いま読んでいる本の中で、「今(いま)」ということについて書いていました。
その項目を読み進めていましたら、過去の苦い記憶とともに、ちょっとした気づきがありましたので、きょうはそのことについて少し書いていこうと思います。
相手のこのことばが、どうして今でも耳に残っているのだろうか。
あの日から結構な時間が経過していても、考え込むことがあります。
それは単純に強烈なインパクトを持っていたから、または破壊力を持っていたからと見ることもできますが、今回得た(今更な気もしますが)気づきは、それとは少々異なる立ち位置のものでした。
「どうして今なのか、わかんない」
前にも、このことばを引き合いに出し、日記を書いた記憶があります。
当時のこのことばの意味合いとしては、「別に今じゃなくてもいいのでは?」、「また次回にしたらどうなの?」「また時間をつくればいいじゃない」というものを過分に含んだことばでした。
そのことばを受けたぼくは、大変なショックを受けました。
そして、相手が発した「今」を否定した(と捉えた)ことばに反発し、結果仲違いへとつながっていきました。
今でも、この出来事を後悔しています。後悔しても、し切れません。
表現は大げさですが、ずっと続く痛みや苦しみのようなものになっています。
振り返ると、感情のぶつけ合いのような、もしくは妙に冷めたような、そんなやりとりだったように思います(相手はどう見ていたかは、わかりません)。
ふいにですが、それを少しでも振り返ることができるような気づきがありました。かといって、解決だとか解消に向かうというものではなく、今後も痛みや苦しみは続きます。ただこの気づきが、今後に生きてくると思いました。
「今」でなければならない理由。
その理由はひとそれぞれあると思います。思い返していただければ、過去のあのときであった「今」に、どれほどの気持ちを込めていたかがわかっていただけるのではないかと思っています。
しかし、「今」という瞬間の、その価値は、あくまでそのひと「個人」によるもの。
他のひとにとっても「同じ」ということには、ならないことがあります。
似たようなことを書きますが、かんたんに言いますと
A「この件について、今返事が欲しいんだ」
B「今忙しいから、あとで返事したいんだけど」
といったような、「ずれ」が出てくるのです。
それが悪いということを言いたいのではなく、そういった事態は起こりうる可能性があるということ。そして、そういったずれが生じた場合、どうしていくべきなのかを考える必要があると思いました。
「感情で片づけるな」
「自分だけの価値観で決めつけるな」
「自分ではなく他の判断基準に頼るな」
さまざまな局面に接したとき、自分で決断するのはかなり勇気がいることです。
自分で考えて、決める。
書いてしまえば至極かんたんなことなのですが、これがどうにもうまくいっていない現実があります。自分でしっかりと考えているつもりでも、その源泉が自分の中ではない場合が顕著になってきました。そのようななかで決めたことであっても、一時的にでも、長い期間においても、結果としてオーライな場合は多々あります。ただ忘れないでいただきたいのは、その決断の際に目を背けたことは、そこを通り過ぎれば「ハイ、終わり」には、決してならないということ。それをいつ、どのタイミングで気づくかは、そのひと次第になります。
「今」というのは、長い時間のなかの、ほんの一瞬を切り取ったものになりますが、大枠の中ではみんなと共有している時間の中にあります。しかし不思議なことに、それに価値観などを付与すると、「今」の大事さが大きく変わってしまう。その「今」の大切さをどこまで認め、損得関係なしに動くことができるか。ひょっとしたら人生で結構重要なことなんじゃないかと思っています。
「今」何をすべきか。
どうしても、自分に利のあることに対して自分のからだを動かし、ことばを放ちたいと考えるひとは多いです。それは決して間違いではありません。しかし、その利に囚われず、ただ純粋に「今」を大事にするケースもあります。賛否は分かれるでしょうが、幸せのためだけに動くことが、「今」に対する正しい価値観ではないのだと、ひとまずこの場では掲げておきたいと思います。
それぞれのひとが大事にしている「今」。
それぞれのひとが大切にしたい「今」。
同じ「時間」という枠内にいながらも、それを想う気持ちからくる立ち位置は、ときに大きく異なり、離れていることがある。それに気づいたとき、それを知ったとき、自分はどのように振る舞い、どのようなことばをかけ、どのように伝え、そして届けるか。
プライベートはもちろん、ライフワークとしたい「一生続ける仕事」においても、この「今」を考えることは、とても大切な時間であると感じました。
だから、あの日に戻って、改めてこのことばを言います。
そして、今後も、この気持ちを持ち続けて生きていこうと感じました。
「ぼくは、『いま』なんだ」、と。
このことばを、もういちど、届ける。伝える。
気持ちではなく、決意・覚悟を背負って、活きます。