選挙で感じたこと。③
なんでしょう。いつのまにやら
「政教分離」
の声が聞こえてこなくなりました。
実際はその運動(というか声)は残っていると思っているのですが、そうこう言っているうちに周りの状況が大きく変化してしまったように感じています。
この問題の対象として指定されていたのは公明党=創価学会だったと認識しています。しかしいち政党の支持団体に宗教団体が入っているという構図は、公明党以外の党にもあるというのが現実です。ではなぜ公明党だったのか?と考えてみますと、答えはひとつ。
「与党だから」
ではないでしょうか。または野党であっても政策を実現してきているという点になるでしょうか。
実際、自民ー公明の連立政権は長く続いています。自民党は昔から(と言っていいのか)の嫌われ者でしたが、最近は公明党がそれに追いつく感じです。その背景には公明党と支持母体である創価学会の、選挙における活動があるとされています。
そんな批判があがってはいたものの、政党側としては、大きな組織に投票の応援をお願い(表現として適当かどうかは別として)して、確約を得ることはその活動上必要不可欠だと思います。理由は簡単。組織票が入るからです。これだけで選挙を楽に戦えるかどうかが決まってきます。なので創価学会に限らず、他の宗教団体にも応援を依頼している政党は公明党以外にもしっかりとあるのです。
しかしながら、最近では事情が変わってきました。
宗教というか、スピリチュアルまたはオカルト色を出している政党が選挙に立候補を始めました。政治に宗教団体が関わってくることをあれほど嫌っていた世論が、そのような政党を生み出したのです。その責任は与党等に負わせたいのかもしれませんが、これは有権者側にも明確に責任があると思われます。アイドル議員の例もありますし。
結局のところ、政教分離を実現するのは不可能、だと思います。
そうなると組織票も手放さなければならないなど、選挙の戦略をたてることがかなり困難になってきます。そして悲しい事件も起きていますが、宗教団体関係者(この場合は政治に参画しようとしている者を指します)を排除するのも不可能でしょう。であるならば、今後の付き合い方をどうするか、ということに考えが変わります。これは長い時間をかけて導き出してもらうしかありません。
政治家も宗教団体もともに「平和」を目指しています。
何が違うのかと問われれば、平和を目指す際の土台が異なります。
その土台(基本)を基に、可能な範囲で平和を実現するための、ありとあらゆることをしていくという部分では、双方とも共通していると感じます。
明日は選挙後半戦の投開票の日です。
未来とは言い切れませんが、今後の展望が見える大事な1日となるでしょう。
願わくば、希望を抱かせる結果であれと思っています。