最近どうも「保護」が目立つように感じます。
特に「強者を主張する人の保護」。
社会問題として被害者よりも加害者のほうが保護される意味合いや度合いが強いと言われていますが、加害者ではないにしろ、強い発言をする人が「自分は保護されるべき存在だ」と言わんばかりの主張をされる場面に出くわします。
保護とはざっくり言って「護る」かと思いますが、強さを主張する人間ほど「護られる」ことに固執するのはどうしてだろう?と湯船に浸かりながら考えていました。
導き出したひとつの答えは
「責任の放棄(または無責任の行使)」
ではないだろうかという考えに行きつきました。
自分は好きに主張するけれども、反論等は認めない。もちろん危害を加えることも許されない。だってわたしは「護られるべき」人間なのだから。こうなるともう「武器」ですね。
こんな風に考えている人が多くなったのではという印象です。
そのため、保護という制度は本来の意味や効力を薄められてしまいました。
だからこそ拗れるのではないかと、ひとり思っています。