つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

「錬金術」は、出せば終わる。

北海道新聞10月3日文化面にある「魚眼図」を読みました。

 

そこで書かれていたのは「錬金術」。

今でこそアニメ等で定着(と言っていいのか)した文言ですが、昔では眉唾モノの存在でした。

 

記事にも書いてありますが、錬金術とは、

「鉄などの安価な金属から価値の高い金を作り出す技術である」

というものです。

 

これが叶えば大金持ち間違いなしの論理ですが、この世にはそのような方法は存在しないと言われています。しかしながら人はこの論理を用いて様々なビジネスに他者を巻き込んでいる経緯があります。

 

記事内容として納得がいくのは、仮に錬金術があったとしても、それを広めては無価値になるとのことです。人間は価値あるモノに対して、安くないお金を払い入手しますが、もし錬金術で価値あるものを量産できたとしたら、価値あるモノの価値が下がります。結果安価で入手可能となるのです。安く入るのは嬉しいですけどね。

 

記事は「学び」を主題として、この錬金術を引き合いに出しました。

 

学びは、ずっと続くものです。そこで学んで終わりということはあり得ません。

学べば新しい学びが発生し、連綿と続きます。何かを生み出せば終わりにはなりません。もし錬金術があるならば、学びこそが錬金術であると、筆者は結んでいます。

 

 

社会に出れば仕事が待っていますから、そこに錬金術を探してしまうことはあるんじゃないかと思いますが、「楽して稼ぐ」という方法は、まず存在しません。仮にそれが出来たとしても、一部の人間(ピラミッドの頂上のような)に限られます。誰かが進める錬金術は、その時点で錬金術ではないのです。

 

 

ネットワークビジネス、株や外貨など、誘惑と錬金術が合わさることで、禁断の果実を生み出している事情がありますが、その誘惑に負けず、進んでいけたらと思うのです。