つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

「読む」行為は捨てられない。

さいころは読書など嫌い中の嫌いでしたが、何かをきっかけに本読みへと転生していました。現在は新刊・古本ともにネットや店舗などで買い求め、読み進めています。

 

札幌に住んでいたときは1日1冊というペースで読んでいたこともありました。

今思えば何かしらの打開策のようなものを探していたのではないかと思います。

たくさんの本を読みましたが、読めば読むほど知らないことばかりで、知ることのへの欲求が深まるだけだったように思います。

 

 

住む場所が変わると読む本も変わるようで、現在は「木」や「熊」に関する本をちょいちょい読むようにしています。現在の仕事にも通じる部分があると思っていて、それは仕事以外の日常生活にも反映できると考えています。実益とまではいきませんが、仕事と何かを兼ねる意味を感じています。

 

それと並行で、読みたい本リストにアップしていた本を読むようにしています。

そのため図書館へ通う回数は激減しています。それは悲しいことなのですが、図書館はあの空気がとても好きなので、絶対に行かないということはないです。新たな刺激を求めに行くこともあり得ます。今はただ、リストの消化(その中でも読みたい本をピックアップ)に努めています。

 

リストアップした本の傾向はばらばらで、社会的なものもあればエンタメ的なものもあります。その本のページを開けば、この本を読みたいと思った理由のようなものがわかってきます。思考の根幹はそう簡単には変わらないようです。

 

 

かつて断捨離、がらくた整理というものでいろんなものごとを「手放してきた」のですが、どうやら「読む」という行為を捨てることはできないようです。それと連動して、本は貯める傾向にあります。今はきりがないので、読んだ本は極力手元に置かないようにしています。保管場所も限られています。

 

モノを溜めるのは、何かしら問題があるからなのだと思っていましたが、時代が進むにつれ、その価値観に変化が生じているような気がします。もちろん、シンプルでいることはいいと思います。しかし、その反対がダメだ、ということには素直にならないのではと思うようになりました。札幌にいたときはあれだけ整理をしてきたのですが、現在は本やCD等、確実に荷物は増えています。仕事上の理由もありますし、生活上の理由もあります。シンプルにすることもできますが、現在の場所に住んでいるうちは、ある程度ものを持っていてもいいと結論付けました。

 

 

考えや欲は時間の経過で変わるものだと思います。

仕事上、整理は行っていますし、必要があれば私生活の品々も整理できると確信しています。それくらいの気持ちでちょうどいいんじゃないかと思っています。

お金の無駄遣い、と言われるかもしれませんが、お金を使って得られるものがあります。この年齢では宝の持ち腐れかもしれませんが、何かを得て、感動することの醍醐味を、今はまだ感じ続けたいと願っています。