多読の中間報告です。 その12
昨年10月ごろから進めている多読も、気づけば1年が経過していました。
多読という行動自体はなかなか出来ていないものの(通勤に何冊も持っていけないため)、本を読み進めることだけは少しずつでありながらも続けています。通勤時間は片道約1時間。待ち時間も含まれますので、多少の余裕をもって通勤しています。本のタイプにもよりますが、往復の時間で本を1冊読むこともできます。疲れが残っているときは眠ることに集中していますが(汗)、ぼくのかばんの中には常に本が入っています。
短期間ではあるものの、会社勤めを始めたことで図書館から借りてくる本の数が増えました。なるべく文庫サイズをセレクトしたいのですが、リストに書いてある本の大半は単行本サイズ。そのためかさばります(笑)。厚みがなければ2冊程持っていきますが、単行本だと1冊がせいぜい。読み進めたいという逸る気持ちもありますが、そんなときは1冊をゆっくり楽しむようになりました。
今年1年の目標は120冊(月10冊のペース)と設定していましたが、現在のところ300冊を超えるペースとなっており、このままいけば1日1冊のペースに。ジャンルは様々で、中には雑誌やフリーペーパーも入っているので純粋に読んだものをカウントしています。ここに専門書等が加わると、おそらくペースダウンは必至でしょう。
ここまで本を読んだことはないです。
年間100冊程度なら過去にあったかもしれませんが、ここまで意識して、集中してやったことはありませんでした。
かと言って、これが何かの役に立つのか?と思うこともあります。
そこに関しては、実は深く考えていません。
単純に「読みたいから読む」ことにしています。
ただ、本を読むことで、表現や知識など、外からのアプローチによる学習は歓迎しています。自分が知っている言葉であっても、そこに綴られた表現に感動し、涙することもあります。自分もそのような表現が出来たなら。そのような言葉を綴ることが出来たらと、何度思ったかわかりません。なので、アタリマエすぎて意識しないほどになってしまいました。
本を読むことで、得られるものはたくさんあります。
反面、何も収穫がないことだってあります。
だからと言って、メリットがないわけではないのです。
無駄だと思えることも、大切な要素のひとつだと考えています。
メリットがあるものだけを求める。
それが出来れば、苦労はしません。
ただ、そのように思ってしまう背景も、何となくですが共感はします。
しかし、仮に上記のことができたとしても、その「メリット」の中から「メリットがない」ものを決めてしまう可能性はあります。おそらく、得られるものにメリットがあろうがなかろうが、わたしたちはそこから「プラスになるもの」と「マイナスになってしまうもの」を無意識に査定してしまっているのではないかと思います。
この人はメリットがないから逢わない。
自分にメリットがないからこの仕事はやりたくない。
そんな風に考えている人は、多いはずです。
そこに「選ぶ権利」や「自由」というものを組み合わせることで、防衛線を築きます。
そうやって陣形を立てることは構わないのですが、果たしてそのような行為に意味があるのだろうか?とぼくは考えてしまいます。何故ならその「権利」や「自由」が、結局はその人自身の何かを奪っているように思えてならないからです。言い換えれば「制限をかける」と表現してもいいかもしれません。
仕事も生活も、ある程度の「条件」をつけることで、動きやすさを得るということはあると思います。そうしないとどうしたらよいのかわからないという状況も生まれてくるからです。しかしその条件を「自分自身で設定」するのと、自分以外の何かに設定してもらうのとでは大きな違いがあります。時折そこに理不尽さを感じてしまうことも少なくありませんし、メリットを感じないこともあると思いますが、それが実は後々必要なことだったと回想することは少なくないと思います。
ものごとを振り返ったときに何を思うか。
そして、それを活かすか。それとも黙殺するか。
どう受け止めていくかは、その人の「広さ」にかかっています。
本を読むことも、そのほかのことも。
生きていくためのひとつの目的として、広さを失わない、維持し続けることがあるのではないかと感じた1日でした。
きょうまでに読んだ本
ソトコト 2017年11月号 木楽舎 (348)
Number Plus ボウリング場でカッコつけて。 文藝春秋 (349)
Bocket season3 鴨々川ノスタルジア実行委員会 (350)