは忘れてしまったのですが、ふとこんな感覚を覚えました。

 

 

 

 

 

それは、祖母が「上」からこちらを見ていること。

そして、葬儀とその後の親族での会話を見ながら、祭りのように楽しんでいること。

本人としては、一応事態を理解しているような感じです。

こちらに対して、特別何かを心配する様子は、まったくありませんでした。

 

 

 

 

そして、意外だったことは。

 

少なくともぼくが見た祖父母夫婦の光景は、口を開けば口論しかしていなかった。

だからだという訳ではないけれど、ばあちゃんをいじめるじいちゃんが許せない時期があった。だからじいちゃんに対して歯向かったという経緯があるのだけど、当のばあちゃんの気持ちは聴いていなかったし、じいちゃんの本音も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくが見た(と思われる)光景は。

 

 

 

じいちゃんが、ばあちゃんを「迎えに来た」光景でした。

 

しかも「やっと来たか。ばかもんが」とか言ってる始末。

 

それに対しばあちゃんは、満面の笑顔で返していました。

 

 

 

そして、ふたり手をつなぎ、歩き始めた。

 

その、ふたりの後ろ姿を見ると、これまで見たことのない、最高の夫婦のカタチに見えました。

 

 

 

 

 

 

これを感じたぼくはひとこと。

 

じいちゃん、おいしいとこだけ持ってくな!

 

でした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で、先日不意に訪れた「別れ」について書き遺しました。

 

本来であれば、残す内容としてはそぐわないかもしれません。

それでも、残すことを決めました。残さないと、とも思いました。

 

 

 

 

 

 

今更の話しですが、あの時が「最後だったとしたら」という後悔というか、詰まる気持ちのようなものがあります。

 

数年前から、近しい人との別れを繰り返し経験しています。それは死別であったり、強制的に切り離される結果となったりと、様々です。

 

もし、あの日のあの会話が「最後」になるのだとわかっていたなら。

 

 

 

どのようなことばをかけるでしょうか。

どのようなことをしてあげたいと思うでしょうか。

 

改めて、「その人を想い、伝えていくこと」の大きさを、学びました。