「稼ぐことはやめにしたら?」
先日とあるドキュメンタリー番組を見ていました。
それは前・後編があるような回だったのですが、舞台は木材加工を行う会社で、現代には珍しく「丁稚(でっち)」制度があるということでした(しかも給料が出る)。
それだけでも稀少なのですが、その会社に入るためにはかなりの倍率を突破しなくてはならないそうで、その会社を設立した方の努力や理念などがよく反映されているのだなと視聴者としては思いました。
その会社のシステムを見ていくと、入社して8年で独り立ちさせるそうです。
それまでには、丁稚をはじめとした制度の中で腕と人格を徹底的に磨き上げる、といった仕組みで恋愛・酒・タバコ・携帯は禁止で、唯一の連絡手段は手紙だけという徹底ぶり。それでもこの会社に入りたいと思う人がいるのですから世の中わからないことだらけです。
番組は取材した当時に入社した人たちを追っていくという流れになるのですが、入社して半年で一人が脱落。加えて時間が経過していくにつれ、立場が決まってしまって関係がぎくしゃくしていく様子が映し出されます。そこには最初の希望と決意に満ち溢れた空気はありませんでした。このような会社であっても、このようなことは起きるのだなと見ていました。
ただ、この番組を見てとても共感したこと、忘れていたことを思い出させてくれたことがありました。
それは入社時に自己紹介とともに入社の動機を話すのですが、その話の中に技術と人格を磨くといった、ありきたりの中に、自分の親への想いを語る場面がありました。
今回の場合は、親向けの家具を自分で仕立てることが出来るようになりたい(作りたい)ということになります。
そういえば・・・とここで思い出したことがあります。
仕事をして得た最初の給料で親に何かごちそうする、または何かを買ってあげたいという気持ちは、多くの人が抱いていたことではないかと思います。そこに、「働くこと」とは何か、「稼ぐ」とは何かといった「問い」の「こたえ」が込められているように思えます。
というのも、ごくたまにですが、自分が登録しているSNS等のアカウントで登録者やフォロワーが増える通知が来るのですが、プロフィール欄には決まって「稼ぐ」の一言が入っています。そして共通していえることは、仕事のアピールよりも「稼げる」アピールのほうが大きいということです。それはそれで結構なのですが、眺めていてどうにもしっくりこない感覚がありました。それはなんでだろうと考えていたのですが、どうやら「稼ぐ」というワードがポイントだったようです。
世の中が不景気になるとどうしても「稼ぐ!」系のいろんなお話があちこちに飛び交います。それはまるで仕事することを嘲笑うかのようです。どうしても、「仕事」と「稼ぐ」ことが結び付かないのです(本来は関係性のあるものだと思うのですが)。その部分で理解が出来ないため(いや自分だけがかもしれませんが)、そういった類のお話に耳を傾けたことはありません。今後もその予定はありません。
今の仕事は、専門性を磨くことが出来るかといえば、必ずしもそうではありません。
反面、これだと決めてしまえば、没頭することは可能です。
今はまだ右往左往しながら仕事をさせてもらっている身です。まだまだ稼ぐほどの力はありません。そのような状態で仮に仕事を辞めたとしても、他の方法で稼ぐことは絶対にできないと思っています。仕事は業績をつくるだけではなく、人もつくります。お金以外の、見えない大切なものを形成します。いま声高に言われてる、稼ぐという号令はこれを無視したものであると考えています。だからわたしはこう言いたいと思います。
「稼ぐのはやめにしたら?」