つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

【活動報告】札幌市中央区”ふきのとう文庫”で行われたイベントで、モノづくりのお手伝いならびにディレクションをしてきました。

きょうは8月にご縁をいただいた「公益社団法人 森と緑の会」さんからお声掛けをいただき、札幌市中央区、JR札幌駅と桑園駅の合間にある「ふきのとう文庫」にてイベントのお手伝いをしてきました。

 

 

 

ふきのとう文庫HP

 

公益財団法人 ふきのとう文庫

 

 

 

不勉強で恥ずかしかったのですが、市内中心部、しかもサツエキから徒歩圏内(それでも10分は最低歩きます)に、こういった施設があることに驚きました。

 

事務員のかたに伺ったところ、まだできて2年ほどとのこと。その前は西区平和に施設があったそうなのですが、個人の敷地を解放し、このような立派な施設を設けたとのお話を聞くことができました。

 

館内は撮影禁止だったのでイベントの模様しか撮影していませんが、絵本だけではなく、ハリーポッターなどの本格小説なども取り揃えており、白石区役所の新庁舎に出来た絵本図書館とは、また違った趣があります。こちらには一般の図書のほか、布絵本や大活本(大きい活字の本)など、多種多様な図書を揃えていました。大人が見ても心躍るようなラインナップだと感じました。

 

 

 

また心くすぐられたのが「貸出カード」!!!

 

いまや図書館での貸し出しはバーコード管理ですが、ここでは敢えて貸出カードを使用しているとのこと。個人的にこれは好きで、小学生のころ学校の図書室で借りた本のカードを見ながら「ああ、あの子もこの本読んだんだぁ」と、アホなことを考えていたものです(笑)。

 

 

 

館内は靴を脱いで入るようになっており、施設は「図書館」のスペースと「多目的」スペースとに分かれております。今回のイベントは多目的スペースで行われました。

 

 

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激務前の静けさ。

 

 

 

 

 

 

有名な「ろまん亭」さんからのおくりものと題し、木のプールやスギックモックで遊んだり、モノづくりワークショップで楽しんだりと、いくつかのアクティビティを用意。

 

きょうは木育マイスターとしての活動であったため、モノづくりワークショップのお手伝い(というかディレクション)で参加させていただきました。

 

 

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 びっしりです(汗)

 

 

 

午前と午後でそれぞれ造るモノが分かれており、午前が木のおもちゃ。午後が3手に分かれてのモノづくり(マイ箸づくり・しおりづくり・万年暦づくり)となりました。

 

午前も午後も、たーくさんのご家族連れが来てくださいました。

 

 

保護者のかたに伺うと、やはり近所からの来訪が多いらしく、徒歩圏内で来訪できるのが何よりうれしいとのことでした。中央区には中央図書館という施設が中心部から少し離れたところにあり、市電で行くことができるのですが、小さなお子さんを連れていくにはやはり厳しいとのこと。だからすごくありがたいんですよ、という率直な声を聴くことができました。

 

 

 

また、意外、というか、新鮮な反応だったのが、

 

 

 

「木育」関連のイベントに興味があり、チェックできたものについては参加していますという嬉しい声をいただくことができました。そのうえで、どこかで開催情報などを確認することは出来ないでしょうか?という問い合わせも受けました(周りの保護者の方もモノをつくりながら聞き耳を立てててくださっていたのです)。

 

 

という訳で、今後のためにもここで「木育」のイベントを知るためにはどうすればいいのか、ということを書いていきます。

 

 

 

きょう質問してくださった保護者のかたにもお伝えしたのですが、北海道から出しているメールマガジンに登録していただくことをおすすめしています。

というのも、木育ということばは北海道(行政)が創った造語であり、その活動の推進役にもなっています。各種団体や企業さまが主催されるイベントももちろんあるのですが、それらをチェックすることも困難であるため、そういった情報を集約し、告知する媒体がこのメルマガになるわけです。

 

余談ですが北海道が出すメルマガには、移住に関する内容のものもあったりと、情報収集にうってつけのものもあります。効率的に利用していくことで、北海道内、または各市町村での各種活動に関する幅が広がっていくと思います。

 

 

 

では、メルマガの登録方法をご案内。

 

  1. 北海道庁のホームページを開いてください

www.pref.hokkaido.lg.jp

 

 2.画面を下にスクロールしていくと、縦に3列並んでいる項目の一番右側、北海道の広報というバナーのしたに「メールマガジン」という項目がありますので、そこをクリック。

 

 3.別画面が立ち上がります(北海道のメールマガジン)。

 

 4.新規登録の場合は、メールアドレスを2か所入力してください。

 

 5.新規登録というところをクリック。

 

 6.画面が分かり、メルマガの購読設定画面に移ります。白い四角の部分にチェックをつけることで、購読の設定となります。木育についてはわくわく! 木育(もくいく)通信になります。

 

 7.画面いちばん下に登録というボタンがありますので、クリックして登録完了となります。

 

 

その後週1回のペースでメルマガが届きますので、参考になさってください。  

以上、メールマガジンの登録方法でした。

 

 

 

 

話をイベントに戻しますと。

 

午前中からすごい数の来訪者がいらっしゃり、人口密度が凄く濃い時間帯が多かったように思います。モノづくりの参加も随時であったため、時間いっぱい使って行うという流れになりました。

 

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万年暦の作成ブース。現場では常に何かが起きています(汗)

 

 

 

 

午後も同じような流れとなってしまったのですが、閉館数分前に来てくれたお子さんには満足な対応をしてあげることが出来なくて申し訳ない気持ちになりました。閉館5分前、完全に意表を突かれてしまった感じです。これはひとり反省会でした。

 

 

 

午前中は全員が木のおもちゃを担当。

合板を○状に切り、その中身を八角形などに切り抜いたものを木工ボンドで貼りあわせて重ね、中に鈴とビー玉を1個ずつ入れ、フタをします。ふたの部分には穴が開いていたりするものもあったので、自由にお絵かきしてもらいながら、自分仕様に仕上げてもらいました。使用した道具は木工ボンドと紙やすり。紙やすりはささくれ立ったところとかを滑らかにするために使用しました。あとはお絵かき用のマーカーを使用しています。

 

 

午後は万年暦を担当。

 

これもお恥ずかしい話、見本が見本でない状態であったため、最初に訪れたご家族には大変ご迷惑をお掛けしました。

 

というのも、万年暦には6つのダイス状のブロックを使用し、そこに数字のシールを貼り付けていくのですが、どのようにして貼っていけばいいのかがすぐには出てこなかったのです。

 

 

それもでも「どーにかしにゃならん」と思い、担当の方に確認。

臨機応変(かどうかはわからないけど)に対応して、何とか作品の完成までもっていってもらうことができました。

 

ここでおさらいすると、今回の万年暦は6つのダイス状のブロックを使用しており、それを別パーツで作った土台に載せて使用します。(別パーツは木工ボンドで接着してもらいました)。

 

 

この6つのダイスにそれぞれ、必要な数字や字を加えていきます(シール、または手書きで)

 

1つめ・・・月のみを書く

2つめ・・・日のみを書く

3つめと4つめ・・・各面に数字の0.1.2.3.4.5をそれぞれ書く

5つめと6つめ・・・各面に数字の0.1.2.6.7.8.をそれぞれ書く

※数字の9は、数字の6をひっくり返して代用します

 

 

これに、時間がかかってしまいました(汗)

 

やはり、事前の入念な準備は大切ですね。身に染みました。

 

 

 

 

イベントに参加してくださったかたの数わからないのですが、とても多くのかたがきてくださったように感じます。これには感謝しかありません。モノづくりを教えるというのもひとつの役割なのですが、何よりお子さんと、保護者のかたの生の声や、作業に向かう姿勢というか、温度を肌で感じ取ることが出来るからです。これに勝る経験はありません。だから現場は凄く大事な学びの場だと感じています。

 

 

イベントが終わったときにはフラフラ状態だったので、かなりな充実感と疲労感がありました。ただ、こどもとの接し方に正解はないので、反省すべき点もありました。これは次回に活かしていきたいと強く感じました。

 

 

 

 

 

ふきのとう文庫でのイベントは30日まで行われているようです。

木のおもちゃをはじめ、木のプール等も30日まであるようなので、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

今朝は少し雪が残っていましたが、帰るころには雨が降っていました。

多少暖かく感じる気温ではあったものの、冷たさを感じる季節になってきました。

 

冬の活動の場は夏に比べて制限されますが、それもひとつの楽しみとして、学びに変えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

きょうはご縁をたくさんいただきました。

ほんとうにありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

十年交差点 新潮文庫 ※アンソロジー作品

成功と幸せを手に入れる瞑想力 宮本辰彦 アスペクト

センス・オブ・ワンダー レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 新潮社

 

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糸は1本じゃない。無数につながっているんだ。

きょうはイベントを二軒はしご。

 

 

 

 

 

一軒目は久々に参加した「森のCasa café」

ここ3か月ほど予定がかぶっておりましたので、すっかり寒くなってしまってからの参加となりました。

久々に行ったので、久々の顔ぶれに逢い、久々に珈琲を手淹れで提供し、おいしいご飯に満足した時間を過ごしました。

 

話にも花が咲き、森のCasaに新しいオラクルカードが入っていたので試しに引いてみたりなど、話題に事欠きませんでした。久々に居心地のいい空間に来ることが出来てよかったなぁと感じた、ほっこりな時間でした。

 

 

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 点心!

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手料理に感謝。

 

 

 

 

 

 

二軒目は、日頃お世話になっている(またはお世話をしている 笑)コクーンネストで行われた、インドの楽器シタールのライヴに参加してきました。

 

 

シタール奏者は「加藤ていじゅ」さん。

 

日本でも屈指のシタール奏者ということです。

 

HP

SITAR PLAYER 加藤貞寿

 

 

 

 

 

実はシタールという楽器の存在だけは知っていて、今回図らずも生演奏を聴く機会を得ることができました。ぼくはワールドミュージックに明るいわけではないのですが、インドにはシタール奏者と言えばこの人といった存在がおり、そのひとりが「ラヴィ・シャンカール」なのですが、実はこの人を師に仰いだなかに、世界的にも有名なジャズプレイヤー、テナーサックス奏者の「ジョン・コルトレーン」がいまして、ぼくの音楽趣味のなかに「ジャズ」が入っていることから、その1本の糸のようなつながりが出来ていたのです。

 

 

 

で、実際演奏を聴いてみますと、とても綺麗な音色で驚きの連続。

弦も、上下2段に分かれて張られているので、それだけで複雑な楽器だなぁと驚嘆。

宮廷音楽のように聴こえることもあれば、吟遊詩人がその英雄譚を語る口調に併せて奏でられるように聴こえることもあり、変幻自在に移り変わるメロディに、コルトレーンは何を感じていたのだろうと考えてしまうほどでした。

 

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演奏前のひとコマ。

 

 

 

 

シタールという楽器はもともと宗教的要素を含んだ楽器らしいのですが、正確な由来は不明とのこと。およそ700年前からあるとされる楽器は、インドを代表するものに相違はないようです。そう考えると、とても謎めいており、そしてとても奥が深い楽器ともいえるようです。

 

その奥深さが、その奥深さを表現する奏者がいたことが、まったく違うジャンルのプレイヤーを魅了したのだなと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このシタールのとても綺麗で複雑で、幻想的な音色を聴いていて思ったことが

 

 

「運命の糸は1本ではない」

 

 

ということでした。

 

 

 

 

良く使われる運命の糸、というのは、どれか特定の1本を指して言っていることのように思っていましたし、ぼくもそうだと感じていました。しかし今日のこの演奏を聴いて思ったのが、運命の糸というのは「1本」ではなく「無数」にあるのだということ。ひととひとのつながりの数だけ、運命の糸はあるのではないかということです。

 

 

 

ぼくは趣味でジャズを聴いていますが、好きで聴いているのがコルトレーンというのも偶然です。だって、他にも有名な人はいるのです。ビル・エヴァンスだっているし、マイルス・デイヴィスだっている。ハービー・ハンコックは持っているけど、それよりもなぜかコルトレーンだった。発端は忘れたけれども、何かのアルバムを聴いて、マイルスやハービー、ショーターなどジャズ・ジャイアンツの曲を聴き歩いて、コルトレーンに辿りついたような記憶があります。そしてそこからまた、他のジャンルに向けての裾野が広がっていく。当時はまったくそのようなことは考えていませんでしたし、予想もしていませんでした。その展開というか、細い細いつながりはまさしく「1本の糸」に感じたのです。

 

 

 

ひょんな出逢いがきっかけで、次から次へと・・・という出来事は、誰にでも起こり得ることだと思います。その無数の糸を手繰り寄せるタイミングや、そのときの状況によって、知らずにわたしたちが選んでしまっているということになるのではないかと思うのです。損得勘定や感情的なこと、印象で決めつけてしまうなどでそれこそ「星の数ほどある」糸を知らずに「選別」してしまうことは、知らずに「枠」を決めてしまうことと同じです。枠を決めてしまうということは「範囲」を決めることであり、それはひょっとしたら、千載一遇の機会を逃してしまうことにつながるかもしれません。あくまで個人的見解ですが、仮にそんな方程式があったとすると、いかに人間は「魔法」が好きで、じぶんだけの「特別」を望んでいるのかということがよくわかります。そしてそれが、じぶんが何をするわけでもなく、無条件でただ「もたらされるもの」と、ついつい願ってしまうことがほとんどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

運命の糸があったとしても。

運命の糸に限らず、無数にその先を拡げる糸があったとしても。

 

その糸を活かすのは、その人のその時の状況によって大きく変わります。

糸を活かすのも無駄にするも、その人次第。

 

 

 

 

 

そう考えると、日々の生活を淡々と、弛まず続けていくことの大切さを感じずにはいられません。

 

 

 

望むべくして起こる展開は、魔法によってもたらされるのではなく、相応の助走があってこそ実現されるものだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

時間 吉田健一 青土社

「いいこと」ばかりが起こりだす スピリチュアル・ゾーン それは、すべてが自動的に起こる領域 佳川奈未 青春出版社

 

 

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感じ取ることも大切だけど考えることも大切で双方のバランスが保たれていないといつの間にか異なった価値観でものごとを見てしまうから気をつけなきゃと感じた。

先日、朝から晩まで寝てしまった日があったので、その挽回をするかのごとく予定を立てて行動を開始しました。

 

 

そのことを書いた記事がコチラ

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

 

その間に勤労感謝の日があり、近所の北海道神宮では新嘗祭が執り行われていました。

生憎その日は、何もできませんでしたが。

 

 

 

勤労感謝の日の翌日は一転、動くことに決めました。

 でも、その日は気温が氷点下という寒い1日になりましたorz。

 

 

もともと予定してあった買い物を済ませ(しかも3軒はしご 笑)。

自宅に戻って客間の整理整頓(ガラクタ整理含む)。

掃除機をかけ、洗い物をやって、手作り酵素のガラ(酵素を濾したあとに残った植物)をゴミネットに包んだり(入浴剤として使用するため)。

 

午前中で「めんどう」と思われること(タスク)はすべて処理することができました。

 

買い物も掃除も、やる前のイメージとしては「ちょっと面倒」に感じてしまうことがあり、それはまだ習慣づけができていないからなのですが、やれるときにやっておきたいという考えでいました(ひょっとすると、これも考え方のシャッフルが必要かもしれません)。

 

 

 

 

 

午後は北海道神宮へ参拝。

その後、先日のイベントで利用させていただいた白鹿食堂で食事(薬膳粥を食す)。

 

1軒届け物をした後は本州の友人宛に手紙を書く時間を創りました。

 

 

 

 

 

 

手紙をかくことは大学時代に定着し、以来何かの折には年賀状だけでなく、手紙を書くようにしています。

 

 

手紙を書いた先は東京の古い友人と、青森にいる大学の同級生。

珈琲を飲みながら、どんなことを書こうかと考える時間が新鮮に感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは神道のことはよくわからないのですが、新嘗祭はけっこう重要な行事だと聞いたことがあります。

 

で、ちょっと調べてみますと

天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって,神恩を感謝された後,陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。」(宮内庁HPより)

という、厳かな儀式のことだとわかりました。

 

この説明を読むと、勤労感謝との意味合いがとても深くなります。

なんだろう、人に感謝ももちろんなのですが、草木や大地、風や水にも感謝を伝えたい気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

ぼくは北海道神宮の近所に住んでいるものの、熱心に参拝するほどではなく、思い立ったら(汗)という流れで訪れています。先週も一度訪れていますが、その時は外国人観光客がわんさかいて、そしてとても賑やかであったため、参拝中は感謝もろくに伝えることができないほど集中が出来ませんでした。

 

しかし、今週、勤労感謝の日を迎えたあとに参拝に訪れたとき、ちょっと不思議に思ったことがあります。

 

外国人観光客は、相変わらずいます。記念写真を撮ったり、大声で喋ったりと、本当に相変わらずでした。

 

でも、なぜかそこに「静けさ」を感じました。

じぶんの周りの喧騒が、嘘のように遠ざかっていく感覚を覚えました。

 

二礼二拍手一礼のときは、周りのざわざわなんかが一切耳に入らなくて。

人がいるのはわかってるんだけど、なんでこんなに静かなんだろうと思いながら参拝していました。

 

 

 

 

 

 

 

この空気感をどのように形容すればいいかわかりませんが、単純な「静けさ」とはまたちょっと違う感じがして、とても新鮮で、とても神聖に感じました。

 

にわか参拝者なぼくとしては、ひょっとしたらこの日感じた感覚というのが、本来のこの聖域の空気なのであり、畏敬の念を抱くべき空気なのではと感じました。

 

 

忘れていた感覚を想い出させてくれる。

とても有難く、とても畏れ多い貴重な経験でした。

 

 

そして、自然と気持ちが引き締まりました。

その気持ちを、午後の西日がちょうど本殿のうえあたりさしかかっており、あたかも八百万の神さまが万感の想いを込めて照らしてくれていたかのようでした。

 

 

 

 

 

ちなみに今朝引いたカードが

 

 

No.9チャネリングでした。

 

 

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表現したことすべてが伝わるわけではありませんが、ぼく自身の気持ちや想いが少しでもつたわり、そして届くよう、驕らずに過ごそうと感じました。

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

トヨタ最強の時間術 桑原晃弥 PHP

目で見るものと心で見るもの 谷川俊太郎三田誠広池田晶子ほか 草思社

 

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基本のゆくえ。~ダンマの思い出⑥~

瞑想合宿5日目。

 

 

 

 

その日は、これまでの4日間とは少し異なっていました。

 

 

 

 

 

この日は「ヴィパッサナーの日」と呼ばれ、通常のタイムスケジュールとは少し異なっていました。

 

前の日の夜、講話の後だったと思いますが、翌日の予定について事前に説明があったので、内心「何があるのだろう」と思っていました。

 

このときは痛みもまだ強く残っており、この特別な日に対する考えというのはまったくといっていいほど及ばず、ああ、明日は時間割が変わるのか、くらいにしか考えていませんでした。考える余裕すらなかったのですから。1日1日、痛みを堪えながら瞑想をするので精一杯でした。

 

 

 

 

 

 

んで、翌日。

 

ヴィパッサナーの日を迎えました。

 

想い出しながら書いていますが、この日の午前中は変わりなく過ごし、瞑想を行っていたと思います。

 

いつもと違ったのが、昼食前後のスケジュール。

 

この日だけは、お昼の時間帯の構成がいつもと異なっていました。

 

 

 

午後1番の瞑想の時間に、講話というか説明が入るようでした。

何の説明だろう?と、考えても特に何も思い浮かばず(笑)

前述しましたが、じぶんのこと(瞑想や生活上必要なこと)だけで精いっぱいだったので、そんなことを考えることすら出来ないでいました。

 

 

 

この日も昼までに必要なことを済ませ、ホールに集合。

そこでアシスタント指導者から聞かされた話は、なんと表現すればいいでしょうか。

 

衝撃?新鮮?天地をひっくり返すようなこと?

 

ちょっと大げさかもしれませんが、話を聞いたあとのぼくはまさしく驚天動地の心地でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな話があったかというと、

 

 

「瞑想の方法を変える」

 

 

ということでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これに対し、ぼくは

 

 

 

 

 

 

 

「ぇへ?」

 

 

 

 

 

 

 

でした(汗)

 

 

 

 

 

 

これまでの瞑想は、実はごく初歩的なものだとわかりました。

 

 

 

 

 

では、どのような方法で瞑想をしていたのかと言いますと・・・

 

座る姿勢については基本自由なのですが、あまりくつろいだ姿勢や、座るというものからかけ離れた姿勢はNGとされています。そういったルールの中で座り、瞑想を行うのですが、瞑想中は目を閉じます。これはずっと変わりません。そして呼吸。これはずっと鼻呼吸になります。

 

 

で、ここからが段階を経て変わっていきます。

 

 

合宿を始めてから5日目午前までは、鼻で呼吸しますが、鼻から吐いた息が上唇の、唇と鼻とのあいだの部分に当たります。その空気が当たったときの感覚をひたすら感じるというものでした。

 

このように書いてしまうと「すごく単純」に思えるのですが、これを突き詰めていくと、じぶんの呼吸や、肌に吐いた息が当たった時の感覚というのがよくわかってきます。

 

それは、その部分に神経を集中させているので、細かな変化も感じ取ることが段々とできるようになっていきます。

 

 

 

たとえば、鼻呼吸に関して言えば、鼻の穴はふたつ(当たり前 笑)あるのですが、息を吸ってみると、空気を良く吸う穴と、そんなに吸っていない穴があったりすることに気がつきます。それはよく「鼻が詰まっている」という状況に近いですが、からだは左右対称に創られているとは限らないので、両方の鼻の穴の広さがまったく同じという訳ではないということにここで初めて気がつくケースがあります。

 

そして息を吐く時も同様で、肌に当たるときの強さに差が出たりします。そして息のあたたかさ、ときにはむず痒さなど、からだの表面で感じるものごとに敏感に反応というか、認知することにつながります。

 

 

 

こういった動作を数日間続けてきたわけなのですが、当初はこの動作を合宿終了までずっと続けていくものと思っていました。が、どうやら段階があったようで、次の段階に進むということは、その感じ方を捉えるための方法を少しずつ変えていくことだとわかりました。実際説明があった際には、この日を境にどんどん「空気が肌に触れる場所」を1点ではなく他の場所に移し、それをまた感じ取っていくという方法に変わっていきました。

 

 

 

 

 

 

この時点でのぼくは

 

 

 

 

 

「そうか。次は場所が変わるんだな」

 

 

 

 

 

 

程度にしか思っていませんでしたが、実はこれはまだまだ序の口であることが、日を追うごとに痛感することになるのでした。

 

それは、瞑想がイメージする「静」とは正反対の「動」の修行に他なりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

本気になればすべてが変わる 生きる技術をみがく70のヒント 松岡修造 文春文庫

神ながら意識 矢加部幸彦 ナチュラルスピリット

大地がよろこぶ「ありがとう」の奇跡 村上貴仁 サンマーク出版

 

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「死んだって構わない」と決めて飛び込んだことを想い出したき、苦しみの海にいても溺れ沈むことは決してないと確信した。~ダンマの思い出⑤~

ヴィパッサナー瞑想の合宿期間は、10泊11日。

 

 

 

これが基本で、一度参加すればその後短期間の合宿や、1dayの研修会などに参加することができます。

 

現在、ヴィパッサナー瞑想の合宿を行っている地域が京都府と千葉県のみ。他の地域では、既に1度合宿を終えているメンバーが自主的に瞑想会を開いてはその後のシェアをしています。

 

 

 

瞑想に参加する人は「新しい生徒」と「古い生徒」に分けられますが、古い生徒は1度でも合宿に参加し、終えた人を指します。合宿は定期的に行われているようですが、合宿に参加する(新しい生徒になる)ためにはキャンセル待ちの状況で申し込むことも必要で、時期によっては根気よく待つことも必要です。

 

そしてめでたく古い生徒になっても、合宿に参加していくことができます。

もちろん、そのときの参加状況にもよりけりですが、生徒として参加する方法と、奉仕者として参加する方法に分かれてきます。

 

奉仕者とは言い換えればボランティアのようなもので、合宿に参加している人たちやアシスタント指導者への食事の提供や、施設内の清掃等の維持管理、そして瞑想合宿をつつがなく進行していくことがメインになります。では奉仕者は瞑想が出来ないのか?という疑問が生まれるのですが、どうやらまったく出来ないわけではないようです。極力時間を創ってホールでの瞑想に参加している姿を見ました。しかし、奉仕者であるため、トータルの瞑想時間はやはり少ないと思います。でも、奉仕者ならではの学びがあると仰っていましたので、古い生徒として参加する、そして奉仕者としても合宿に参加していくことが、瞑想を深める方途のひとつだそうです。

 

 

 

 

 

 

瞑想合宿の前半5日間は、苦行であり、荒行であり。生きた心地がしませんでした。

合宿に入る前の決意や覚悟をかんたんに打ち砕そうとする、からだやこころ全体に打ち響く、治まることのない痛み、そして「諦めろ」という、どこからともなく聴こえ続ける声。声を上げることもできない。ただひたすら瞑想するだけ。声を聴いてはくれるけれども、治療は施されない。我慢して続けるか、合宿を諦めてその場を離れるしか道はありませんでした。

 

 

 

あの時期を思い返すと、ほんとうにネガティブなことしか浮かばず、瞑想も1時間座ったと思っていたのがたったの10分だったりと、苦痛だったり、思うようにいかなかったり、集中できなかったりと、何しにここにきているんだろうという自問自答のときであったような気がします。前半でまともに瞑想に打ち込めたのは、ひょっとしたら初日くらいかもしれません。それくらい、2日目以降の瞑想はその表情ががらっと変わり、まさしく「牙を剝いた」状態でした。

 

 

 

「何かひとつのことに集中する」

 

 

 

聞こえはいいですが、この環境を創ってしまうと、意外と集中が出来なくなることがあります。

 

 

つまりは「集中できないから他のことで気を紛らす」時間に充てることが多くなってしまいます。

 

 

よく聴く話では、作家さんの筆が全然進まず、缶詰にされて締め切り寸前まで「書く」ことだけに取り組めるようにするとか。

 

部活等の合宿も、1日の大半を練習等に費やしますね。

 

 

 

調子が良いうちはそのような環境下でもなんとも思わないのですが、一度調子を崩してしまうと、途端にその環境下にいることが窮屈に、もしくはつまらなく感じてしまいます。そうなってしまうと集中力も散漫になり、本来やるべきことに力が入らなくなります。ここからの挽回というか、復帰はひょっとしたら難しいかもしれません。面談であったり、何か刺激になるような出来事を織り交ぜて、そのひと自身が改めて「向き合う」ように促していくしかないと感じています。

 

 

 

合宿前半でリタイアしたひとたちがまだ合宿に参加していた時の表情を想い浮かべてみますと、かなりきつそうな表情をしていました。合宿時の気温や湿度もその背景にありますが、大部分は自身のメンタルがやる気を支えています。リアイアしてしまった人の理由は、そんなかんたんな理由で、と思う人がいるかもしれませんが、経験してみないとわからない「辛さ」や「苦しさ」があったからこそ、ネガティブな気持ちが増幅してしまったといえます。命の危険を感じたわけではないと思うのですが、誰かにいつでもその辛さを聴いてもらえるわけではない状況下で、こと自分と向き合っていく時間が大半を占める中では、どのような感情であってもすぐさま膨れ上がり、ときには圧迫してしまうのはしかたのないことだと感じています。

 

 

 

 

いまこうして振り返りながら書いていましたら、当時の覚悟を決めた言葉が浮かんできました。

 

 

 

 

笑われてもしかたないのですが、そのときは

 

「死んだって構わない」

 

という気持ちで臨んでいました。

 

 

 

 

誤解しないでいただきたいのは、瞑想合宿へは「自らを死に追いやるため」ではありません。

 

でも、結果「死んだ」としても、後悔はしないという強い気持ちで臨んでいたことは確かです。

 

 

この瞑想で何か特別な力を得ることが出来る訳でもありません。

この合宿を終えることで、何か免許のようなものが授与されるわけでもありません。

極論を言えば、何も変わらない、何もわからないまま終わる可能性もあったわけです。

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

 

 

 

 

ぼくは当時、ヴィパッサナー瞑想に賭ける、という想いがありました。

それは特別な力を望んでいた訳ではありません。

奇跡を望んでいた訳でもありません。

 

 

 

 

 

「変わらなければならない」

 

 

 

 

それが自分を動かした一番の理由です。

 

変わらなければ、失うものがあるだろう。

たとえ変わったとしても、失うことは止められないかもしれないけれど、何もしないよりは必死で何かをやって、それでダメだったと感じたほうが後悔はしないだろうと思ったのです。

 

 

 

 

キャプテン翼」という漫画の中で、主人公大空翼くんの親友である岬太郎くんのセリフに

 

 

「何もやらないで後悔するよりは、何かをやって後悔する」

 

 

といった決意ことばがありました(記憶を頼りに書いているので、この通りではないかもしれません)。

 

 

 

 

 

いまの自分にその力量や資格がなくても。

資格や力量がなくて諦めるよりも。

どうなるかわからないけれども。

 

何かをやる。

前に進む。

その結果は、わかりません。

 

それでも。

 

このままで終わるわけにはいかない。

 

 

 

そういった気持ちから、死ぬつもりでこの合宿に飛び込んだことを想いだしました。

 

痛みは日々続き、1時間の瞑想でも頻繁にその姿勢を変えている始末でしたが、いちど傾きかけたぼくのメンタルは、かろうじて踏みとどまり、痛みの中に身と心を置き、ひたすらそれを感じて味わいながら、文字通り必死に瞑想しました。

 

 

 

 

この痛みがいつまで続くだろうか。

 

 

 

 

そんな想いはずっと頭の中を支配していましたが、そんなの考えても仕方ないと開き直り、「ただ今」に集中して過ごすようになりました。

 

 

「いつか」ではなく「いま」。

 

 

いつまでも「いつか」と口にしていたら、仮にこの時点でリアイアしたとしても、またいつかは再挑戦すると言って、結局何もしないで終わってしまうだろうという危機感があります。

 

 

 

であるなら「いま」を大事にしたい。

 

片道切符でここまで来た。

もう後には退けないという強い気持ちで来た。

 

笑われたっていい。カッコ悪くたっていい。

そんな人には、わからないものがあるだけだから。

 

 

 

 

 

もう、向き合う相手は自分だけでした。

 

それはひとつの、境地のようなものであったかもしれません。

 

 

 

 

そういった状況に自分を持っていくことができてからさほど時間が経過しないうちに、ひとつの転機が訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは「ヴィパッサナーの日」でした。

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

修業とは何の為にあるのか 大峯回峰行者の行の軌跡 柳澤眞悟 よろず医療会ラダック基金

林住期(りんじゅうき) 五木寛之 幻冬舎 

 

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朝から晩まで寝てしもうた。

きょうはいちにちの大半を眠りに費やしてしまいました。

 

 

 

朝は普段起きない時間に目が覚め、用を足してまた眠りに。

その後目が覚めてテレビをつけましたら、地震の報道でもちきりになっていました。

 

津波警報が出されたようですが、壊滅的な被害にはならなかったようです。

先ずは一安心ですが、その後の余波に注意していきたいところです。

北海道も、地震が多い地域なので、しばらくは気をつけて行動したいと思います。

 

 

 

 

 

きょうは外出しようと思っていたのですが、結局夜まで寝てしまいました。

 

日中だけで、8時間みっちり睡眠。

起きたら顔がむくんでしまってます。

 

 

 

「寝ても寝ても寝たりない」という状況は、誰しもが経験したことだと思いますが、これにはどうも理由があるようです。単純に疲れが蓄積しているということもありますが、大いなる動きの前の準備期間でもあるようです。

 

 

 

明日の北海道は大きく冷え込むようで、積雪も見られるとのこと。

明日は勤労感謝の日になりますが、いろいろ想いを馳せながら過ごしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

あなたにありがとう。 暮らしのなかの工夫と発見ノート③ 松浦弥太郎 PHP

人倫の道 西晋一郎語録 寺田一清編 致知出版社

繰り返し行うことで得ることの出来る実感。それはどんなことにも、いえること。

先週の1週間は、普段手を伸ばすことが少ない箇所の掃除を行っていました。

これはもう大掃除の前段階のようなものです。前倒しでタスクを処理していくことで、年末の忙しさに流されてしまっても問題がなくなります(笑)

 

家人がキッチン・洗面所・風呂場・トイレや冷蔵庫等のガラクタ整理を短期間で実施したのをきっかけに、ぼくもリビングの配線環境や、保管してある書類の整理を行いました。

 

これだけやるのはさぞかしたいへん・・・というのは、実は「やる前」に結構思い、考えてしまうこと。実際にやってみて感じるものとは違うことがしばしばあります。もちろん、長いこと整理をしていない場所であれば相応の時間を要することになりますが、整理が決して終わらないわけではありません。最初は引き出し1段でもOK!それを積み重ねていけば、数日間でその箇所のガラクタ整理が終わることになります。

 

 

f:id:maruyamabase:20161121221208j:plain

ガラクタ整理をすることで、出てきたガラクタ。

掃除にもなるし、その場所がすっきりもします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやって大掃除の前倒しをしていくと、

 

掃除はガラクタ整理に通じると感じました。

 

 

 

 

 

おさらいのような感じになってしまうのですが、掃除をするということは、その場を「きれい」にするということ。きれいにするということは、その場にある「ゴミ」を集め、ゴミ袋に入れて処理をするということになります。

 

ここまでは普段誰もが行っている掃除だと思うのですが、掃除はまたの名を「清掃」と言います。「掃く」という文字は共通ですが、清掃には「清い」という文字が使われています。これはその場を清浄とする意味が込められているのですが、そうするためには単純に「ゴミを集めてきれいにする」だけでは足りないと感じています。

 

 

 

 

 

 

小さい頃、親から「きれいにしなさい」と言われると、散らかっていたものを収納場所にしまうことをしていました。

 

 

それが「きれいにすること」だと、ずっと考えてきました。

 

 

 

散らかっているものをしまい、ゴミを集めてきれいにする。

これまでは、これが「掃除」や「整理整頓」の主流でした。

 

 

 

それが、断捨離と言った片づけがメジャーになったことで、価値観が大きく変わることになります。

 

 

 

 

既に多くのかたが言っていらっしゃると思うのですが(当のわたくしは、こんまりさんの本とカレンキングストン、そして師匠のきよさんの本くらいしか読んでいません)、目指すべき掃除、目指すべき整理整頓は、不要なものは捨て、必要なものを収納する、というのになります。

 

これまでの「しまう」は、必要なものと不必要なものが混在したまま収納していたと思います。それではただ単にスペースに押しやっただけとなります。加えて、混在しているなかから必要なものを探すのに、少なからず時間がかかります。そのスペースにものがパンパンに入っていたなら、尚更です。

 

 

 

本棚によく言われることですが、スペースいっぱいに本を並べたいという声を良く聴きます。ぼくもかつてはそういった衝動に駆られましたし、ピーク時には、前列後列の2列配置で本棚にぎっしりと本や雑誌等を収納していました。

 

それが、本棚を有効に使うことだと思っていましたし、何ら疑いももっていませんでした。

 

 

 

 

それが。

 

 

 

ガラクタ整理に出逢った後に整理を行うと

 

 

 

「スペースがあったっていい」

 

 

「スペースがあるから、安心して次の本を収納できる」

 

に変わりました。

 

 

 

 

本棚には定期的に取る本や、ずっと収納したままの本など、さまざま入っています。

 

パレートの法則(80:20の法則)に沿って考えると仮に本棚に入っていた本の数が100冊であったなら、定期的に手に取り読んでいる本はそのうちの「20冊」に過ぎないのです。

 

 

その法則を知り、後々考えてみると、確かに、収納している時間のほうが長い本がたくさんありましたし、それは本棚だけに言えることではありませんでした。

 

 

 

 

従来の「しまう」であれば、本を本棚に収納するだけ。

これが清掃や整理整頓といった、ぼくが進めている「ガラクタ整理」だと、収納する本と処分する本を分けてしまい、必要とする本のみを本棚に収納する。

 

 

そうすることで、ガラクタ(ここではゴミと同義にします)は減る、スペースは出来る、そしてキレイに、すっきりとする。

 

 

 

ガラクタ整理や断捨離ということばを使わずとも、清掃や整理整頓を定期的に行っていけば、自然に部屋や家全体は綺麗な、すっきりとした、住みやすい環境に変わります。加えて言えばゴミも減りますので、衛生面・環境面からも良い効果を得ることができます。

 

 

 

ものが少なければ「管理」ができるようになりますし、管理ができるようになれば少しでも長いあいだ「維持」ができます。これまではものを増やすことで維持を図ってきましたが、増やさなくても管理や維持は出来るということを過去の経験から学びました。生活を行っている以上、定期的に不要なもの(ガラクタ)は出てきますが、不要なものが「ひとつでも」減れば、じぶんの周りには「必要なモノ」しかなくなる比率が高くなります。それがこんまりさんが言っていた「ときめき」ではないかと、ぼくは感じています。

 

 

 

 

昨日今日の話ですが、お礼状を書きたくて絵葉書を買おうと郵便局へ行ったのですが、いまは年賀状が販売のメインらしく、絵葉書は取り扱っていないということでした。

 

コンビニに行っても、扱いは官製はがきか年賀状のみ。

 

しょうがないから、普通のはがきでお礼状を書こうか・・・と考えていながら、引き出しをごそごそ(←この時点で整理滞ってます 汗)していたら、なんと絵葉書が出てきました(笑)

 

 

 

その様子を、白い目で家人が見ていたのは言うまでもありません・・・

 

 

 

 

そんないきさつがあったので、これまた久々に「先延ばしリスト」を書いてみました。

これは先延ばしにしていること、やろうとしていることをごっちゃまぜに書いているリストなのですが、考えながら書いてみると、結構な数になりました。それは反面、じぶんはこれだけのことを「やりたいのだ」ということの再確認にもなりました。

 

 

 

ぼくは個人事業主を名乗ってから1年が経過しましたが、まだまだ改善すべきことはあり、じぶんの仕事の認知度を上げるためにはとか、スキルの練度を上げるにはとか、日々いろいろ考えながらやっています。その中には、するりとして離れていってしまった大切なものがあり、それを今度こそは離したくない、手にしたいという想いでやっていることもあります。それは正直苦しくて、頭がハゲそうなくらいに追い詰めることもありますが、それが「最短」であり「最高」の道筋ならば、それがたとえ「最低」な環境であったとしても、方向を変えることなく進みきるという覚悟を決めました。決意というよりも、覚悟のほうが表現としては近いですね。

 

 

 

じぶんのことを知ってもらうためには、イベントに出展した方がいいとか、ホームページやブログでより多くの人の目に触れてもらう努力をすべきとか、ほんとうに暖かく、そしてほんとうに正直で厳しい経験を聴かせていただきました。そのうえで、じぶんが納得する方法での展開はどのようなことだろうかと、自己の対話のように考えています。

 

 

 

 

 

定期的で安定した収入にはまだほど遠いです。そのため必死に「きょうはコレをやる」というのを考えては実行しています。

 

 

「やらなきゃいけない」ではなく「やる」であること。

 

 

 

これが実を結ぶという確信はありませんが、その弛まぬ努力といった「前進」は、決して嘘をつかないことを、ぼくは知っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、ガラクタ整理も、定期的に実施してその練度を上げていきます。

だから、リーディングも、定期的に実施してその純度を高めていきます。

だから、木育も、定期的に実施してその深度や感度を深めていきます。

 

いまできるのは、これだけ。

 

 

 

 

 

 

 

それでも、この「これだけ」が「こんなに」に変わる。

 

それを目的とし、目的とせずにいこうと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

女神たち 小田まゆみ 現代思潮新社

私が殺した少女 原リョウ(リョウの字は寮のウかんむりがない文字) 早川書房

水の中、光の底 平田真夫 東京創元社

 

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多読の中間報告です。

きょうは札幌市中心部が熱かった。

で、札幌ドームも熱かった。

 

 

 

駅前通りでは北海道日本ハムファイターズの優勝パレードが、札幌ドームではサッカーJ2最終戦、コンサドーレ札幌の試合が行われました。

 

ちらりとパレードの番組を見てみますと、もう凄い人で(汗)

現地に入ったら身動き取れないだろうなぁと思いました。

 

 

 

番組の予約録画を設定し、この日はお出かけ。

日中は少し汗ばむようなあたたかさだったのですが、現在は小雪がちらついています。

 

 

 

 

 

 

11月も下旬に入り、ふと「多読」の途中経過を確認しようと思い立ちました。

 

そもそも、いつから始めたんだっけ(汗)

ということで「多読」で検索してみると、およそ1ヶ月前から多読を始めたようです。

 

 

 

 

この時あった冊数は気が遠くなるほど多くはなかったはずなのですが、現在はそれよりも増えています(笑)

 

で、現在読了した本の数を積み上げてみると・・・・

 

 

 

 

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こんだけです(笑)

 

f:id:maruyamabase:20161120221546j:plain

引いて撮影してみると、窓枠までもう少しのところまできています。

 

 

 

図書館から借りた本も10冊程度は読んでいるのですが、貸出期限かあるため写真に収めることが出来ず。それでも、自分でもよくここまで読んだなぁと感心しています(←アホ)。

 

この多読には目的があって、ただ読了するのではなく、気になったキーワードや語句等を付箋でマーキングし、後から書き抜いていくというもの。付箋もなんでこんなにあるんだろうというくらいストックがあったのですが(いただきものもあったので)、こうやって使っていくうちにどんどんなくなり、多読を始めた当初の半分にまで減りました。ということは、足りなくなりますな(汗)

 

 

 

浅はかな考えではありますが、ぼく自身が伝えていきたい「ことば」を蓄えるため、そして、届けたい「ことば」を掘り下げていくためのひとつの方途と見定めて取り組んでいます。

 

ジャンルは様々で、小説もあればエッセイもあり、スピリチュアル系のものもあれば自然科学なもの、絵本もあるといった具合で、オールジャンルで読んでいます。というのも、この本は自分には関係ないという考えを捨てており、純粋に読んでみたいな、と思った本を中心に読んでいっているため、ばらばらになっています。

 

 

 

その本も自分で買い求めたものはもちろんのこと、オークションの代行で出品し、売れ残ったものの中で読みたいものを引き抜いた本や、閉店してしまったお店から不要となって出てきた本を引き取り、その中から読みたいと思った本を手元に残したりしました。

 

 

 

 

 

そうしたら、当たり前ですが増えました(笑)

 

加えて、じぶんの本棚からも数冊出してきているので、上限がなくなってしまっています。

ここまでくるともう年内の完読は難しいかもしれませんが、かといってこの勢いを緩める気はさらさらないので、引き続き突っ走りたいと思います。

 

 

 

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