がんばること、つづけることを放棄しない。
北海道を拠点とするプロ野球チーム。
それはご存じ、日本ハムファイターズです。
シーズンオフになりますと、引退や移籍などでチームに馴染んでいた選手が去っていきます。
昨日はその中のひとり、武田久投手のことを書きました。
きょうは、昨シーズンで現役引退をした飯山裕志選手のことを書きたいと思います。
飯山選手は背番号4。
サッカー等でも使われる、チームの「スーパーサブ」です。
バッティングは上手ではないものの(しかし過去に日本シリーズでサヨナラタイムリーを記録したことも)、守備には一定以上の定評があります。
よく「守備固め」の段階に入ったときに登場するのが飯山選手。そのため、試合開始時ではなく、終盤にその姿をグラウンドで確認することができました。
個人的なことを話せば、名前の読みが同じ「ゆうじ」。
試合の企画で選手と氏名のいずれかが一緒であれば、観戦チケットが安くなるというものがありました。そのときは勇んで札幌ドームに行ったことを憶えています。
飯山選手は、何か特別な素質がある選手ではありませんでした。
しかしその存在感たるもの、他の選手ではなかなか出すことができませんでした。
野球評論家の口からは、彼は「練習をする」ひとだったそうです。
それはもう必死ということばがピッタリなほどだったそう。
そのたゆまぬ努力の末が、背番号4であり、不動の地位であったように思いました。
他のチームでも、このような選手はいるかもしれません。
記憶しているのは、既に引退をしてしまいましたが、ジャイアンツの鈴木尚広選手。足が持ち味の選手であるだけに、ここぞという場面での起用が多かったです。鈴木選手に関しましても、グラウンドにいる時間は短くても、その存在感は他の選手に負けないくらいだったと思います。
素質を持っている選手でも、特質した素質がない選手でも、共通するものは「練習」です。
どのような練習かにもよりますが、工夫をこらしていけば、自分だけのスキルを身につけることができます。自分だけというのは、他人にはなかなかかんたんには出来ないものと考えていただければいいでしょう。飯山選手のように、守備のスペシャリストと呼ばれるということは、その守備力が他の選手と最低でも同じか、もしくはそれ以上のものがあったからこそ、グラウンドに立つことが出来ているということになります。それは純粋に凄いことだと思わないでしょうか。
現代の仕事ではなかなか長期で取り組んだものでの結果を待つことが出来ないことが多くなってきていますが、野球に関してはその逆をいっています。必ずしも、短期で結果を出すことだけがいいという訳ではないことの理由にもなります。人によってはそれこそ「ころころと」変えていくということもありますが、それで万事解決ということではどうやらなさそうです。
誰かがその問題を勝手に解決してくれる訳ではない。
すべてはその人個人で乗り越え、解決していくもの。
そのためには努力の継続が必要。
ここが土台にあることを念頭に置かなければ、解決方法を誤ることにつながります。
プロ野球選手だけではありませんが、メディアを通してみる「プロ」を呼称する選手のすべてが、上記のことは最低限やっていらっしゃいます。
プロ選手もわたしたちも、同じ人間です。
能力の個人差はもちろんありますが、同じく努力することができます。
継続することも可能です。
手につけるスキルは違えど、大まかに「やるべきこと」は共通しています。
そのように考えますと、特別なこと、変わったことをしなくても、自分の力でどうにかしていくことは可能のようです。言い方はひねくれてしまいますが、自分の底力を出し惜しみして他に頼るというのは、自分自身を信じていないことの裏返しのように思いました。
自分で、どうにかしていくこと。
泥臭いですが、たいせつなきほんであるということを、彼の姿から感じ取りました。