つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

おかげさまの波紋。

なんだかんだと言いながら、先延ばしにしてしまっていることが積み重なっていたこの頃。

 

季節は秋、そして冬に飛び込もうとしています。

気づけばもうお2週間ほど雪虫が飛んでいるように思います。

札幌の手稲山ではもう山頂がうっすらと白くなっているようですね。

峠道もアイスバーンとなっているそう。

八雲町にある山の頂も、薄化粧をしていました。

 

 

ずっと先延ばしにしていたことがありまして、そのなかのひとつが「便りを出す」ということでした。

 

地震や台風もありましたので、心配してくれる声がちらほらと聞こえてきます。

大学時代の友人もわざわざ遠い宮城県から電話をくれたりと、旧交を温めたりもしています。

 

 

そして先日、札幌市に居た頃に勤めていた会社の元同僚に手紙を書きました。

中身は、近況はもちろん、少しの昔話を。

懐かしみを憶えつつ、そして今を見据えた文章を書いて贈ったような気がします。

 

 手紙と、ちょっとした手土産を添えて送ったところ、ふいに便りが届きました。

 

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なんと、冷蔵便で届きました。

 

開封してみますと、

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飲むヨーグルトが入っていました。

S先輩(こういうときだけ 笑)、ありがとうございます。

 

 

 

ここで言っておきたいのは、こういう「お返し」を期待して手紙を出したということでは一切ないこと。

 

こんな、エビで鯛を釣る、なんてことは狙っていたとしてもできませんわ~

 

でも、時折こういうことが起きます。

それがどうして起こるのか?

仕組みはわかりませんが、よい流れに乗れているということだけはわかります。

 

 

手紙を送る前にやりとりをしていまして、その際に自然に出てきたことばが

 

「おかげさまで」

 

でした。

 

 

 

このことばがお互いに言えるようになったこと。

これは成長という表現でも当てはまりますし、角が取れた、という表現でも当てはまります。

 

それは時間も影響しますし、その時間に経験したことが導き出させた言葉でもあります。

 

振り返って、何か新しいことが見つかる。

 

 

それって、とても素晴らしいことだと思います。

 

 

 

この波紋は、とてもいいものだと感じています。

以前にも述べました、「ペイ・フォワード」の仕組みに当てはまります。

この仕組みは、いかなることにも実践ができる。

それを実感した出来事が、自分の元にもたらされました。

 

長くて一瞬の人生には、自惚れも必要ですし、妥協も必要です。

本気も、中途半端も、どれもこれも必要な要素のひとつです。

そこらじゅうに転がっているピースのひとつひとつを目の前にして、重要なのはどのように受け止めていくかということに尽きると思います。

 

最悪の呪文は「まぁこんなもんでしょ」だと思っています。

それは、そのことに対して本気になっていない証拠だと受け止めます。

最初からそのセリフしかないのであれば・・・と本気で思ってます。今はね。

 

 

 

職場でも家庭でも、動かしている、または廻しているのはわたしだ!と想うのはいいことだと思います。が、それに浸ってしまいますと、自分の周りにいる人がどのような心情をもって動いているかがわからなくなります。それは正直言って、「損」です。

 

その損は、一生に帰結します。

どこかで「惜しい!」と言われないように気をつけないと。

 

 

 

今回の出来事は手紙を出す、という行為そのものにも要因はありますが、その根本は「こころくばり」だと感じています。それが良い影響も悪い影響も及ぼしますが、持っていて損はない素質だと思っています。

 

八雲町に移住してからは、親戚やら旧い友人との会話が増えました。

それは皮肉でもあるのですが、今となっては「やっと」という感覚もあります。

このむずかゆい感覚を味わいながら、また頑張っていこうと思いました。