つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

この1年、生きたぞ。

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晦日、朝7時30分ごろの景色(自宅兼職場周辺)です。

昨日除雪をしたのですが、一晩で元に戻ってしまいました・・・

 

 

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外に出て降り積もった場所に足を踏み入れてみたところ、なかなかの深さでした。

最低でも20cmは積もっています。

どうやら今日は八雲町の街中でもかなりの積雪があったようです。

 

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玄関前を除雪してみました。

断片を見てみると、けっこうあります。

 

この地で生活する者の宿命、というか、必然の環境です。

 

 

報道でも流れているように、この年末年始は寒波が広範囲でと言われております。

この場所も寒波の影響をモロに受ける場所で、7日間連続で降雪・積雪があったことも。除雪をすることで身体を慣らしていきたいですが、降る量が多すぎるので、その日には筋肉痛になります。

 

 

 

さて職場での仕事を納めをした後ですが、自宅の大掃除を行いました。

そして模様替えも。幾つか家具を別な場所に移動(建物の性質上、部屋が多くある)。

ゴミもたくさん出ました。掃除をした後は、その場所が光り輝いて嬉しそうにしている感覚がありました。

 

日頃はゴミ出しをする場所が固定されていて、中々自宅にまで手が伸びませんでした。

まだ減らせる、とは思っていますが、ここから先は細かい作業になるので、気長にやっていこうと思います。

 

晦日の今日も仕事。

実際は玄関・1階廊下の清掃とワックスがけ。

月末処理がまだ残っていたので締めの作業と在庫確認。

外が雪で身動きが取れなかったため、1日屋内であちこち動いておりました。

 

 

 

嬉しい便り

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実は今日の郵便で、札幌居住時代の友人から小包が届きました。

その友人は八雲町にも遊びに来てくれた方で、その後本州へ移転。しばらく音沙汰がなく気にかけていたのですが、先方からの連絡でひとつの緊張がほぐれました。

 

荷物の中には自家栽培のお米も入っており、とてもありがたい便りになりました。

写真は渋柿で、だいぶ柔らかくなってきたので、写真のようにへたの部分をカットし、スプーンで食べてくださいとのことでしたので、その指示通りにいただいてみました。

果物の甘さはまた格別です。本当にありがとうございます。今度はこちらから元気な便りを届けようと思います。

 

 

 

何と言われようと、生きたぞ、この1年

 

今年は新型コロナウイルスに振り回された1年でした。

ある時期から「自分もその時を覚悟」するようになったと同時に、自身の身体を信じるようになりました。

 

仕事としては2年目で、1年目を踏まえた展開を・・・と思っていたのですが、また違う面で1から学ぶという展開になりました。ジレンマやフラストレーションを溜めながら毎日を過ごした日々は、牛に癒された日々でもありました。

 

この年末で数々の書類を整理しました。

よくもまぁこんなに出てくるなというほど、わずかなスペースから書類が出てきます。

その中には札幌時代にかなりお世話になった集まりから、今思えばなんでこんなに暑くなっていたんだろうと思える出来事まで様々で、それは同時に自分の個人事業主時代に重なり、今の境遇を想うと「恵まれている」と感謝しきりでした。

 

自分で仕事をして稼ぐ、と決めて数年間活動したのですが、いろんなものが不足しており、事業を停止(というほどのものではないけど)して勤め人に戻りました。その後八雲町に職を得て移住し、その後縁があってこの場所に住みながら働いています。果たして世間はフリーランス個人事業主をどのように見ているのか、正直わかりません。また経営者をどのように見ているのかもわかりません。どちらの立場であっても、尊敬されることもあるでしょうし、不信しか集めないこともあると思います。どちらがこれからの時代、ホットなのかは、「仕事の内容×人」なので、どちらもホットであり、どちらもそうではないと言えると思います。勤め人に向いている方もいれば、個人で働くことに長けている人もいます。決してどちらかが終わっているということは決してありません。

 

僕自身、決して聖人君子のような良い人ではなく、何度も引き合いに出していますが、

 

「死ねばいいのに」

 

と、当時の職場の後輩に言われるほどのクズであります。

 

自分でもどうしてこうなるのだろうと反省していますが、その時はもう戻ることはありません。今でも続く悪い癖といった、中々修正されないことは、どううまく付き合っていけばいいのかなど、これからの自分に痛い傷を与えないようにするにはどうすればいいのだろうと、一人考え込むことがあります。これまた過去のことですが、お金がある人に愛を捧げるからと言われたりしました。お金が正義だというひとつの事実を認めたくなくて、お金に頼らない生き方を考えるようになりました。そのほか長期間にわたり、精神世界のあれこれを学び、実践したりもしています。皮肉なことですが、現在のところの結果、そのお金をある程度蓄えることが出来る環境に落ち着き、固定費も住環境の恩恵で抑えることが叶い、年収以上のものを手にすることが出来ました。反面、その住環境は市街地から離れた郊外で、近隣の住宅は数km先。建築物はあれど、自然のど真ん中での生活を実現させることが出来ました。これを以前は「引き寄せた」と表現していましたが、今は「招かれた」といったほうが的確なような気がしています。

 

現在はそれらを覆す環境にこの身を置かせていただいております。

ケガや病気もなく、また1年を過ごすことが出来ました。

わたしを嫌っている人にとっては、残念な1年になったと思っています (笑)

 

とはいえ、離れた人たちが今どうしているかを知ることはありません。

札幌の街中を歩いていたって、すれ違うなんて皆無です。

それくらい、もう、離れてしまうと可能性すらも失います。

 

よく人生の選択、と言われますが、どちらが正解、または間違いということはないのではないかと思うようになりました。そのどちらにもストーリー展開があり、その人の持ち合わせているものの条件によって選択肢が決まる。選んだ先のことは、その人にとって必要なお話がやってくる。おおよそそんなイメージです。なので、それがダメだったらそこで終わり、にはならないのです。そう考えると、大きなことがなければそうそう「終わってる」ことにはならないかもしれません。もし終わっているものを持っていたとしても、時流の報せで嫌でもわかるタイミングが来ます。何をどうやっても終わるときは終わるし、終わらないときは細くなっても終わらない。そんなものだと思います。そう簡単に断言できるほどかんたんな仕組みではないですよ。

 

 

 

次の1年も生きる。

 

過去にはもう「生きている意味がわからない」状態にまで落ち込みましたが、現在は前向きな欲が出てきています。健康に留意しなければならない状況は続きますが、年齢の積み重ねをカバーできるような自分をセットアップしたいな、と思っています。それが町のため、地域のためになればいいかなと。事故やケガにも注意して、健康を維持し、また頼られる自分を目指していきます。

 

 

 

 

 

1年の御礼

 

本年も当ブログをご覧いただき、まことにありがとうございました。

あまり統一性がないブログになってしまっていますが、ご覧いただいているという実感があるのが一番嬉しいです。

当初はやれアクセス数、やれ読者登録数と数をばかりを追っていましたが、個人事業をやめてからは気にしなくなりました。今は続けられるところまでやってみようという気持ちでおります。

 

来年も毎日更新できるよう、鍛錬を積み重ねて参ります。

よいお年を。