つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

積丹いいとこ一度はおいで。

というわけで、前日の続きです。

 

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この日は、積丹ブルーに魅了されました。

 

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何度もシャッターを切りました。

まだまだですが、撮影していてとても気持ち良かったです。

 

 

そしてお昼は。

 

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神威岬近くの飲食店で。

うにあわび丼です。

潮の出汁が効いていて、とてもおいしかったです。

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若かりし頃は魚介がまったくダメでした。

今では美味しくいただくことが出来ています。

月日は、人を変えます。

 

 

価値観や思想、そして趣向など。

月日は不思議とそれらを変えていきます。

変わっていく理由は必ず存在します。そしてその責任は自身にあります。

外の要因は、エッセンス程度のものでしかありません。

 

今、世界も日本も疑心暗鬼のような、とても物々しい雰囲気に包まれていると思います。

その中で論戦だったり、論戦のようなものだったりしたものが、どんどん投げつけられています。それ自体は自由の保障の下に行われていますが、どこかで不安を感じて仕方ありません。その自由はやがて、その人を潰してしまうという懸念がありますし、そしてそれは伝播されると思っているからです。

 

 

恐らく自分は、そういった環境下で生活するのが難しいと思います。

現在いる場所でも、生活するのは簡単ではありません。

しかし自分の何かを救うかのように、見飽きない世界があります。

これに、毎日学びと救いを得ています。

誰かが示した大いなる存在などはこの場所にはなく、ただ自然があるのみ。

個人的には、ここが起点であり、ここに答えがあると思っています。

 

時折、自分の生活圏内から離れた場所に行くというのはいいことだと思います。

やがてまた、従来の往来が可能な世の中になるように、偶像の存在ではなく、目の前の自然にただただ願うばかりでした。