今月の初めに打ちのめされてから、2週間近くの時間が経過していたことにさっき気づきました。
またもや打ちのめされた日。心臓の鼓動が止まってもいいと思った日。 - とみーのグラウンディング日記
記事内でも綴っていますが、心臓の鼓動が明らかにおかしくなるほどの衝撃が襲い、メンタルもボディも調子が一気にレッドゾーンへ突入します。正直抱えているのが辛かったので日記に書きました。そうすると、意外にも反応があったのはとても嬉しいことでした。
責任を持っているから、本音を綴っているのでした。~ひとは気持ちに応えてくれる~ - とみーのグラウンディング日記
しかし、そこで調子が戻る・・・という訳にはなかなかいかず、引き摺っていたというのが実情。ブログや仕事の展開方法について「どうすればいいんだろう ほんとうにわからない」という情けない表情を自分自身にだけ見せつつ、資料作成等も手につかず、多少の無力感を抱えながら生活をしていました。
このままではいけないと思い、諸先輩がたにお話を伺うことに。
その時はダメ元で相手の方に打診しました。断られて当たり前という気持ちで。
甘い考えだったかもしれません。そう簡単に教えてなるものかと思われても仕方ありません。それでもお相手の方は心情を汲み取って下さり、お話していただけることになりました。
そこでのお話は、わたしにとってはとても耳が痛い内容でした。
わたしのやっていることを否定されているわけではないのですが、あれもダメ、これもダメ・・・と言われている感覚に陥りました。よくない癖がまたまたやってきたのです。
どんどん自分が小さくなる感覚を覚え、一言も発することもできず、1秒が何時間にも感じ、この場から離れたいと思うも体が言うことをきかず、針のむしろ状態。それでも話を最後まで聞かせていただくことができたのは、やはり覚悟があったからかもしれません。
わたしには、資金がありません。
これは、仕事をしようとしている人にとっては大きなダメージだと思います。
特に、仕事をするにあたって「道具」や「スペース」が必要な人にとっては、もはや致命的なことだと思います。だからと言って資金力のある人を知っているわけでもないですし、頼ろうと考えたことはありませんでした。むしろ、資金がなくてもやっていくという気持ちのほうが強かったと言えます。
それは無意識に「お金の力」というものの一部分を嫌な感じに捉えているというのがあります。生活していくためにはお金が大事なのですが、物事の判断のものさしにお金を入れるのは何だか違うという気が今でも持っています。確かに資金力があれば、望んでいることはできると思います。それと一緒に例えば「家」だとか「パートナー」そして「愛」も手に入れば、一石二鳥どころの話ではありません。それを羨む現状がありますし、それを憎む事実もあると思います。
ただ、気になるのが「お金」をものさしの基準にしていることで、仮にその資金が尽きたときにはどうなるんだろうということ。お金から始まった愛等がほんものに育てばいいのでしょうが「お金の切れ目が縁の切れ目」ということばにもあるように、次の「お金のある人」のところに移って「めでたしめでたし」と思っているなら、その人生は果たしてなんなのだろうと思ってしまいます。他人にはもっともなことを言ういっぽうで、自分はその言葉とは違う行動をとっている。ご自身ではその理念に則っていると思っている、もしくは「わたしはわたし」と割り切っているとなると、その人の軸を疑問視しておしまいになるだろうなと思ってしまいました。
ああ、完全に愚痴だわコレ。
過去に、資金力のない自分は無力だと感じたことは腐るほどありました。
お金で相手の態度はかんたんに変わります。
それはある意味、相手への気持ちの大きさよりも「いとも」かんたんに。
そんな経験をしてきたから、魂に傷をつけてきたから、いろいろ愚痴をこぼしてしまうのかもしれません。
でも、抱えたままにして「魂が更に傷つく」ことにはしたくなかったから、書くことにしました。単なるひがみだと思ってもらっても構いません。しかし、お金の問題は誰にでもついて回るもの。ここで態度をはっきりさせて、どう向き合っていくのかを明確にしない限りは、一生このままだと思いました。だから書きました。
わたしは、人生の残りウン十年の「時間」を、個人事業主として、お金を稼ぐという行為を「鍛錬する」ことに決めました。これはおよそ1年前、軸を定めたときに設定した「今後の人生」の目標のひとつでした。
物事には「成長」や「育つ」ための時間があります。会社勤めをしていると短期結果を求める風潮が多く、従来の「機が熟す」感覚を失いがちになります。わたしもその時の癖が抜けないままでいますが、ただ機が熟すのを「待つ」だけではなく、ずっと前からイメージしていた「こうなりたい」へ向けて、その日その日の納得できる展開を起こそうと決めていました。それも自分の「軸」が揺らぐと忘れがちになってしまうのは性のようなものですが、木々であっても風雨にさらされる時期があります。ときには折れて倒れてしまうこともありますが、耐え抜いて葉や花をつけてくれ、様々なことを教えてくれます。その感覚を信じる。ただし、信じるだけではなくて、葉や花をつけてくれるまで、これでもかというくらいの面倒を見ることを心に決めて。
わたしは「ことばを紡ぐ」ことが好きです。
仕事上必要なスキルではありますが、わたしがことばを紡ぐことに触れたのは中学校での国語の授業がきっかけでした。
以来、アマチュアレベルの小説や詩、俳句など、書けるものは何でも書きました。
その「好きで続いた」ものには、自信があります。だって好きですから。
ことばを紡ぐ。それは「口に出して想いを伝える」ことも同様です。しかし、メンタルが不安定なときは、伝え方も不器用になります。それを笠に着て「伝えることを放棄する」人もいます。正直、それは「残念」でしかありません。
ふいに訪れた発見が、とても大きな気づきを伝えてくれました。 - とみーのグラウンディング日記
わたしは、ずっと苦しんできました。
自分で考えていた以上に、苦しいことだと大人になってから徐々にわかり始めました。
星周り等を見ると、どうやら自分は「人よりも苦しむシナリオ」を選んで生まれ出たようで、それがわかっている反面、自分を責めることもあります。
会社員を経験しましたが、この世界は「苦し過ぎ」ました。
では、今歩んでいる個人事業主はどうなのだろう。
「苦しい」ことに変わりはないと思います。それが「過ぎ」なければいいと思ってます。
苦しい人生を、笑って過ごすために。
最初からフル装備には出来ない。装備の質を上げる、または本当に必要な装備を増やすなどして、その苦しさを経て生まれる綺麗な花を咲かせることにいのちを注ぎたい。
明日にわくわくしながら寿命を終える。
ぼんやりとした、生き抜くための目標です。
資金はほぼなし。
人脈もほぼゼロ。
すべてが手探り。
鼻で笑われてアタリマエ。
魅力もなくてアタリマエ。
無力と思われてアタリマエなのだ。
しかし、最初から「底」の状態にあったのだから、あとは浮上するだけなのだ。
時折重みに負けて沈むこともあろう。でも、また浮き始めるのだ。それがわかっているなら何ら怖くない。今充実したものを持っていて、それを失ったときに豹変する人よりは、かなり健全だと思う。
あの日。あの時。
前に進むと決めたんでした。
苦しいのは、辛いのはわかっている。それでも、やらせてほしい、と。
人に、自分に頭を下げて、腹を括ったんだった。
そこまでの覚悟を自分が知っているんだから、それに応えないとならない。
わたしのために。
あなたのために。
揺らぐことがあろうとも。
揺るぎなさを感じても。
わたしは「イメージした」未来へ進みます。
ガラクタ整理で。
オラクルカード・リーディングで。
木育で。
そして、M’s Clearerとして。
最近「この記事のイメージはこの曲だな」と言う感じで貼り続けてます。
きょうはコレ。
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