つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

ゆるりと懸賞当選。

応募した懸賞が当たっているかどうかは、正直忘れた頃にやってきます。

 

 

本日の郵便で簡易書留があり、何かと見てみると、コレでした。

 

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明治さんでした。

 

封書なので中身はわからず。そっと開封してみると・・・

 

 

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当選通知とギフトカード1枚が封入されていました。

 

これはギフトカードにもある商品の特定マークを集めて応募すると豪華賞品が抽選で当たるという懸賞を3月中頃まで行っていて、新型コロナの環境になってから毎日飲んでいたのでせっせと集めていたのです。大きいのが当たればいいなと思っていましたが、フタを開けてみるとダブルチャンス賞でした。

 

お望みのものは当選しませんでしたが、外れたわけではないのでよしとします。

 

 

 

 

その昔、全国的に行われている懸賞は当たる気がしませんでした。

そのため、懸賞の応募は地域限定のものから始めた記憶があります。

地元の新聞や雑誌、地域の店舗で行われる懸賞だけでも、それなりの数が日々実施されています。そこから自分の生活スタイルに合った懸賞をセレクトし、応募していくというのはそんなに難しいことではなく、また苦しいものではありませんでした。

 

地方の懸賞はそこそこ当選することが多く、特に一時期試写会は毎回のように当選していました。地元ラジオ局で放送された車関係の特番では投稿内容が読まれ、かつ1万円分のクオカードをいただいたこともあります。懸賞はやるだけ無駄というものから、可能性のあるものへといつしか変わっていました。

 

 

「やってみないとわからない」

 

ほんとにこれだと思います。

 

昨今は「そんなのやる前からわかってる」という風潮がありますが、仮にダメだったとしても、やってみなければわからないことはあります。言ってみれば、そのようにわかりきったような口を利くひとこそ、わかっていないことがあると言ってもいいのではないかと思います。もちろん、やってみたいことの内容にもよると思います。

 

注意してほしいのが、これがすべてのことに当てはまるかと言えばそうではありません。わたしたちは自分が正しい!自分がやりたい!ことであれば、それありきでいろんなことを考えます。まるで失敗の2字などないかのように、やってみないとわからないといったことを言うと思います。

 

その言葉自体は決して悪くはないのですが、その主張を支えるものはどんなもので構成されているかによると思います。夢物語ばかりでは、いつの時代も納得や説得できる確率は低いのではないかと考えています。夢がありかつ、論理的とでもいえばいいでしょうか。しっかりと戦術を考えている、しっかりと状況を分析できているなど、ある程度の水準に達していなければならないと思います。

 

 

懸賞はそこまで重いものではありませんが、ごくシンプルに「やってみないとわからない」世界です。リスクは封筒や切手代などです。それで結果がわかるのであれば、安いものだと思います。それで当選すればめっけものです。またWeb上で行われている懸賞もありますので、チェックする楽しみもあります。

 

 

本日は1件の当選連絡と、実は1件の落選連絡を受けています。

こればかりは仕方ありません。

懸賞もそうですが、ぼく自身としては、前に出ることを恐れず、しかし冷静に考えることが出来るよう、今後も精進したいと思います。

栗城史多さん関連の図書を読むことにしました。

先日八雲町立図書館にて、「デス・ゾーン」を借りてきました。

 

それまで栗城史多さんのことは登山家程度でしか知りませんでした。

あとはガイアシンフォニーという作品か何かで彼のことを認知したと記憶しています。

 

ぼくが八雲町に移住してから、彼は登山中の事故で亡くなりました。

八雲町の隣町であるせたな町で葬儀が行われたということも新聞記事で知りました。

 

デス・ゾーンですが、所用先での待ち時間に読んでいたところ、ページをめくる手が止まらないほどのめり込みました。ただこの本だけで考えをまとめるのは偏るかなとも思いましたので、八雲町立図書館で貸し出している、栗城さん関連の図書を借りることにしました。

 

 

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発行年順に

NO LIMIT 自分を超える方法 2010年発行 サンクチュアリ出版

弱者の勇気 -小さな勇気を積み重ねることで世界は変わる- 学研

※上記2冊はともに栗城史多さん著書

 

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 河野啓:著 集英社

 

となります。

 

 

デス・ゾーンは先に読んでしまいましたので、栗城さんの著書を後追いで読む流れになります。

 

 

 

栗城さん、あなたはまだ死ぬべきではなかた

 

 

これが、デス・ゾーンを読んだぼくの感想です。

最終的に滑落死、ということで彼は亡くなってしまいましたが、話の流れからして、彼は自らの死を「選択」したのではないだろうかという考えでいます。

 

その説に沿うことになりますと、彼の考えや行動は赦されるものではなくなります。

もう彼はいませんが、山を登り詰めた後の時間のこともしっかり考え、動いていくことこそが彼のほんとうの生きることだったのではと感じています。

 

言うなれば、最後までわがままを押し通したといった表現になるでしょうか。

 

 

栗城さんについての印象は、関わった人の数だけあります。

ここでぼくが何をどう言おうと変わるものではありませんが、こういう人にこそ生きていて欲しかったと読後に思いました。

 

 

この複雑な考えを少しでもまとめようと思い、他の図書も借りてきたという流れです。

 

どうやら彼にはスピリチュアルな面も匂うので、久々にぼく自身もその姿勢で読むことに臨みたいと思います。

 

閉店まで残り15分の夕食。

緊急事態宣言下の北海道では、飲食店の営業時間も短縮となっています。

(お酒を出さないお店も)

 

これにより、夕方~夜に開いているお店が激減し、最終的にはコンビニで夕食を用意しなくてはならない可能性が出てきます。まさしく夕食難民です。

 

 

この日、仕事後に函館市に移動してきたのですが、時刻は既に20時30分を回っていました。先に宿に入ることも可能でしたが、それだと夕食は間違いなくコンビニ弁当になります。それは何となく回避したい思いがありましたので、看板の明かりがついているところ目掛けて夕食を取ることにしました。

 

 

 

この日夕食を取ったのは「丸亀製麺」。

まだ明かりはついていたのですが、実際に営業しているかどうかは入り口まで行ってみないとわからず、ひとまず店内に入ることに。

そうするとラストオーダーが「20時45分」となっていました。

このとき時計を2度見。期限時間まで10分ほどありましたので無事セーフ。

ただ営業時間が「21時まで」となっており、その時間までに飲食が完了している必要があるとのことでした。

 

20分ほどあれば食事は充分できる、ということで、この日の夕食は丸亀製麺さんでいただくことに。

 

 

頼んだのはこちらです。

 

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ごぼう天かけうどん

さつまいもの天ぷら

かしわ天

 

こちらを閉店までの15分間でいただきました。

美味しくいただきましたが、この日ほど閉店時間を気にしながら食べたことはないと思います。

 

残念ながら北海道での緊急事態宣言は延長になってしまいました。

昨年の時点では、来年の今頃はコロナも落ち着いているだろうという予測でしたが、そう簡単にはいきませんでした。今やすべての業界において、試行錯誤の連続となっています。

 

消費者として願うことは、1日もはやく、気兼ねなく、お店を利用したいなということのみです。

 

 

 

その日が来るまで、がんばります。

 

 

【詩】スルーだとわかりたくない

どうして

 

今は既読という機能があるのだろう

 

相手がこの文章を読みましたというのは

 

必要なのだろうか

 

メールのときにはそれがなかったけど

 

そのときは何も不都合はなかった

 

メール以外の連絡手段になったら

 

いきなり既読機能がついてきた

 

それは何を意味するんだろう

 

役所に書類を提出したときの「受付しました」的なものだろうか

 

なんだかとてもむずかゆい

 

 

 

既読という機能は何かを創造するとは限らない

 

既読だからといって相手の返信が来るわけではない

 

余裕で相手はその話をなかったことにする

 

意図的に相手はかみ合わない話をしてくる

 

相手は既にその文章を読んでいますということを教えてくれることに幸せはあるの?

 

そんなものがなくても返事が来たら嬉しいし

 

返事がなくてもそんなもんだと思えばいい

 

わざわざ既読だなんて教えてくれなくてもいい

 

ただぼくは

 

ぼくのことばが届けばそれでいい

静寂が明けますように

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外せない所用があり、函館市に1泊しました。

 

写真は部屋から眺めた函館駅方面になります。

 

明るいのは街路灯や信号機だけで、看板からのネオンはほとんどありませんでした。

なんだか年末年始よりもさみしい光景に思えました。

 

宿泊先では飲食店も入っているので、この状況はとても残念ですとおっしゃっていました。この状況が改善し、少しでもはやく夜の静寂が明けるように祈るばかりです。

【詩】搔き分けることは尊く

前に進もうとしても

 

目の前の障害物が行く手を阻んでちっとも進まないことがある

 

どうにかして足を上げて歩みを進めようとも

 

その足元にある伸びた笹や木の枝などが絡みついては歩みを止めようとする

 

文字通り手でも足でも掻き分けながらその日の目的地へ向かう

 

どうしたってそうしなければたどり着けないことはある

 

 

 

でも世間ではどこかで

 

それが消耗だとか浪費だとかと評している声がある

 

そりゃそう見えるだろう

 

その人たちはその光景を見ているだけで言っているんだから

 

掻き分ける人の気持ちになって言っているわけじゃない

 

だから通じ合うものだとかわかりあえるものはその時には残念だけれどない

 

あくせくして働くことは何も無意味なことじゃない

 

足掻くことは生きていくことにおいてあるべきことだと願っている

 

そうしなければ誰もが脱却を目指すだろう

 

細い蜘蛛の糸に大挙して押し寄せ

 

糸の先にある栄光ばかりを見てしまう

 

それはまるで中毒者のようにしか見えないのはなぜだろうか

 

 

 

今日もどこかで

 

こんなところに誰が来るんだろうと思うようなところで働いている人がいる

 

その仕事を終えるために掻き分けていく人たちがいる

 

そんな人たちがいるからこそ

 

わたしたちがいる

 

見えないものを見ようとするのは難しく

 

また妄想に頼りがちになってしまうけれど

 

この世界は何で出来ているかを少しでも考えてみてほしい

 

牛だって時には人に助けられる

 

人だって牛に助けられているのだから

MORIHICO.より季節の珈琲【Fleur(フルール)2021】をいただきました。

本来であれば母の日向けの商品だと思うのですが、自宅用に購入しました。

 

ちなみに母へはカーネーション(おそらく初)とフリーズドライの食品を贈っています。大層喜んでいました。

 

 

さて今回の豆は

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【Fleur(フルール)2021】です。

西暦が入っているということは、毎年リリースされている商品だと推測します。

今回はこの豆の他、レギュラービーンズを購入しています。その感想はまた後日。

 

 

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豆は浅煎りに近く、また大きさは小ぶりです。

一見して飲みやすいイメージが湧きます。

 

実際にいただいてみると、紅茶のような優雅な香りが漂います。

飲み口も軽く、朝食やティータイムに向いている、コーヒーがちょっと苦手な方でもおいしくいただくことが出来る豆かなと思いました。

 

かといって、珈琲のコクがないわけではありません。口に含みますとしっかりととろみといいますか、珈琲のふくよかさを味わうことが出来ます。

 

お値段はどうしても張ってしまいますが、自宅での珈琲時間を楽しむのであれば、十分な商品だと思います。次にいただく豆も楽しみです。

【詩】うんちはくさい

うんちはくさい

 

うんちはくさい

 

朝したうんちはくさい

 

昼したうんちもくさい

 

夜にしたうんちだってください

 

うんちがくさいのは人間だけだろうか

 

 

 

ある日逃げた子牛をつかまえた

 

後ろから押すようにして連れて行った

 

そうするとどこからか匂ってきた

 

それはうんちのにおいだった

 

やばい!っと思ったのも時すでに遅しで

 

ぼくの作業着には子牛のうんちがついていた

 

そのうんちはくさかった

 

どうやらうんちがくさいのは人間だけではないらしい

 

ずっとうんちのにおいがしていたけれど

 

心はどこか晴れやかだった

 

 

 

けどすぐに子牛のうんちがついた作業着は洗濯した

 

それくらいくさかった

 

人間のうんちも負けないけれど