つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

荒天に振り回されるな。

本日の北海道八雲町。

 

午前中はひどい風と雨でした。

 

そんなひどい天候の中で牛の世話をしてきましたが、

 

お昼にはびっちょんこのぐっちょんこでした。(笑)

 

 

 

それが夕方頃には

 

 

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路面がいつしか渇いているほど。

風は冷たかったのですが、午前の天気がウソのようでした。

 

 雨風が強くなりますと、どうしても視界がぼやけてしまいます。

つまりは直視が難しくなります。咄嗟の判断が鈍ることもあります。

そんな中で「急げ!」と言われても、却って焦るばかりなのではと疑問を抱きます。

 

現代はとにかく、スピーディーに物事を進めなければという「枠」に嵌っているように思えます。それが経済がぐんぐん回っている頃でしたらうなずくのですが、今はとにかく違います。

 

「どうしていいのかも半分以上明確ではないまま」ではないでしょうか。

その中でも、「ナントカしろ!」という声が内外から聞こえてきますので、何かをしないわけにはいかない。そんな負の循環が起きているように思います。

 

ふと疑問に思うのが、

 

満足な支援とは、何?

 

なのです。

 

 

これも他国と比べがちですが、ここにも正解はありません。

とにかく今の不安をなんとかしてくれ!というものに対する「処方箋」です。

しかも状況が状況だけに、「1回の処方では解消されない危険性」があります。

そうなりますと、どんなに充実した内容でも、不安は解消されることはないでしょう。

 

これはまるで「餓鬼」そのもの。

落ちぶれるという表現が正しいかはわからないのですが、そこまで変わり果ててしまう可能性を十分に持っています。

 

この状況下で自助努力というのは難しいかもしれません。

しかし何かをきっかけにして、「頼りすぎない」生活にシフトしていく必要があります。

それは「相手」もありますし、「お金(資金や資産など)」もあります。

生きていくためにお金は必要だという概念が、今大きく揺らいでいます。

お金あってこその愛、と信じて疑わなかった人も、この事態は大きく揺れます。

脱線しますが、愛とは何ぞや、人生とは何ぞやと、考えるタイミングなのかもしれません。

 

 

 

わたしたちが積み上げてきたものを、自然の脅威(驚異)はいともかんたんにひっくり返します。

 

その後の光景を見ても、実は美しさは変わっていません。

 

その人自身がどのような変化を迎えているか。

 

そういった「試し」が含まれているのではないかと、個人で考えます。