選挙で感じたこと。②
昨日に続き選挙ネタです。
選挙の公示とともに、無投票で当落が決するケースが顕著になってきています。
選挙費用が軽減されるのからいいのではと歓迎しがちになるのですが、その背景を探ると、この世界でも後継者不足という問題が見え隠れしています。
選挙の世界で定員割れという言葉はそう聞かないですが、新聞報道では実際に定員割れを起こしている選挙があります。不足分はどうするのか確認していませんが、議員の世界でも、なり手が不足(といっていいのかどうか)してきていることは問題になってきています。
どうしてなんだろう、と素人ながらに考えてみました。
1.政治に興味がない
これが一番かなと思うのですが、ところがどっこい、わたしたちは日常において結構政治的な発言をしていると思うのです。除雪に関することだって政治だと言われたらどう思うでしょうか。そこのつながりをイメージできないから、政治はろくなもんじゃないと偏りで印象を決め、遠ざけてしまうのではないかと考えています。
2.報酬(対価)が見合ったものではない
地方では自分の仕事をしながら議員を務める方が多くいらっしゃいます。都会だと専任になるのでしょうか。それだけ抱える量も多いとなればそれは必然ですが、先立つものがなければ活動も生活もできません。議員や公務員に対する視線は冷たいままですが、それは周り廻って自分たちの首を絞めていくことに実はつながっていきます。報酬額の決定は難しいところではありますが、無知なわたしたちはもっと議員活動についてもっと積極的に知っていくべきだと考えます。
3.責任回避の傾向が強すぎる
文句はいっちょ前にいうけど決して自分ではやらない。こんな人が増えています。責任世代といったことばがありますが、過剰に責任を負うことを嫌がる人たちは年々多くなっている印象です。議員だけに限りませんが、何かしらの代表となり、顔となるわけですから、責任が伴ってきます。そこが純粋に嫌なのではと考えました。かといって無責任でいいから任せたいんだ、とはなりません。そうなるとそこの行政は確実に止まります。議員と行政は密接につながっています。議会が正常に運営されなければ、行政もうまくまわるとは言えないのです。
今後は選挙制度を含めて今の時代に見合ったものに修正していくことが必要なんではないかと個人レベルで考えていますが、選挙等に対するイメージが下降の一途を辿っているため、それを払しょくするのはかなり無理ゲーだと思います。どこかのだれかがオワコンだと発言していたような気がしましたが、そのような発言をすること自体問題なのです。だってその地区の行政を止めようとしてるんですから。なのではっきり言ってその発言は敵対発言であり、発言の重さ、責任を背負っていない確たる証拠になります。オワコンオワコンと発言していればいいってものではないですよ。そのうちその人ご自身がオワコンになるんですから。
幾つかの事情が重なって、選挙に対するイメージ等はかなり低下しています。
立候補者もかなり独特さを醸し出しているため、猶更投票に意味があるのか?と考えてしまう事態になってしまっております。だとしたら、痛い目を見なければわたしたちは自覚することはないのかと考えてしまします。話題性だけを集める候補に投票したとしても、公益につながる活動を一切しなければそれは即損害につながります。その結果、「税金が上がった」としても、誰も(特にその人に投票した人は)文句は言えないのです。そこまでが「民意」のような気がしてしまうのです。
今週末は大きな投開票が待っています。新たな展開、新たな波紋を、しっかりと見届けたいと思います。