この写真は9日早朝の景色です。
前の日は1日雨。
それが夜には雪に変わりました。
水気を多く含んだ、ずっしりとした雪が積もりました。
朝焼けの空が何とも言えない色となっていましたので、久々にシャッターを切りました。
続きを読む昨日の日記の続きです。
きょうはどんなネタでいこうか・・・というのを考えはするのですが、どーしても浮かばないときはあります。そのためごくごくかんたんではありますが、こういった内容の記事を書くことがあります。
ではさっそく。
買ったモノの第2弾は、これらでした。
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12が中旬から年末、年明けにかけて、ちょっと本を読もう、読みたいと思いました。
それは多少の余裕が出来たから、なのかもしれませんが、活字に飢えてきたのかもしれないというのがあります。10月くらいから図書館で本を借りてきては読んでいましたが、年末年始は飛び飛びで仕事もあることから、自宅でゆっくり活字に溺れようと考え、貸出冊数が期間限定で増えた八雲町立図書館でどっさり借りてきたのです。
こんな感じで
合計15冊。
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新年の境目によく目にするもの
それは今後の1年を占うという各種媒体の記事だった
占うほうの労力も相当なるもののはずなのに
それに目を通す側のほうは 確実性のみを求めてしまっている
それはもう占いではなく
確固たる明日が欲しいだけなのだと知る
その時点でもう
占いは占いではなくなる
それでも 希望を乗せた未確定な声に耳を傾けるのは何故なのだろうか
いつしか人間は数字を求めるようになってから
自分の人生や未来のことについてまで
100%の確率を求めるようになってきた
それは成果主義に等しく
他人を評価する材料にまでなってしまっている
自分自身が100%なのかどうかも検証せず
他人ばかりを推し量っている
それはまるで
バリケードを立てて安全地帯にいるかのような光景だった
いまやもう
誰もが怖れることを畏れるようになってしまった
いつしか畏れは失敗を指すようになり
それを打ち払うかのように充実さや幸せを求め
ブログやSNSにひたすら発信している
その時点では虚構の成功でしかないはずなのに
リア充を地でいっているかのような書き込みに終始する
そんな人の声など 信用できるわけがない
なんとかして100%を維持したいだけなのだ
ぼくに残されている可能性は100%どころではない
一桁であっても
0%であっても
その数字はその時点での数字にしか過ぎない
100%は存在しない その反対で 0%だってないのだ
それをわからない限りは
また迷い込むことになるだろう
束の間に酔いしれるだけなのだと