闇に引き摺られそうになってました。
昨日ヘンテコな詩を詠んでいましたが、
数日前に突如無気力感が襲い、何もできなくなってしまいました。
何とか布団に入ることは出来たものの、眠れる様子は一切なく、何とか眠れたのですが翌朝は身体が動かず、ちょっと焦ってしまっていました。
これで思うのは、症状の再発か、ということです。
うつ病とまでは診断されていませんが、かつて自律神経のバランスを崩したとの見立てを受けたことがあります。処方箋をはじめ、いろんなことに手を出しました。最初はいいのですがなかなか良くなっている実感を受けるのが難しく、どれも道半ばで断念してしまっています。
結局何かに頼ることなく普通の生活を送ることが出来るようになったのですが、年に1度くらい体調がおかしくなるタイミングがあります。北海道八雲町に来てからは1度もなかったのですが、いろんな要因が重なって(不確定要素ですが)、体調不良(のようなもの)を起こしてしまいました。
体調がすぐれない、だけならいいのですが、こういう時に限って、ネガティブなものが入り込んできます。僕の場合は、「お前、生きてる意味あるの?」という投げかけがどこからか飛んでくるものでした。それは畳みかけるように降りかかり、「そうだよな」と思わせてしまう怖いものを含んでいます。わかってはいるのですが、とても嫌です。納得してしまったら、それで終わりだと思っています。
ただ、僕は清廉潔白な人間ではないです。政治家になるのはもってのほか、という人間です。だからという訳ではないのですが、自分の中のどこかに、常にそういったものを抱えて生活をしています。言ってしまえば、
「自分がいなくなったところで・・・」
ということを、考えなくもないのです。
しかしこれは、状況をよく見て考えないといけません。悪い状況が重なりますと、一気に堕ちる危険性を持ち合わせています。
昨今、自分が正しい、間違っていないという強い信念のもとに相手を糾弾する光景がよく目に入ってきます。その対象が現実的に「いなくなった」としても、それは相手がこうだからと決めつけ、自分に責任はない、自分は正しいと主張します。そして
「まさかこうなるとは思わなかった」
と、常套句を持ってきては、自分がやったことの「先のこと」に対する責任までも放棄してしまいます。そしていつまでも、反省なのか開き直りなのかわからない発言に終始していきます。
SNSがあってもなくても、そういった環境は既にあったのだと思います。
Webが出来てしまった以上、可視化されるものであり、余計にとげとげしく、余計に刺さるものになってしまっているのです。そういう意味では、Webは危険だと言えるのではないかと思うのです。
僕もこの先、Webの世界でどのように言われるかはわかりません。
ただ何か良くないことを言われたとしても、闇にだけは引き摺られないようにしないとな、と思っています。小さくても大事なことですが、それが生きるために必要な心構えだと思っています。