「導線」を捨てたなら、残るのは狂気。
なんでしょう。ここ最近「ブーメラン」という単語を目にします。
ブーメランは言わずと知れた飛び道具。空に向かって投げたら、いい具合に曲がって自分の元へ返ってくる(と思う)というもので、ゲーム等の世界では武器としても登場しています。
ですがここ最近見る「ブーメラン」は、自分の発言が自分に返ってくるというもの。
たとえですが、かつて出した発言が時間を経て、別な発言をしたときに自分の元に返ってくることを言うようです。
これを一言いえば「お前が言うな」。「おまいう」とも言われているそうです。
この代表格はかつては政治家でしたが(という印書がとても強い)、最近では一般人やいち研究者、専門家と幅広くなってしまっているようです。
そうなってしまう背景を考えると、「軸がブレブレ」であることがわかります。
その他には「感情的」「流されやすい」といった面もあります。
あと言えるのは「注目(共感なども含む)される」ことしか考えていないこと。
ご自身のこれまでの経験や知識、知恵や教訓に信条といったものが本来は発言に現れてくるべきなのですが、それがないと発言という「一本の線」が通らなくなります。
通らない一本の線(筋)が出来てしまうとどうなるか。過去の発言の存在を忘れ、新たな発言をしたとき、前の発言を引用されて問い詰められるのです。
そうして突っ込まれたらどうなるかというと、大体が「キレ」ますね。
SNSですと即ブロック。そして糾弾引用して終わり。
何故か本人だけヒートアップしています。
本人としてはまっとうな活動をしているという自負があるのだと思いますが、周りから見ればそれは狂気でしかありません。自分が他人を批判・非難することは当たり前としておきながら、自分がその立場になることについては烈火のごとく否定し、怒ります。それはもう狂気以外の何物でもないと思うのです。それも自分の中に「一本の線」が通っていないからではないかと、個人としては思うのです。