現在仕事をさせてもらっている会社は派遣として赴いているのですが、担当部署の社員さんが男性女性ひとりずつおります。
女性の社員さんは前年もその部署の繁忙期を経験しているのに対し、男性の社員さんは他の部署から異動してきたとのことでした。
10月初めに入社し、その部署に配属となったとき、とある印象を抱きました。
それは「怖さ」。
空気感とでも言えばいいのか。それとも雰囲気と言えば伝わるのか。
冗談を言っても通じない(もしくは取り合ってくれないような)空間を感じていました。
その怖さはどこからくるのだろう?と思いながらも、怖気づいては仕事にならんと思いつつ日々の業務をこなしてきていました。ただ、思わぬ余波を後日実感することになります。
それは、パートさんがその怖さを敏感に感じ取ってしまうというものでした。
ある程度お互いを認識してきますと、お昼休みにご飯を一緒にとるケースが出てきます。
違う職場では「パートさんとは一緒に食事するな」と言われたこともありましたが、ぼくはどちらかと言いますと、積極的にその輪に入るタイプ。表現が適切かどうかはわかりませんが、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の精神。自分から飛び込まなければダメだと思っている性格なのです。それがいいかよくないかは別として、会話が広がり、パートさん個々人の意見や気持ちが耳に入るようになりました。
意見とも、心境とも取れるこの話し。
実際に耳にしたときは「やはり」という感触を得ました。
と言いますのも、そこに至る過程を「見て」きているのです。
職場の空気にどう反応しているかを、俯瞰して見てきていたのです。
そのため、誰がどのようなといったものを、おおよそながら把握していました。
そしてそれはパートさんのみならず、以前よりそこで働いているベテランさんや
同じ立場の役職者に関しても同様でした。
そんな声がどんどん入ってくるようになったため、それとなく社員さんに聞いたことがあります。どのような質問をしたかは忘れたのですが、返ってきた答えは
「恐怖政治なので」
というものでした。
ああ。
だからさぁ~
という感じでした。
この返答を聞いて、役職者の端くれとして感じましたことは
「この社員さん、怖がっているかも」
と思いましたと同時に、その背景にあるものを色々と感じました。
決して非難する訳ではないのですが、その社員さんは「未熟」なのだと思います。
または、役職者に必要な要素の一部を「必要ない」と斬り捨てているようにも感じます。
そこから生まれたのが「恐怖政治」という方針なのでは?と思いました。
果たしてこれがいいのか?と聞かれますと、意見は分かれると思います。
ただぼくは人情派(笑)のため、上記の方針には異議を唱えます。
勝手な推察なのですが、勤怠が予想以上に乱れる(欠勤の連絡が多い)のも、10名もの退職者を出しているのも、要因の一端としてその「恐怖政治」があるものと確信しています。
無論、仕事をするために集まっている以上は、その責務を果たす必要があります。
しかし予め設定がされている場において、恐怖で人を動かすというのは却って逆効果だと感じます。管理はしやすいのかもしれませんが、それは結局「逃げ」にしかなりません。
上に立つ人自身が「負担を軽くする」ためだけの方途でしかないような気がしてなりません。
つまりは「見る」ところが、ずれているのです。
見るところがずっとずれていると、事態が把握できなくなります。
そして、イレギュラーなことが起きますと、その人のせいにしてしまいます。
それはある種理路整然としたものに聴こえてしまうものの、物事はそれだけでは決して動きません。それを認めずに義務だの責任だので話を進めるのは、自分で自分の首をしめるような行為に等しいものとなってしまいます。
この方針がどのような展開をもたらずのか。
その影響は、時間が経てば経つほど如実に表れてくるでしょう。
その時にどう分析し、反省するのかが重要です。
仕事には、もちろん成果は必要です。
そのためにいろんな方途を講じますが、円滑な運営をするために必要なものはルールや責任だけではないということを、どこかで感じていく必要があるのだろうなと感じました。
ぼく自身はこの職場に長くいることは出来ないですが、今回繁忙期のスタッフとして参加し、いろいろと勉強をさせていただいています。そこには自分自身の未熟さなども過分に含まれていますが、周りから感じることも多くあります。
改めて実感したことは、「自分はこうするのだ」という決意のようなものは、自分の身体からオーラのように放出され、周りに伝わるということ。それをどのように使いこなしていくかによって、仕事の業績も大きく変わっていくのではないかということでした。
先日の日記にも書きましたが、どのように見せていくか、またどのように見られているかを自覚していかないと、結局は独りよがりに終わってしまいます。それに気がつかなければ、たとえ社員と言う立場であったとしても、違う場所で「やり直し~」と宣告される可能性が出てきてしまいます。そうならないためにも、そうなってしまったときのためにも、自身の振る舞いを「省みる」機会を作るのは必要なのだと思いました。
きょうまでに読んだ本
おとなのきほん 自分の殻を破る方法 松浦弥太郎 PHP研究所 (344)
密教世界の構造 空海「秘蔵宝論」 宮坂宥勝 筑摩書房 (345)
Bocket 第2号 寿郎社 (346)