つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

その書籍代、オラにくれ。

北海道新2月12日の20面、第3社会面で【二階氏「書籍代」3400万円】という文字が並びました。キックバックを巡る報道から次々出てくる不審な内容ですが、本に3400万円も本当に使ったのだろうか、という疑問が噴出しています。

 

 

それでも無理はある

その後、購入した書籍の詳細が明らかになりましたが、とんでもない購入の仕方です。本好きから見れば、とても勿体ない使い方になっていると思います。そして、そのリストの中には「この本って流通してるの?」と思う本もちらほら。今後は公表されたリストに記載されている本をレビューする人たちも出てくることでしょう。だって、本当に公費でその本を買う必要があったか、ということを確認したいじゃないですか。

 

同じ書籍を1.000冊とか、配る目的であって読む目的ではない。いち本好きとしては、ちょっと理解できない行動です。

 

 

 

一体何冊の本が買えるのか

3400万ですから、1冊1万円の書籍(専門書でもない限りそうない価格)でも3,400冊です。本の価格を下げると、購入可能冊数が増えていきます。もう自宅に1万冊とか夢じゃないですか。これはもう図書館のレベルです。それくらいの数の本を、二階氏は大人買い(あまりいい言い方じゃないけど)しているということです。これなら正直、どこかに図書館という建物セットで寄付してくれたほうがありがたいレベルです。

 

 

 

本の質も求められていく

あまりいい言い方ではありませんが、こういう世界がある以上、「購入される」ことを前提とした、あまり内容のない本が作られてしまうことも問題のような気がします。今も昔も、本は知識の倉庫です。泉です。昨今ではデジタルの脅威にさらされていますが、紙媒体は健在です。古来から続く文化の質を、あまり下げるべきではないと個人的には思っています。

 

ただ売れるためだけに書いた本は、一瞬にしてその世界から消えます。

本を書いて出版するということは、本来であれば誉あることだと思いますが、商業に寄ってしまうと、悲しい展開しか待っていないように思えます。

 

SNS等の発信が盛んになり、本のレビューを発信する人たちも本当に多くなりました。今後は「政治家が読んでいる本のレビュー」も積極的に発信されていくことでしょう。それもすべては「誰に投票するか」という目安になります。国会議員はもはや監視されまくりの職業となってしまいましたが、それはもう自業自得の領域です。頑張ってもらうしかありません。

 

 

ぼく自身はその時に読みたい本を買う。気になった本を買います。

新刊で、古本で。電子書籍はまだ手を出していませんが。

これは本を読めなくなるまで続けるでしょうし、本を読む力がなくなるまで、積読も続けることになるんだと思います。

 

ただ、この先どれくらいの数の本を読んでいくかは、わかりません。

 

なので、その書籍代。オラにくれ。