つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

「シャットアウト」は退路を断つことと同じ。

気に入らない発言はブロック。

 

最近はどうもこういう路線で自己を護る人が増えているようです。

 

わたしはTwitterしか見ていないのですが、時折流れてくるツイートと、その背景を読んでみると、Aさんのツイートに対してBさんからの反論があり、そこでAさんとBさんとの間で論争が交わされたあと、AさんがBさんをブロック(ツイートを表示することやコメントすることができなくなること)して、最後に自身の主張が正しいことを一方的に述べて「この件はこれで終わり」とするケースが増えているようです。

 

 

このブロック。当初は自分に対してコメント等の反応をしてきた人が、自分に対して何らかの危険性等を感じた際に使うものだと認識していたのですが、最近では積極的に「気にいらない」人を対象に行っているようです。中には、一度もやり取りがない人に対しても、先回りしてブロックをしている(されている)ケースもあるということです。

 

当人としては、それで自分が守られる(存在も正当性も)と考えていらっしゃるようなのですが、果たしてどうなのだろうと思いました。

 

個人的なイメージとしては、ブロックは「道を一本塞ぐ」ことだと思っています。

人の数だけ道はありますし、人によっては複数の道(アカウント)を持っていますから、どれだけブロックしようと「塞いでいる」実感はないものと思われます。

 

自分をまもる道は一本あればいいと思っていらっしゃるのかもしれないのですが、道を塞ぐということは、退路を自ら少なくしている、つまりは「断っている」ことに等しいのではと感じました。個人の判断ではありますが、自分が劣勢に立ちたくないという姿勢であると思われたくないかのように、強気なことを言う人ほどブロックを多用します。それらすべてが悪手であるわけではないのですが、どうにも自己保身のみで使用しているケースが散見されます。果たしてそれでよいのだろうかと素直に思います。

 

シャットアウトは、はじめた当初であればまだ他の手立てを考える余裕があります。

しかしこれを続けていけば、待ち受けているのは「孤立」です。

そうなった際に、放った言葉がどのように歩いていくのか、想像する必要があるのではと感じました。