しばらく、文字を書いていませんでした。
というか、文字を書くことができませんでした。
理由は、わかんないです(汗)。
まったく、文字が浮かんでこなかったというのが、いま表現できる精一杯のことばです。
カリンパニの瞑想合宿から戻り、1ヶ月が経ちました。そのあいだ、本と映像をしこたま見ています。睡眠時間も自然と少なくなり、なんだかお腹いっぱいです 笑。ことばとそれにかかわるあらゆることを吸収したいという欲求からはじめたことなのですが、現在はまったく逆の効果が出てしまっているようです。ことばは書けない。でも映像を観ること、本を読むことはやめてはいません。明らかに過剰摂取ですが、大きな肥やしになることを信じています。
いま読んでいる本のなかで、「ことばを表面だけで受け止めず、自分の中にとけ込ませる」といった主旨のことが書いてありました。これってつまり「わかったつもりになるな」ということかなと思ったのです。いま日本語は、本来の意味とは異なった使われかたが広まり、定着しつつあります。本来の意味ではなく、雰囲気でその文字を当てはめているかのような印象です。そのため、その語句の本来の意味と、現在の使われ方で大きなギャップが生じます。語句によってはまったく逆の使われ方をしているものもあるようです。
語句の「表面だけ」でものごとを進めようとすると、主張を続けようとすると、結果としてその語句が表す本来の意味、そして本来の願いのようなものから遠くかけ離れてしまう。わたしたちは知らないあいだに、そんなトリックにひっかかっているように思えてなりません。
先人はことばのひとつひとつから、その背景や想いなどを知ろうとしてきました。国語の文章問題のような感じでもありますが、ことばからどんなものが見えるか、どんなことを感じ取れるかといったことが重要視されていたことの裏付けになると思います。それは「字面」だけを見るのではなく、字のなかにあるもの「奥底」を見、そして感じること。それがいろんな不安要素を抱えている現代の切り札になる。そう思いたいです。
こうして文章を書く以上、ことばを綴る以上、ただ書くだけではだめなんだ。
そう思ったときから、文章を書く際の責任に近い「重さ」のようなものを感じました。
それがのしかかり過ぎないように、していきます。