つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

移住も引っ越しも、同じ問題を抱えていると思うのですが。

7月27日の北海道新聞夕刊にこんな記事が掲載されていました。

 

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地方移住の一手となっている「地域おこし協力隊」制度ですが、調査人数の4分の1が1年以内に辞めているという事実または現実を突きつけた記事になっています。

 

 地域おこし協力隊という制度はもう10年以上経過しているプロジェクトなのですが、その定着が長年の課題となっています。

 

その原因は、どちらかにあるとは明言することは難しいです。

 

しかし記事にもあるように、実際問題として、生活の問題、意思疎通の問題、地域住民との問題など、地域特有の「ような」壁にぶつかり、これ以上の生活を断念するケースが増えてきています。

 

ツイッターを見ていましても、冷遇されて終わるという協力隊も少なからずいます。

協力隊という制度を使うことで行政に対してどういったお金の流れがあるのかは不明ですが、スムーズに運用されているとは現段階では言い難いです。これには異論があるかもしれませんが、実際に先立つものがなくなり、リタイアする実例が出てきています。

 

 

ではこれは、

地方移住特有の問題なのか?

 

 

北海道札幌市から北海道二海郡八雲町に移住し、現在定住チャレンジ中の身としては、都会も地方もあまり変わらないのでは?と思うのが正直な意見です。

 

 

結局は、

コミュニケーションを

図ろうとしているか?

 

結局は「ココ」なのです。

都会も地方も同じです。

 

行政も、協力隊自身もそうです。

言わなくてもわかる、そんな神みたいな人はまずいません。

その誤解を打ち砕かないと、協力隊に限らず、他の仕事でも苦しみを味わいます。

 

仕事の種類の多さはさすがに大きく違いますが、根本はどれだけ本気で取り組むことが出来るかどうかだと思います。地方にも定職に就かない人はいますし、都会にももちろんいます。そこには甘えや、他の原因が確実に存在します。

 

自分に何か、もしくは誰かが合わせてくれる、のではなく。

自分がその何か、または誰かに合わせていく。

双方がこのような考えで行動しないと、ぶつかりあって消耗して、終わりです。

これは、ずっと持ってきていた課題なのだと思います。ずっとずっと前からです。

 

北海道八雲町の地域おこし協力隊の話をしますと。

 

ぼくの前(前年度)にいた隊員4人ですが、

1年で退任・・・2名(1名は地元に帰り、もう1名はしばらく町内で働いたあとに町を離れました)

任期満了・・・2名(うち1名は町内にある企業に就職、もう1名は町内で起業)

となっています。

 

ちなみに自分は、協力隊を1年で退任し、町内にて住み込みで働いています。

少なくとも「現在定住中」の身です。

もうひとり、同年度に入隊した隊員は現在3年目を迎えており、元気に活動しています。

 

 

上記のように、定着・定住させていくことも難しい課題です。

お金があればいいという話でもありません。

そこには本人の本気度も必要ですし、周りもそれに応えていく必要があります。

どこか丸投げ感があるからこそ、ちぐはぐなまま終わってしまい、評価もままならないうちに制度自体が終わりを迎えます。それは本当に悲しいことだと思います。

 

 

新型コロナの影響からか、地方への移住に注目が集まっています。

リモート、というのもひとつの理由かもしれないですし、これからの産業を見直すということも出てきていると思います。

根本にはやはりコミュニケーションがあります。詰まるところ、そこに突き当たります。コミュニケーションをなくして生活することは、不可能だと思っています。ただ、どんどん減っていくことは実際にあります。それはひとつの危険信号だと受け止めるべきなのだと思います。

 

 

わたし自身、地方の山近くに住んでおり、普段会話をする人は限られています。

ただ、前身となった地域おこし協力隊時代にたくさんの方との接点を持つよう努力をしたおかげで、相手がわたしを覚えていてくれるということが今のところ続いており、ありがたいと感じています。

 

人はひとりで生きていけるとは思いますが、実際のところは難しいと感じています。

何でも都合のいいように捉えることはせず、どんなことであれ、少なくとも最低限、必須として納得できる範囲での努力は必要です。そうしない限り、消化できない思いがずっと残ります。

 

 

住む場所はどこであっても大事です。

その場所を確固たるものにするためにも、「双方」の努力は必要不可欠なのです。