雪は姿を変えていく。
寒い日があったと思ったら、ぽつんとプラスの気温になることもあり。
今年の冬は目まぐるしく天気が変わっていきます。
仕事の一環として建物の管理を行っているのですが、先日このような光景を目にしました。
氷柱(つらら)です。
先日雪下ろしをした場所とは別に、暖気と寒気の影響で屋上にある雪庇の一部が氷柱に変わっていました。
前にせり出している部分の窓にも氷柱が出来上がっています。
写真は建物の裏側の部分なのですが、比較的冷えやすい場所になることなどが関係してこのような状況が出来上がるのだと思われます。
昨年にはなかった光景です。
雪が融けて水になり、寒さで再び氷になる。
しかし重力と寒気の関係でしょうか、氷柱にその姿を変えていく。
ふと、人間の心も同じようなものだな、と思いました。
僕自身、決して褒められた人生を歩んできてはおらず、後ろ指を指されっぱなしの期間を長く経験してきました。それには理不尽なことも含まれています。
雨、雪そして氷と、「水」が環境の影響を受けてその姿を変えていく様は、人間が他の人に対して(もしくは特定の人に対して)取る態度に似ていると感じました。
生前は相手と揉めに揉め、双方が嫌いという状況が、職場や恋愛などにもよくあることだと思います。
しかしその人と離れ、加えて時間が経過することで、別の気づきが生まれてくることがあります。その人との時間の更新は「停止している」のですが、それまでの経緯に新しい解釈が生まれる場合があります。
ただ、それがその人に対してどのような影響を及ぼすのかはまた別の話。
認める人もいれば、拒否する人も実際にいます。
そうやって自分の中から憎む相手の存在を抹殺していきます。
最近、よく耳にする「融雪」は、自然に氷解していくことだと思っています。
が、その現象を頑なに認めない人が現実としています。
死んでしまえば、生きている間にあれこれと思っていたことも水泡に帰します。
死んだ後にどこかへ連れていかれてひとつになって分かり合える、みたいな話がまことしやかに流れていますが、それはまだ不確定であり、その人の希望的観測でしかありません。つまりは自分にとって都合の良い解釈でしかないということです。
普段、目の前にある自然は、何も言うことはありませんが、その現象を以ってきっかけを与えてくれています。それをどのように受け止め、解釈し、行動に移すかが求められているのではないかと、個人として思いました。