つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

多読の中間報告です。 その2

 

10月半ばころから始めている、多読の中間報告です(2日目)。

 

 

 

 

発端はアメトーーク!の「読書芸人」で、ピース又吉さんの読書術を聞いて「自分もやろう」と思い立ったことがきっかけです。

 

 

前回の中間報告はコチラ

 

 

 

ちょうど9月によく利用させていただいているお店のガラクタ整理を手伝うことになり、そこから大量の書籍を引き取ってきました。その大半はオークションや買取に出しましたが、その中の一部は手元に置き、自身で一度読んでいこうと思ったのも偶然重なり、本格的に多読を開始した・・・という流れです。

 

 

 

 

 

最初は我が家にある本のみに焦点をあてて読んでいきましたが、その後図書館で借りてきた本を加えて読み進めています。

 

当初は年内での読了を目標としていましたが、その後読んでいきたい本が増えてしまい、きょうの時点で(実はもっと前)年内の読了は不可能になってしまいました。ただ、年内に読了するというのが必須条件ではなかったので(年内に読み切るという気概で臨んでいたというのが本音)、ひとまず継続して読んでいこうと決めています。

 

 

 

現在、積ん読状態(読んでいない状態)の本はゆうに50冊程度。

 

 

 

読めば読むほど、「あれも読もう。これも読もう。」という欲張りな性格が出てしまったようで、減ったかと思えばどこかで本が増えていくのを楽しんでいるかのようにも感じてしまいます。それは改めて「じぶんの本棚を見る。所有している本すべてを見渡す。」ことになり、結果として「ガラクタ整理」につながっていくものだと、改めて実感しています。

 

 

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 2か月経っての成果。

 

 

2か月ほど多読を進めてきて、「これが一体何になるのか」と思うことが時々あります。

 

「これに意味があるのか。無意味でしかないのではないだろうか。」と、考えることもあります。

 

ひとは書物に含まれた多くの知識よりも、きょう生きるための多くのお金を望んでいます。

そしてそれは、きょうを生きるためというものから、より肥大化していき、結局はじぶんの欲求を満たすためでしかなくなります。それはたとえ、その人自身が抱く長年の夢であったとしても、です。

 

 

 

それを「悪い」とは、必ずしも言えません。だって、そうすることでしか生きることができないひとたちは、実際に、この世界には多くいることも事実ですから。かつて会社に勤めていたわたしですら、そのように考えていましたし、その考えからひとつ進んだものを得るには、相応の経験をしなければならないと感じているのが実情です。

 

 

 

 

 

 

いま、じぶんの目の前に多くの書物がある。

これをどうしていくか、と考えたときに、思索を重ねて弾きだした答えは「読む」ということでした。

 

 

 

このタイミングで、これだけ多くの本が自分の手元にあるというのは、そうないことです。

 

読みたい本の中には売れていったものもありましたが、売れずに残った本のラインナップを見て、そのような決断に至らしめたのは、ぼくという人間からしたらごく自然なことだったということができます。このタイミングは恐らく「いま」しかないわけです。この「いま」を大切にする。もしくは、真剣に捉えると言えばいいでしょうか。この「いま」を意識するのとしないのとでは、大きな差が生じます。かたやここでしかないというタイミングで「いま」をつかうひともいれば、「次」があるから「いま」じゃなくてもいいと、さほどその重要性を捉えきれていないひともいます。実際そのような経験もしましたが、そのひとは後日謝罪と言い訳をしながらも、その「いま」を埋めるための提案をみずからされることはありませんでした。難しいことですが、「いま」の大切さは、そのひとの背景にも大きく影響します。かんたんにいえば、「どうでもいい」と、価値観を低く捉えている「いま」であった場合は、結局は自身が優先したい事項のみを押し上げ、かたちだけの謝罪等におさまってしまうのだろうと思います。それは、とても仕方のないことなのですが、同時に、それはとても悲しいことであり、その人の為人をその場で、その人ご自身が「決めて」しまうことにつながります。それは他人には知られることはなかったとしても、それらは今後滲み出てくるようにして周囲に知れ渡ります。それを目の当たりにしたときにどうするか。ひょっとするとそのときが、そのひとにとって本当に向き合うべき「いま」なのかもしれません。

 

 

 

 

 

また、どうでもいいようなことを書いてしまいました。

余程、後悔しているようですし、余程、悔しかったようです(笑)。

 

 

 

悔やんでも悔やみきれない思いを携えながら、という訳ではありませんが、このような苦い経験を重ねたことがきっかけで、ひとつひとつの出来事を感覚的「だけ」で捉えるのではなく、「理論的」にも捉えるように努めています。そこで導き出した、そして自らに課したものが「必要なこと」「やるべきこと」として認識し、こなしていくことで、いまいる場所から確実に進むであろうという気持ちで毎日過ごしています。

 

 

 

この先に何があるか、わかったものじゃありません。

この多読が意味があるのか、それともないのか。

そんなことを考えることよりも、とにかく読む。

活かすも殺すも、自分次第だと思います。

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

心の深みへ 「うつ社会」脱出のために 河合隼雄 柳田邦男 新潮文庫

大きな音が聞こえるか 坂木司 角川書店

空海の風景 上・下巻 司馬遼太郎 中央公論新社

 

 

 

 

-お知らせ-

 

・オラクルカードリーディングは、3枚セッションが定数に達したため、1枚セッションを含めて一度受付終了としました。

・ガラクタ整理に関するセッションは現在受付停止中です。

・上記により、対面セッションも年内の受付は終了しております。

・コメント欄を再設置しました(承認制)。