緑の花 ~カリンパニの夜明け⑨~
北海道・ニセコ町におけるヴィパッサナ―瞑想合宿のセンター外コースは無事に終了しました。
センターコースではたまに出てくるリタイアもなく、急病者が出ることもなく。
すべてが滞りなく、安全のうちに幕を下ろしました。
このシリーズの冒頭で述べたかもわかりませんが、センター外コースを実施するのはかなり珍しいことだったようで、前回は女性コースのみ。しかも、10年以上前の出来事だそうです。つまり、男性のセンター外コースを実施したのが、このニセコ町がはじめてということになりました。
そのため、幾つかの課題点が出てきています。ぼくは単に奉仕者として参加したので運営に関してはノータッチではありますが、仮に翌年この土地でまた実施される際は、更なるよい環境下において瞑想を行うことが出来るのではないかと思います。
5月のニセコ町は、肌寒いというよりは、まだ冬の寒さが残る寒さでした。
施設内の一部は暖房が効いているものの、奉仕者が寝泊まりする場所はストーブしかなく、しばらくのあいだは寒さが堪えました。瞑想場所として設定していた体育館もその構造上、寒さが沁みます。暖房器具も設置していましたが、毛布などを纏って瞑想する姿が多くありました。
季節の変わり目を、日中主に過ごした厨房と食堂から感じていました。
ここの敷地には桜の木が植えられていて、合宿前には満開の状態でした。
その後風で散り、葉桜になり、初夏を迎えます。
瞑想をしているあいだは世間から離れている感覚になっているのですが、周りの景色の変化がかろうじて時間の経過を教えてくれているかのようでした。
最終日に、何枚か写真を撮りました。
カリンパニという場所はニセコ町にあった旧藤山小学校。
藤山というのはこの土地を指すようです。
今回の舞台は、この歴史ある建物で行われました。
食事の際には、これがどんな料理であるかと言うのをポストイットに書き、貼り付けていました。普段は冷蔵庫横に貼り付けており、必要に応じて貼りだすといった感じです。これを眺めながら、よい思い出になったと感じました。何となくですが、ひとつの結晶のように感じました。
その後、カリンパニを離れてJRニセコ駅へ。
この駅は券売機がなく、窓口で切符を「作成」していただけるというかたちになっていました。
すっかり券売機、もしくは交通系ICに慣れてしまっていたので、ちょっぴりカルチャーショック。しかしこの切符が、新たなステージへのチケットと思えるようになっていました。
帰りの列車は、このような行程になっていました。
小樽まではローカルで、小樽からは快速エアポートが出ていましたので、それに乗車しました。琴似までの鉄路はおよそ2時間の旅。2時間でニセコまで行けるのだと思いますと、比較的近い場所なのだなと感じました。
ただ、倶知安町のほうが街としては大きいのだなと、改めて感じました。
ニセコ町は倶知安町から少し離れた場所にありますし、買い物も倶知安町のほうが充実しているイメージがあります。移住などに関しても熱い視線が注がれていますが、今後は近隣の街にも注目が集まりそうです。
そうして、この日の夕方には札幌に戻りました。
独りでこの期間を振り返ることが出来た、鉄路でした。
この合宿で感じたことは、「苦しむことは必須で、逃げられないもの」ということでした。
よく生老病死ということばがありますが、わたしたちは生まれてからその人生を終えるまでのあいだ、苦しみが連綿として続くようにスケジューリングされています。その一部だけを切り取って「この苦しみから逃れたい」という話をよく聞きますが、それは人生を全うすることを拒否しているようなものなのかなと思うようになりました。
この期間中、意識していたことは
「苦しみ抜く」
ということでした。
「苦しみ切る」ではないのです。
なぜか「抜く」という表現に、こだわりました。
それは、苦しみを常に抱えている自分としっかり向き合わねばならないということを、無意識にも自覚していたのかもしれません。果たして苦しみ抜くことが出来たのかという判断は難しいですが、棚上げすることなく奉仕を務め抜いたことが出来たのは、今後に活きていくと思います。
どうやらぼくは、こういった場に赴く際、どうも「苦行」を意識しているようです。
それはどこかで「内面」を曝け出し、見つめていくことを意識していたのかもしれません。
それは外的な要因で、負荷もなくもたらされるものとは大きく異なりますし、決してそれが「真」とは言えないと思っています。それは決して外からもたらされるものではなく、内から湧き上がるかのようにして現さなければならないと思っています。
その後、瞑想は自宅で続けています。
瞑想に関する本も何冊か目を通しています。
スピリチュアル関連の本も、ある程度範囲を絞って手に取るようにしています。
スピリチュアル関連の話しを書きますと、この人の考えはどのようなタイプに属する物だろうか?と考えることがあると思います。それによっては、「この人の言っていることは自分には合わない」といった評価を下し、自分の考えに共感する記事を探す旅に出ると思います。
個人的な考えとしては、ぼく自身は現在どの団体にも所属していません。
そして、今後特定の組織に籍を置くことも考えていません。
5歳から40歳までのあいだ、創価学会に身を置きました。世間では学会2世という立場です。生活は学会とともにあったと言っても過言ではありません。最終的には、男子部の副部長という立場をいただいていました。
しかし、とあることがきっかけで、学会の教義に疑問を抱きます。
いや、教義だけではなく、幹部連中に対して疑問を抱いたと表現した方がいいかもしれません。
その後、考えに考え抜いて、昨年創価学会を退きました。
そこからのぼくの宗教的・スピリチュアル的な行動に関しては、あくまで探求というスタンスをとるようにしています。
現在の考えでは、宗教でもスピリチュアルでも、成仏させるということは出来ないと考えています。救いに関しても、外的要因でそのような現象は起こらないだろうということです。
その論証として、宗教もスピリチュアルも「救いのための教え」ではないということとしています。救いのための教えというよりはもともと哲学的な立場の教えであったと考えています。
瞑想は、哲学的行為とも言えると思います。
単純な行為ですが、奥深く、決して簡単なものではありません。
だからこそ、このシンプルな行為の中に訪れる反応を、感じたいと思ったのだと思います。
わたしたちの生活には、おそらく宗教的要素(慣習なども含めて)が知らずに浸透しており、無宗教と声高く宣言している人でも、知らずに行っていると思います。宗教的・スピリチュアル的な要素は、生きていくうえでは切っても切れない関係にあります。あくまで持論ですが、現実的なこと、そして非現実的なことに目を向け、耳を傾けることが、人生という長くて一瞬のような短い時間をどのようなものにしていくかを決定づけるのだと思います。
ぼくは、中道を歩くものとして、今後も探求を続けます。
ぼくは、中道を歩くものとして、今後も考えを発信します。
共感できない部分もあるかと思いますが、ご容赦くださいます様お願い申し上げます。
最後に、カリンパニということば。
調べて見ましたら、アイヌ語で(桜)を表す言葉のようです。
カリンパニには、一本の大きな桜の木があります。
合宿を始めた頃には満開だった桜も、雨風で散り、葉が多くなり、すっかり緑を彩っていました。
帰りのJRで車窓から外を眺めていますと、すっかり新緑の季節になっていました。
しかし、その「緑」が、一色ではないことに気がつきました。
その植物ごとに、緑の色が違うのです。
景色は緑一色で、花などはあまり見ることが出来ませんでしたが、その光景を見て思わず
「緑の花」
ということを思いました。
花だけを見ていますと、一時期の、または一瞬の出来事のように感じます。
しかし、花をつける植物はずっと「生きています」。
花だけではない。葉もつける。
すべてが「今」なのだと、満開の緑の花は教えてくれました。
カリンパニの夜明け 了